唯一の同情。

あのとんでもない父親に対して、唯一同情出来る所があるとしたら、「寂しいだろうな」という事。母親と居たら、つまらなくって寂しい、という感情になるだろうと思ったから。共同生活者だと思えば、生きるのに必死で、楽しいとか言って居られないとは思うが、大人になって分かるのは、大人だって、寂しいとか、誰かに寄り添いたいような気持ちになる事があるのだという事。でも、母親は、そういう感情を許さないというか起こさせない。だから、そういう面では、父は可哀想だと思う。そこの面を消されてしまったら、他人が観ていても、ちょっとやる背ないのではなかろうか。

かくいう私も、母と居るととてもつまらなくて寂しい。母が自分勝手過ぎるから、心が通わない感じ。

何度言っても通じないので、また言いたくは無いが、やはり腹が立つし、言わない訳にはいかない。例えば今日の事。

母は、「自分の欲望」→洗濯機をしたいというような時に、必ず私に質問形式で話し掛けてくる。「洗濯はした?」と。私には、その質問の裏に、「洗濯がしたい」という意見が透けて見えてしまうので腹が立つ。一瞬、こちらに気を使っている「風」なのが、余計に腹が立つ。

「自分の欲望がある時に、無意味な質問形式は止めて」「何で私がそれに答えなくちゃいけないの?」「目で見て確認する行為を面倒くさがって、人に答えさせるのは止めて」と何度も言ったのだが、平気。「(その質問形式は)他人がどうだかは知らないが、私は嫌だからやらないで」と言っても言い訳してくる。コミュニケーションがどうとか、←「そんなコミュニケーションこっちは願い下げだ喋りかけてくんな!」つまり私が「嫌だと言っている事」を止めないのだ。コミュニケーションがどうのとか言ってるのに、普通の人が「伺いを立てなければまずやってはいけないような事」は平気でやらない。人の物を触る。人の大事に思っている物を捨てる。やってくれとも頼んでいない事をやる。そして私が「そういうのは手癖が悪いって言うんだよ」と言っても「それは手癖が悪いとは言わない」等と怒ってくる。。

これを父親にもしているだろうと思うと、「可哀想」になってくるのだ。

コミュニケーションを取れない相手が一方的につまらない事を言ったりしたりしてくると、「寂しい」もしくは「空しい」気持ちになるものなのだ。「ずっと海の底に居るみたい」(笑)

今日は月の水道光熱費が5万をゆうに越えるので、しかも家業を私がするようになったら私がそれを払う事になってしまったので、「すぐに電熱ポットやコンロなどの電化製品を壊すし、こんなに光熱費をかけてる家は無いし、月20万しか売り上げがないのに5万も払ってられない」と言ったら、父親と喧嘩になった。電化製品を壊したのを私がまた言ったので、逆ギレされたのだ。そしてまた「出ていけ」だのなんの。後で階下に行ったら、今度は「この家の墓には入れないから、九州の田舎の兄妹達の墓に入れてくれ」などとまた言っていた。婿養子だけど、相当うちの家が嫌いなのだろう。思うのも勝手だが、酔っぱらいの気持ち悪い戯れ言を聞かされてしまった。

そういうのを聞かされて平気な母親も気持ち悪いし、何もかも気持ち悪い。

同情したので、母親に絡めて、墓くらい、遺言でもしっかり書いて好きなとこに行けば?と言ってやろうかとも思ったが、声を出すのも気持ち悪くなってやめた。

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