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境界を越えるバス/都県境編13/町田市辻周辺

東京都神奈川県境編13(多摩丘陵編8)
2023年5月/2024年2月現地調査実施
2024/02/20 初版公開/2024/02/28 一部改訂

データ類は特記なき限り2024年2月現在のものです。
画像・写真類は特記なき限り筆者自ら作成・撮影したものです。

多摩丘陵を複雑に屈曲しながら横断してきた都県境ですが、ついに東京湾側の鶴見川水系を抜け、相模湾側の境川水系へと入ります。旧国境との合流点まであと少し。多摩丘陵の横断が終わり、都県境=旧国境が境川を辿り始める地点もすぐそこです。


現場付近の都県境と郡境・旧国境

 まず、今回の現場となる、(町田市)辻の位置について、都県境多摩丘陵編にて紹介してきた地点との位置関係を含めて、地図に示す。

今回の現場の位置と、これまでに紹介した都県境の位置。
随分、南下してしまったのがわかります。
以下も含めて、ベースの白地図は freemap.jp より。
前回記事で紹介した成瀬尾根横断3地点との位置関係。
次回以降の記事で紹介予定の「横浜町田インター周辺」「鶴間橋」も合わせて記載。

 鶴見川水系恩田川の南岸に移った都県境は、次第に尾根筋を辿るようになり、やがて国道246号線(厚木街道)に沿うようになる。この道は、昔からの大山街道(=矢倉沢往還)を拡幅・直線化したもので、一部で都県境の尾根筋を掘り割るように進む。ところどころに旧道に相当する道が残っており、その区間で尾根筋が明瞭に残る部分もある。この区間の現都県境は、江戸期には多摩郡小川村と都筑郡長津田村の境界だったので郡境であったが、どちらも武蔵国である。
 大山街道がほぼ尾根筋上にあったためか、やがて都県境と国道246号線が重なるようになる。更に進んだ先、町田街道との交点である。この町田街道も古くからの道で、神奈川往還・浜街道などの別称を持つ。主要な道同士の交差点であるがゆえに 辻 という地名がついたと思われる。交差点名は町田市辻と表示されているが、バス停名は町田辻である。後述するが、以前のバス停名は長津田辻であった。この交差点には道祖神もおかれていた。道路拡張・バイパス工事の際に、少し離れたところに移設されているが、旧多摩郡側・旧都筑郡側の2箇所に存在する。

江戸期における、辻付近の街道と地名などの概念図。
青文字は対応する現代の地名・行政区画名。
道祖神の位置は、移設後=現代での位置、です。
長津田市辻の交差点全景。
都県境は画面奥から高架下を進み、交差点にて右方向へ折れます。
旧多摩郡側の道祖伸。国道246号の側道をやや東京方向に進んだ辺りに所在。
隣に郵便局があるのが目印。
旧都筑郡側の道祖伸。
こちらは、後述する"津01"系統が走る道に入り、更に左側の路地に入った所にあります。

 この付近の町田街道は、江戸期には多摩郡鶴間村の北東縁であった。後述するが、旧鶴間村エリアは境川の流域である。都県境=旧多摩・都筑郡境は、辻の交差点にて南東方向に折れてかつての町田街道を辿る。昭和中期以前はそのまま保土ヶ谷方面へと続いており、八王子方面と結ぶ主要街道であった。1968(昭和43)年に東名高速道路の横浜インターチェンジ(当時)の開設に伴い分断され、幹線道路としての機能は失われている。このため、現代では町田市辻の交差点より町田市街方面側のみに町田街道の名称がつけられ、東京都道141号辻原町田線となっている。都道の路線名に「辻」の地名が残っている。
 横浜町田インターチェンジ内で国道16号線現道=保土ヶ谷バイパス北端部と合流した都県境は、その先で正面から来た武蔵相模国境と合流する。その地点が多摩・都筑・鎌倉の三郡境だったのであるのだが、詳細は次回(以降)の記事にて説明する。

辻の交差点から見た、かつての町田街道保土ヶ谷方向。
ただの路地に見えますが、道路中央が都県境です。

現場付近の都県境とバス路線

現場付近のバス路線概念図("南02"と"南03"系統は省略)。
交差点名は「町田市辻」ですが、バス停は「町田辻」です。

都県境を越える路線

 町田市辻の交差点にて都県境がほぼ直角に折れ曲がっているが、この界隈で明示的に都県境を越えるバス路線は、"津01"系統長津田駅~南町田クランベリーパーク駅のみである。運転本数は平日10往復/土休日8往復。1時間間隔がベースであるが、2~3時間程度間隔が開く時間帯もある。長津田駅方面からは、大山街道の一筋南東側の道=大山街道が走る尾根筋に隣接した鶴見川水系の谷戸を走ってきて、町田市辻の1つ東隣の交差点で大山街道へ合流。ここから辻の交差点までの間は都県境上を走る。この区間、国道246号線の本線は高架化されており、バスが走る側道は西行=南町田駅方面が神奈川県横浜市緑区側/東行=長津田駅方面が東京都町田市側を走る。交差点から西側は、上下線とも東京都町田市鶴間となる。その先で国道16号線大和バイパスへ折れると、まもなく終点の南町田クランベリーパーク駅である。
 先述した通り、バス停名は町田辻であるが、南町田駅行はバス停ポールの位置の関係で停まることができない。横浜市緑区長津田町内にある柴山のバス停を出ると、次の停留所は終点の南町田クランベリーパーク駅となるので注意が必要。長津田駅行は、国道246号線側道上にある町田辻のバス停ポールに停まった後、右折し国道246号線本線=都県境を越えて長津田駅方面へ向かう。

町田市辻の交差点にて、町田市へ入る"津01"系統南町田駅行。
辻の交差点を越えると、その先で右折するため、
この写真のように右側のレーンを走るので、停留所には停まれません。
ロードサインはここにありますが、実際の都県境は交差点の中です。
町田辻の停留所を通過中の"津01"系統長津田駅行。
乗降客が居ないので、通過してます。
右折して国道246号線の高架橋を潜る"津01"系統長津田行。
バスが止まってる辺りが、ちょうと都県境のはずです。

 "津01"系統の起源は、先代の"町82"系統長津田駅~長津田辻~町田駅である。長津田辻以北は町田街道、すなわち、後述する"町87""町88"系統と同じルートを辿っていた。長津田駅付近のルートも異なっていて、駅から東方にある下長津田を経由していた。1990年代半ばに長津田辻以北を短縮して"津01"系統となった際、長津田駅周辺を現行ルートに変更した。旧来の下長津田経由も(先代の)"津02"系統として残されたが、運転本数僅少系統となっていったようであり、2003(平成15)年に完全に廃止されている。2016(平成27)年12月に長津田辻の停留所が町田辻に改称。2017(平成29)年4月に南町田駅北口駅前広場整備完了に伴い町田辻~南町田駅間が延伸され、現在に至る。
 ちなみに、長津田発着のバス路線が"長xx"ではなく"津xx"を名乗っている理由であるが、神奈川中央交通の路線としては、小田急江ノ島線長後駅発着路線が先に"長xx"を使っていたためであると推定される。"津xx"を使う路線は、JR総武線津田沼駅発着の路線があるが、別のバス会社であり、場所も離れているので問題は少ない。

都県境を掠める路線

 町田辻の交差点では、北西の町田駅方向からやってきて国道246号線を南東へ向かう都県境を掠めていく路線がある。”町87”系統町田駅~鶴間駅東口と、その出入庫系統である"町88"系統町田駅~鶴間車庫が該当する。バス停名は鶴間車庫だが、営業所名は大和営業所である。前者が毎時1本程度の運転/後者は出入庫時限定である。
 町田街道から国道246号線へ右折で曲がりこむ鶴間駅方面の便は、交差点内にて一瞬だけ都県境を越えている可能性がある。町田辻のバス停ポールは、その先、旧大山街道に斜めに入ったところにある。町田駅方向の便は、町田市辻の交差点は左折となるため、都県境を越える可能性は無い。この方向の町田辻のバス停は、町田街道に左折した先にある。

町田市辻の交差点を右折中の"町87"系統鶴間駅東口行。
この走行ラインだと、都県境を跨ぐかどうか微妙なところ。
交差点を越えると、すぐに左斜めに曲がって旧大山街道へ入るため、
左側車線を走行します(ただし、これは回送便です)。

 夜間に片方向のみ運転される"南03"系統南町田クランベリーパーク駅~マークスプリングスは、国道16号線南行車線から旧大山街道へは、両者の交差点が右折禁止であるため直接入ることができないため、一旦、国道246号線側道へ左折し東京方向へ進む。その後、町田市辻の交差点でUターンするように右折を2回行い、この時に都県境を一瞬だけ越える可能性がある。逆方向の運転は無い。
 これら3系統は、町田市辻の交差点から国道246号線の側道に入ると、上述したように、すぐに左斜め前方向に分岐する大山街道旧道へ入り、町田辻の停留所に停車する。その先、大山街道の旧道を走る区間にて正式に都県境(と旧国境)を越えるので、次回以降の記事にて詳細を述べる。
 なお、朝~夕刻のマークスプリングス行と、マークスプリングスからの南町田駅行は終日、途中無停車の"南02"系統として運転される。国道246号線現道=バイパスを走り、南町田駅の入口がある国道16号線大和バイパスとは東名入口の交差点で直接行き来できるので、町田市辻の交差点には来ない。

都県境を越えた路線

 先代の"町82"系統が存在した頃には、"間06"系統鶴間駅東口~長津田辻(当時)~長津田駅という路線が運転本数僅少系統ながら存在した模様。この系統は、2003(平成15)年10月、先代の"津02"系統と共に廃止されている。ただし長津田辻(当時)~長津田駅間の経路は、先代の"町82"系統や現行の"津01"系統とは異なったらしく、横浜市緑区長津田町方面へ都境界を越える地点は異なっていた可能性があるが、詳細は不明である。鶴間方面へは、上述した"町87"系統などと同じく、旧大山街道を走っていたようなので、都県境を越える地点も同じであったと推定される。
 なお、2024年2月の時点においても、この界隈の国道246号線現道=高架道路側を回送にて一直線に走っていくバスが確認されている。小田急江ノ島線鶴間駅から少し離れたところにある大和営業所(バス停名は鶴間車庫)への出入庫便であると推測されるが、反対側のどこまで回送でもっていくのかは不明である。可能性としては、すずかけ台駅・つくし野駅・青葉台駅が挙げられる。

現場付近の自治体の変遷と分水嶺

自治体の変遷

 先述したように、江戸期において、旧多摩郡側は、町田街道以東(=辻の交差点北側)が武蔵国多摩郡小川村、以西(=辻の交差点西側と南側)が武蔵国多摩郡鶴間村である。鶴間村については、この地域では1596年に行なわれた太閤検地によって武蔵国多摩郡の所属となることが確定している。それ以前は、武蔵・相模の国境があやふやになっていたようで、相模国高座郡に属していた可能性もあるが、詳細は不明である。いずれも1989(明治22)年の町村制施行で、周辺の村と合併して神奈川県南多摩郡南村大字小川・鶴間となる。1954(昭和29)年に町田町と対等合併して町田町大字小川・鶴間となった後、1958(昭和33)年に忠生村・鶴川村・境村と合併して市制施行、町田市小川・鶴間となる。
 旧小川村エリアでは、1971(昭和46)年に南つくし野が分離する。町田市辻交差点にかなり近い所まで 南つくし野 になっているが、交差点に接する付近は小川のままである。旧鶴間村エリアで南町田が分離したのは2016(平成28)年と、かなり最近である。
 旧都筑郡側(=辻の交差点東側)は武蔵国都筑郡長津田村であった。1989(明治22)年の町村制施行で、奈良村・恩田村と合併して神奈川県都筑郡田奈村となった後、1939(昭和14)年に横浜市に編入され横浜市港北区長津田町となっている。1969(昭和44)年に分区により所属区が緑区となったが、1994(平成6)年の区再編の際に、旧田奈村エリアのうち、奈良・恩田エリアは青葉区となったが、長津田エリアの所属は変わらず、緑区のままである。

自治体の境界と分水嶺

 町田街道の南西側になる多摩郡鶴間村=現在の町田市鶴間と南町田の領域は、相模湾にそそぐ境川水系に属する。
 辻の交差点より北西側の町田市街方向は、概ね町田街道が鶴見川水系と境川水系の分水嶺を辿っているはずなのだが、尾根筋が極めて緩やか=不明瞭?であることから、正確に分水嶺がどこにあるのかは判別しにくい。この区間の町田街道は多摩郡鶴間村と小川村の境界となっていた。地形図を眺めてみると、境川の流域が旧小川村側にはみ出していると思われるエリアが、若干、存在しているように見受けられるが、市街化が進んでいることもあり、正確な分水界を知るためには、側溝レベルでおいかける必要があるように思われる。

辻の交差点から見た、町田街道の町田市街地方向。
分水嶺の上に乗ってるようには全く見えないですが、
画面右手やや奥には、谷が食い込んできてるようです。

 辻の交差点より南東側の区間において、鶴見川水系と境川水系の分水嶺は、都県境=町田街道より横浜市側にそこそこ食い込んでいる。実のところ、辻の交差点直近の国道246号線=大山街道が乗っている尾根が、数百mの間だけだが分水嶺になっている。具体的には、辻の交差点付近から拡幅された大山街道沿いに坂を登り切ったあたりまでが、分水嶺を辿る区間になっている。坂の頂点から分水嶺は右手=南東方向に折れ曲がっていき、横浜市内唯一の一等三角点を持つ高尾山(標高100.46m)へとつながっている。この辺りまで来ると、東急田園都市線すずかけ台駅が近い。
 ここから南東側の分水嶺は、現代の行政区画の境界や、かつての国境・郡境・村境から外れて複雑な動きを見せるが、詳細は次回(以降)の記事で解説する。

おそらく、国道246号線が乗る尾根が分水嶺となっていると推定される区間。
画面中央の木が生い茂ってる辺りで、分水嶺は右手へ進むようです。

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