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境界を越えるバス/都県境編12/成瀬尾根横断地点

東京都神奈川県境編12(多摩丘陵編7)
2023年5月現地調査実施
2024/1/30 初版暫定公開

データ類は特記なき限り2024年1月現在のものです。
画像・写真類は特記なき限り筆者自ら作成・撮影したものです。

町田市・川崎市麻生区・横浜市青葉区の境目を激しく屈曲して抜けてきた都県境は、その先、成瀬尾根にそって暫く南下します。多摩川河口から都県境の西側を時計回りに辿って来たはずなのに南下している=逆行してるように見えるわけなのですが… 武蔵・相模国境との合流点まで、もう少しです。


現場付近の都県境=成瀬尾根

成瀬尾根の概略位置。
ベースの白地図は freemap.jp より。

 この辺りの都県境は、町田市南端部の東側を辿る。横浜市青葉区の西縁でもある。前記事で説明したように奈良北団地の東側付近で、一旦尾根筋は消失していたが、南下を始めるとすぐにそこそこしっかりした尾根筋となり、成瀬尾根と呼ばれている。
 成瀬尾根の西側=東京都町田市側は、玉川学園地区の東側に続く成瀬台として比較的早い段階から開発が進んでおり、尾根稜線すぐ近くまで宅地化されている。この辺りの尾根を挟んだ反対側=横浜市青葉区側は、西側と比べると比較的近年になり開発されたエリアで、尾根稜線との間に自然の緑地が残っている部分が多い。宅地化が進行した結果、東急こどもの国線が通勤路線化されたが、それにより開発が更に進んだようである。

成瀬台北端付近の尾根筋にて。
左が町田市成瀬台。右側が横浜市青葉区奈良地区です。
この写真は2022年2月撮影。

 都県境の尾根を南下、後述するバス路線が通る成瀬尾根トンネルを越えると、両側とも緑地、もしくは、農地となり、東京・横浜近郊とは思えない長閑な風景が広がる。更に南下すると、町田市側は緑地を挟み昔からある成瀬の集落に近づくが、横浜市側が尾根筋ぎりぎりまで開発された、あかね台地区となる。

成瀬尾根トンネルよりやや南側の、成瀬尾根上の遊歩道。

 この間、非常に明瞭な尾根筋が続いていたが、鶴見川水系に属する恩田川に突き当たる箇所で尾根筋は消失。川を挟んだ反対側に明瞭な尾根筋がなく、一見しただけではどこに都県境が続いていくのかわからない状態になっている。実際、恩田川南岸のこの付近は江戸時代以前には沼?が広がっていたらしく、境界を明瞭に定められるような地形の特徴は、昔からなかったようである。

成瀬尾根南端部。尾根上の道を辿ってくると、画面左端の白い家の右側にでてきます。
が、直接成瀬街道に降りる道は、階段を含めてありません。

成瀬尾根を越えるバス路線

 末端部も含め、成瀬尾根を横切る形でバス路線が越えている箇所は3箇所ある。1箇所目は尾根が明瞭化してまもなく掘割にて横切る、成瀬台折り返し場付近。2箇所目は成瀬台・奈良側共に開発済みエリアの南端に近い、成瀬尾根トンネルが横切る地点。3箇所目は恩田川の手前、尾根が消失する地点にて横切る成瀬街道である。成瀬街道は古くから存在する道であるが、前2者はこのエリアの宅地開発により作られた道で、前記事で解説した奈良北団地北側の道よりも新しい。
 以下、この3地点を、都県境としては時計回りに辿った順に解説する。なお、全路線、神奈川中央交通東大和営業所が担当である。営業所=車庫は、小田急江ノ島線鶴間駅付近(東側)にある。

成瀬尾根を横切るバス路線。だいぶデフォルメされてるので要注意。
停留所は、都県境前後と折り返しがある停留所のみ掲載。
関連系統も記載。運転本数僅少系統は省略。

 なお、本記事中でバス路線の行先などを示す表記として「町田駅」と記しているが、到着便は「町田バスセンター」が正式な停留所名になる。出発便の停留所は時間帯により「町田バスセンター」(概ね午前9時以前)と「町田ターミナル」(概ね午前9時以降)に分かれる。「ターミナル」と「バスセンター」の間はさほど離れていないが、実際に利用する場合は留意しておいた方が良い。小田急線の高架下で、駅前ロータリーっぽくなってる場所が「町田バスセンター」、JR町田駅の南東方、独立ビル内にあるバスターミナルっぽくなってるのが「町田ターミナル」である。

成瀬台折り返し場付近

 成瀬尾根を掘割で越える地点で、尾根筋を行く道のために、陸橋がかかっている。都県境を明示的に越えていくバス路線は"成04"系統成瀬駅~成瀬台~こどもの国駅のみである。運転本数は昼間帯のみ1日5往復とあまり多くない。2000(平成12)年に、東急こどもの国線の通勤路線化を受け、こどもの国駅西口駅前広場の整備が完成した時に設定された。その当時は毎時1便程度の運転であった模様。2017(平成29)年にダイヤが見直され、大幅に減便されたらしい。
 なお、現場付近に都県境を示すロードサインは見当たらなかった。

都県境を行く"成04"系統こどもの国駅行。
陸橋=尾根筋=都県境です。横浜市青葉区側から撮影。
都県境を越えている"成04”系統成瀬駅行。
町田市側から撮影。

 成瀬尾根をバス道路が横切る地点からほど近い町田市側に、成瀬台のバス停留所場が、折り返し場とセットで設けられており、ここから町田市側に行くバスはそこそこ本数が多い。このうち"成04"系統の親系統となるのは、東急田園都市線つくし野駅まで運転する"つ01"系統とJR横浜線成瀬駅折り返しとなる"成01"系統の2系統であり、"成04"系統も合わせて毎時2本程度の運転である。"成04"系統が運転される日中の時間帯には"成01"系統は運転されないが、"つ01"系統は運転される。この他、朝の通学時間帯に昭和薬科大を経由するが"成05"系統があるが、成瀬台方向のみの運転で本数も少ない。
 この他、成瀬台の停留所からは町田駅まで行く "町74""町76"系統も設定されている。前者は毎時1本弱程度、後者は毎時2~3本の運転。長津田駅に行く"津02"系統も毎時1~2本運転されるが、この系統については次節で紹介する成瀬尾根トンネルで都県境を越えるので、そこで説明する。

都県境の陸橋。
奥の方の信号交差点、バスが出てきてるところが折り返し場。
成瀬台折り返し場全景。
左側の陸橋が都県境。

 横浜市青葉区側の最寄りの停留所は駒狩公園前であり、このバス停には"成04系統しか通らない。ただし、このルートをこどもの国駅方面からやってきて成瀬台の折り返し場に入る回送便が通ることを確認している。この方向からやってくるバスは、後述する"成03"系統用の車両しか考えられないが、これについては後述する。

駒狩公園前のバス停を経て成瀬台へ向かう道。
画面一番奥の道が左に曲がる辺りが都県境です。
"成04"系統の他、回送も通ります。

成瀬尾根トンネル付近

成瀬尾根トンネル西口=町田市側。
成瀬尾根トンネル横浜市青葉区側。
トンネル内の市境標識。
普通のロードサインは見当たらず。

 ここを通るバス路線は2系統ある。1つは、先述した"成04"系統の経由違いにして親系統となる"成03"系統成瀬駅~奈良2丁目~こどもの国駅で、成瀬台は経由しない代わりに、成瀬尾根東側の横浜市青葉区奈良町地区の新興住宅街を経由する。毎時1~2本程度の運転。運転開始当初は、こどもの国駅前広場が未整備だったため、現在の"成04"系統のルートを走り、都県境の手前、現在の駒狩公園前付近に設置された、本系統専用の成瀬台停留所で終点となっていた模様。こどもの国駅駅前広場整備により"成04"系統が開設された際に、"成03”系統もこどもの国駅までに路線短縮された。ただし、前節で述べたように、折り返しのタイミングによっては成瀬台折り返し場まで回送して休憩を行っているようである。
 もう1つは、前節で少しだけ触れた”津02"系統長津田駅~成瀬台である。この系統は成瀬尾根東側のあかね台を抜けてきた後、トンネルをくぐって町田市側に移って、成瀬台の中を縦断する形で折り返し場に至る。毎時1~2本程度の運転であり、2014(平成26)年、長津田駅北口駅前広場の整備に伴って開設された路線である。トンネルの長津田駅側にある奈良3丁目で折り返す”津04"系統が、混雑時間帯のみ運転される。
 成瀬トンネルの開通は1995(平成7)年。直近の停留所は、町田市側がしあわせ野、横浜市側は”成03”系統がトンネル東側の交差点を東に直進した熊ヶ谷/”津02”系統が交差点を南に折れた奈良3丁目である。

成瀬尾根トンネルに入る"津02"系統長津田駅北口行。
しあわせ野のバス停発車直後です。

成瀬街道(成瀬尾根南端)

 ここまでの2箇所は横浜市道/町田市道であったが、この道は神奈川県道・東京都道140号川崎町田線である。

現場の風景。町田市側から撮影。
左側にしか尾根はありません。
右方向少し離れたところに恩田川がながれてます。
横浜市青葉区側から撮影。右側が成瀬尾根末端部。
恩田川の方向(画面左手)は開けてます。

 この道を通るのは、現在では"町77"系統町田バスセンター~長津田駅北口がほぼ全てである。毎時1本程度の運転。2014(平成26)年8月31日より長津田駅北口駅前広場の整備に伴い設定された。町田市側の区間運転便として、都県境は越えずに南に向かって成瀬駅折り返しの"町75"系統がある。前節で述べた成瀬街道から北に向かって成瀬台へ至る"町74"系統も町田市内ではほぼ同一経路を走る。いずれの系統も毎時1本程度の運転なので、町田市内の成瀬街道は、毎時3本程度の運転となる。

横浜市青葉区側から撮影。このバスは回送。
この画像のみ2022年11月撮影。
町田市側から撮影。
実はこの車両も回送。どこまで行くのかは不明。
こっちは正真正銘"町77"系統町田バスセンター行。

 これらの系統は、以前は青葉台駅まで行く"町73"系統が主力であり、毎時2本以上運転されていた。が、長距離路線であるが故に遅延が多く、2010 ( 平成22)年1月のダイヤ改正で、一部の便の区間運転便に相当する"町75”系統への振り替えが行われた。その後、上述したように、2014(平成26)年に青葉台駅発着便は全便長津田駅北口発着の"町77"系統に振り替えられている。
 なお、2024(令和6)年現在、青葉台駅発の"町73"系統は、平日にのみ町田行が1本だけ存在する。2016(平成28)年に平日早朝に1往復のみ復活したのだが、2023(令和5)年に青葉台行が廃止され片道運行となった。この区間運転系統で十日市場駅発の"町70"系統もあるが、こちらは町田行が土曜日に片道1本だけの運行である。廃止と復活は"町73"系統と同時期であるが、復活当初から片道運行であった。
 ちなみに、欠番となっている"町71"系統は青葉台駅から更に横浜線中山駅まで至る路線であったが、2016(平成28)年に廃止されている。"町72"系統は田奈駅経由で長津田駅の南口に回り込む路線であった。北口が未整備のため道路が狭隘でバス乗り入れができなかった。2014(平成26)年、北口駅前広場整備に伴い廃止。いずれも運転本数僅少系統であった。
 なお、"町77"の系統番号記号は二代目である。初代は、お買い物バスとして休日日中にのみ設定された、町田駅~十日市場駅~若葉台の系統である。1986(昭和61)年~1997(平成9)年の間、運転されていた。

成瀬尾根付近の自治体の変遷

 現代の町田市側は、江戸期には武蔵国多摩郡成瀬村であった。1884(明治17)年に周囲の鶴間村・小川村・金森村・高ヶ坂村と五ヶ村連合を構成した後、1889(明治22)年の町村制施行に伴い合併して神奈川県南多摩郡南村大字成瀬となる。多摩地区の東京府移管/東京の都政施行を経た後、1954(昭和29)年に隣の東京都南多摩郡町田町に合併。1958(昭和33)年に周辺の村と合併して市制を施行、東京都町田市大字成瀬となる。1975(昭和50)年に成瀬台の町名が設定され、現在に至る。
 現代の横浜市青葉区側は、北半分は武蔵国都筑郡奈良村、南半分は恩田村であった。1989(明治22)年の町村制施行で、長津田村も加えて合併し、神奈川県都筑郡田奈村大字奈良・恩田となる。1939(昭和14)年に横浜市へ編入され、港北区奈良町・恩田町となる。1969(昭和44)年に分区で横浜市緑区の所属になる。1994(平成6)年の区再編で青葉区となり、現在に至る。この時、旧長津田村→長津田町エリアは緑区に残留している。あかね台が恩田町から分離して町名として制定されたのは、1990 (平成2)年である。成瀬尾根北部の東側になる奈良一丁目~六丁目が制定されたのは1996(平成8)年であるが、その北側になる奈良北団地周辺地区は、丁目のない奈良町のままである。

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