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11月28日は亡き祖父の誕生日🎂

タイトルのとおりなのですが
本日11月28日は
母方の祖父の誕生日です。

亡くなってからは
もう10年以上経っていますが
やっぱりいまだに寂しいし
時々とても会いたくなります。

あまり喋らない方で
ぶっきらぼうだけど優しくて
私をとてもかわいがってくれました。


時期になると近くの川へ鮎釣りに行き
釣った魚を夕飯で食べたり

近所の人とゲートボールをしたり

元気なときは
自転車であちこちに出かけていた
イメージがあります。

私が小学生のころ、
近所の農家さんたちに教わりながら
学校の田んぼで毎年米作りをするという
体験学習がありました。

その講師の一員として来ていた祖父と
一緒に田植えや稲刈りをした思い出があります。

タイトルの写真がそのときのものです。
祖父は写ってないけど(^ω^;)


お米も野菜も育てるのがうまくて
食卓に自家製野菜がよく並んでいたなぁ。

どれもおいしかったです。


冬場になるとよく一緒に雪かきをしていました。

雪捨て場や雪山を庭に作って
いつも綺麗に除雪されていて
それが当たり前と思っていたけど

綺麗に除雪するのって
実はとても難しいのよね。

祖父スゴイ。


お風呂上がりには
祖父の足にできたあかぎれに
私がテープを貼ってあげると
とても嬉しそうな顔をしてくれました。
(体が硬くて自分で貼れなかった。笑)

あ、あと背中がかゆいときに
かいてあげるとすっごい喜んでくれた。


お金を貯めるのがとても上手い人で、
家を大掛かりなリフォームしたときには
金額は分からないけど
祖父が現金一括で支払った
と、後から聞きました。

一時期仲良くしていた建築士の知り合い(今は疎遠)
が家に来たときには
家の造りを本気のトーンで褒めてくれました。

たぶん、リフォーム代は
相当な金額だったと思います。

また、私が専門学校へ入学するときのお金も
ポンと出してくれました。

これは私が社会人になったら返す
という約束で祖父に借りたお金だったのですが
結局返さずじまいで…
その前に祖父は亡くなってしまいました。
(代わりに祖母に渡そうとしたら拒否された)


祖父は日本酒が好きでした。

酒癖は…あんまり良くなかったと思います。

だけど一度でいいので
私がつまみを作ったりして
一緒にお酒を飲んでみたかったなぁ。


亡くなったときのことも
今でも鮮明に覚えています。

当時専門学生だった私は
勉強とバイトで
それなりに忙しい日々を過ごしていました。

そんなときに
祖父に大きな病気が見つかって
入院することになりました。
(後で聞いた話だとそのとき余命も言われてたらしい)

私は病名は聞かされていませんでしたが
合間を縫ってお見舞いに行っていました。

しばらく私が行けない期間があって
祖母や叔母や母から
祖父の様子を聞いたりしていました。

大きな声で私の名前を呼んでいた、
という話も聞きました。


そして、ある土曜日か日曜日だったと思います。

たまたま祖母、叔母、いとこ、母と私
みんなの予定が合うときがあり
揃って祖父のお見舞いに行きました。

病院に着くと
とても穏やかな顔で寝ていました。

そのときは
まさかその日が最期の日になるとは
全く思っていませんでした。

入院中に別の病気も見つかった
という話は聞いていたので
起き上がったり、喋ったりすることは
なかなか難しいという状況はずっと続いていました。

その日もそんな状況で
血中酸素?を計測する機械や心電図、
尿の管などあらゆるものを体に付けて
静かに休んでいました。

けっこう長時間病院にいて
ご飯を食べたり院内を散歩してみたりして
それでも私はなぜか帰りたくないと感じたし
他の家族も誰も帰ろうとしませんでした。

と、祖父の様子が変わり
だんだんと呼吸が乱れて
心電図のモニターから音が鳴ります。

看護師さんや医師も病室に来ました。

私たちは必死に声をかけました。

どのくらいの時間が経ったのだろうか
今考えると
長かったようにも短かったようにも思います。

だんだん呼吸のペースがゆっくりになり
最期はあごで
なんとかなんとか
やっと呼吸をするような様子で…。

そして息を引き取りました。

しばらくは現実を受け止められなかったです。

その後のこと
いつどうやって家へ帰ったか、
などはあまり覚えていません。

だけど、
それぞれが忙しい日々の中
一家揃って看取ることができたのは
すごい奇跡だよね、さすがじーちゃんだね、
というような会話をしたことは覚えています。


お葬式のときには
手紙を書いて棺の中へ入れました。

おそらく
私が初めて祖父へ宛てた手紙です。


祖父のことを考えると
もっと優しく接していたら良かったな、とか
あのときもっとああしていれば、など
後悔していることがいくつもあります。

高校生のときだったかな
敬老会か何かでいつもよりおしゃれした祖父が
「写真を撮ってほしい」
と私に言ってきました。

私はたぶん
仕方ないなーって
面倒くさそうな態度だったと思います。

ちょっと表情が固い祖父の写真
それを見せるとすごく嬉しそうにしてくれて
「これを遺影の写真にしてね」
なんて言う祖父。

『縁起でもないし嫌だよ』
私のことなのでそんなことを言ったと思います。

そんな何気ない日常のほんの些細なやりとり
忙しい毎日の中でいつしか薄れていた記憶。

いざ祖父が亡くなり
遺影の写真をどうするか?
と家族で話し合いになるまで
その出来事のこともすっかり忘れていました。

結局その写真はすぐに出てこなくて
遺影には
祖母や叔母たちが選んだ写真を
使うことになりました。


もっと祖父の言葉に耳を傾けて
大事にしてあげられたらよかった。

何も分かってない自分が子供すぎた。

大人になってやっと分かった祖父の愛情。

いなくなってから気付いても
もうどうすることもできません。


なので、これは本当に声を大にして言いたい。

会いたい人には会うべきだし
伝えたいことは伝えられるときに伝えるべき!!

大事にしてくれる人を大事にして
後悔しないためにも人に優しく。

誰しも永遠なんてないのだから
何気ない日々を、瞬間を大切に。


先日、宗教の勧誘が家に来て
「人は亡くなったらみんな同じ場所に行く」
「生きてるうちに祈りを捧げると救われる」
みたいなことを言っていました。

明日のことも分からないのに
その先のことを今から考えるよりも
今できることを精一杯やった方が
豊かな人生を送れると思うんです。

死んでからのことは
死んでから考えたらいいじゃん
ってのが持論ですね。

※個人的な意見です。


とにかく、
反省しても後悔するな
後悔するならやらないよりもやった後悔
をモットーに
日々を大事に胸張って生きていこうと思います。

はっぴーばーすでー
じーちゃん😁🎉

#誕生日

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