なぜ自転車のヘルメットは努力義務になったのか

道路交通法改正により2023年4月より自転車のヘルメットが努力義務になりました。
ヘルメットをかぶった方が安全性が高まるのは間違いないし、決まった以上「かぶるよう努める」のは当然なのですが、多くの人にとっては急に決まったような印象ではないでしょうか。なぜ法改正してまでヘルメットを努力義務にしたのでしょうか。

ヘルメット努力義務には課題はないのか

さてこの努力義務化、世の中も概ね好意的に受け止めているようですが、中には反対論もあるようです。ざっとネットを見ていくと、

① 自転車に乗らなくなる人が増える
② 事故の責任の一部が自転車側にシフトする
③ 自転車のみに課すのは不公平
④ 他にすべきことがあるはず

という感じでしょうか。

①は実際にオーストラリアやカナダなど起きたケースで、オーストラリアのある州ではヘルメットを義務化したために利用者が20~40%減少したという話があるようです。
そもそも自転車は自転車活用推進法により活用を推進すべきものと位置づけられており、その理由として法律では「二酸化炭素、粒子状物質等の環境に深刻な影響を及ぼすおそれのある物質を排出しない」「騒音及び振動を発生しない」「災害時において機動的である」等の特性があり、また自動車依存を低減することが「国民の健康の増進」「交通の混雑の緩和」等公共の利益があるものとされており、まさにいいことづくめです。そのいいことづくめの自転車の利用が減ってしまったら本末転倒ではないか、という主張です。

②は、事故の際にノーヘルであることを責められるようになる、という懸念です。仮に自動車対自転車の事故で責任割合が10:0のような事故であっても、ノーヘルであれば被害者にも落ち度がある、という見方をされてしまうかもしれません。実際に自転車事故を扱う記事の中でノーヘルだったことを強調する記事も現れており、あくまで努力義務なのでかぶっていなくても違反ではないのですが、ノーヘルが悪いと言わんばかりです。またコロナで現れたマスク警察のような「ヘルメット警察」が現れて、ノーヘルの自転車ユーザーを糾弾するという軋轢も生じるかもしれません。

③は、確かに自転車に乗る時にヘルメットをかぶった方が安全には違いないが、それを言うなら歩行者や自動車だってヘルメットをかぶった方がより安全だろう、という主張です。やや屁理屈であり感覚的には程度の問題ですが、程度の問題だというなら、自転車にヘルメットの努力義務を課してもよいとする相当な危険性が科学的に立証できるのか?(明確な線引きが出来るのか?)という反論が成り立ちます。

④は、以前から指摘されている自転車のインフラや法制度の不備、あるいは違反行為が放置されている状態です。ヘルメットをかぶらせる前にこういう現状を先に何とかすべきではないかという主張にも一理あります。

ここではこれら主張の妥当性をいちいち検証しませんが、努力義務化により安全性が高まるとはいえ議論の余地があるのも事実であり、どのような議論を経て今回の法改正に至ったのだろうか?というのが本稿の趣旨です。法律が出来た以上それに従うのは当然ですが、経緯がはっきりしないのはモヤモヤしますよね。しまいには荒唐無稽の陰謀論まで現れる始末で、誰も解説してくれないので仕方なく少しだけ調べてみました。
(なお、努力義務化の問題点については他にも様々指摘するサイトはあるのでご参照ください。)
https://criticalcycling.com/2023/03/new-bike-helmet-law-in-japan/
https://web.archive.org/web/20230310033303/https://www.scope-inc.co.jp/view/dmc_report_2303/

そもそも国会ではどんな議論があったのか

まず道路交通法改正の国会審議を見てみましょう。この改正法案は2022年の通常国会に提出されています。その概要を警察庁サイトから引用してみます(赤線は筆者追加)。


まさか自転車ヘルメット努力義務化だけで玉になるとは思っていませんでしたが、予想以上にてんこ盛りの内容ですね。①自動運転、②電動キックボードと自動配送ロボット、③免許証とマイナンバーカードの一体化、④その他、という4本立てのうちの「その他」の中に潜り込んでいます。幕の内弁当の端っこの方にある枝豆くらいの扱いです。これでは国会審議でもほとんどスルーされたのでは?という不安がよぎります。
道路交通法改正は警察庁所管法令なので衆・参の内閣委員会で審議されます。中身を見てみましょう。

まず参・内閣委(2022.4.12)。関連質問は浜田昌良委員(公明党)のみ。

 (前略)今回のこの条項を置いた趣旨はどういうことであるのか。特に今後の着用促進策ですね、努力義務ですから促進策をしていく必要があると思うんですけど、それをどのように取り組んでいかれるのか、大臣のお考えをお聞きしたいと思います。
 ヘルメットをかぶっておると非常に致死率が下がるということは現実に数字で明らかでございますから、そういうことを推奨はしてまいったわけでございます。特に小学校、中学校のレベルでは徐々に進んでおりますけれども、その他の年代ではまだまだ着用が浸透しておらず、ヘルメットの着用時と非着用時で致死率が大きな違いがあるということをもっともっと宣伝といいますか、啓発をしていかなきゃならぬなと、このように思います。令和三年三月に決定された第十一次交通安全基本計画においても、全ての年齢層の自転車利用者に対してヘルメットの着用を促すべきだとされておるところでございます。
 そこで、今回の改正案では、このような情勢を踏まえて、全ての自転車乗用者に対して努力義務を課すこととしたものでございます。ヘルメット着用率の向上を図るためには、今申しましたように、頭部の保護の重要性やヘルメット着用による被害軽減効果を更に周知する必要があるのではないかと考えております。
 引き続き、関係機関、団体等と連携し、効果的な広報啓発活動を行うよう警察を指導してまいりたいと思っております。
 普及、広報の一環だと思うんですけど、ヘルメットも割と格好いいヘルメットもあるんですよね。そういうポスターをかなり貼っていただいて、若い方が、乗るんならこれかぶりたいなと思うような感じで、そういう斬新なやつもやっていただきたい。

ここではちゃんと着用促進せよという安全サイドの文脈での議論でした。ただし答弁で重要な情報が出てきました。「第11次交通安全基本計画」(2021.3)が発端の一つらしいので、これは後で見てみましょう。

次に衆・内閣委(2022.4.15)。河西宏一委員(公明党)のみ関連の質問をしています。

 全年齢でヘルメット着用を義務化するとインパクトが大き過ぎるために今回は努力義務にとどめたという点は、これは理解をするんですけれども、今回のような事故を根絶をしていくためにも、少なくとも子供についてはヘルメット着用を義務化してもいいのではないか、そういった方向の検討もあってもいいのではないかというふうに考えますけれども、政府の見解をお伺いをいたします。
 (前略)特に子供についてヘルメットの着用を義務化するかどうかにつきましては、今後の着用率の推移を見ながら検討してまいりたいというふうに思っております。

要するにもっと厳しくせよという安全サイドに寄った質問です。他にも啓発をしっかりせよとの発言もありました。また、いくつか懸念点も提示されています。

 現場で伺っておりましても、ヘルメット着用に抵抗があるのはやはり女性の皆様始めファッションなどを大切にされる方々で、これからの夏場は特に影響も大きいんだろうというふうに思っております。また、自転車を止めた後にヘルメットが盗難されないのか、あるいは持ち歩くにも手が塞がるというような御懸念もあるというふうに伺っております。
 そこで、これは提案になるんですが、最後の質問であります。ヘルメット着用の普及を進める警察庁自身が是非先頭に立っていただいて、率先垂範の姿をお示しいただきたいと思っております。
(中略)
全国の警察官でヘルメットの着用を徹底的に推進をしていただく、そして国民の方々にアピールをしていっていただきたい、こう思うわけでありますけれども、大臣のお考えを伺います。
 (前略)引き続き、警察官によるヘルメットなどの着用促進を図るとともに、関係機関、団体などと連携し、効果的な広報啓発活動を行うよう警察を指導してまいりたいと思っております。

ファッションに由来する抵抗や盗難の懸念から着用が進まないと困るので警察官が率先してかぶれという話で、やはり安全サイドの議論のようです。
以上、衆・参いずれでも公明党以外は関心がなさそうで、公明党も基本的には政府案を応援するスタンスでの質疑にとどまっています。ちなみに採決では共産・れいわが反対の立場を取りましたが、これは主に電動キックボードの規制緩和に反対との趣旨のもので、自転車ヘルメットは反対の理由として挙げられていません。いずれにせよ政治レベルから出た話ではなさそうですね。

第11次交通安全基本計画

ではこの話の震源地はどこなのでしょうか。審議に登場した「第11次交通安全基本計画」を改めて見てみましょう。本文や検討経緯は内閣府サイトにあります。
本文p.17に次の記載があります。

自転車については,自動車等に衝突された場合には被害者となる反面,歩行者等と衝突した場合には加害者となるため,全ての年齢層へのヘルメット着用の推奨,自転車の点検・整備,損害賠償責任保険等への加入促進等の対策を推進する。

この「全ての年齢層へのヘルメット着用の推奨」がキーワードのようです。ただしここでは努力義務とは書かれていません。これだけ見れば(警察が)もっと啓発活動をしなさいと書いているように読め、直接には努力義務化に結び付きません。ではこの文言はどういう経緯で入ったのでしょうか。この計画を検討した「中央安全対策専門委員会」の議事録を見てみます。

第1回会議(2020.6.26)に気になる発言がありました。

先ほどから自転車事故の問題が出ているのですけれども、今回の資料を見せていただくと、ヘルメットの使用という観点が抜けているように思います。自転車はヘルメットの着用率を上げれば、かなりの重傷者数が減ると思います。車のシートベルトと同じように自転車のヘルメットの着用促進というのも考えていただけたらと思います。(水野委員)

これは名古屋大学の水野幸治委員の発言です。水野委員の研究課題は自動車衝突時の乗員保護、交通弱者の保護、小児の交通外傷などであり、「自転車ヘルメットの衝撃保護性能の研究」(2013)との論文も発表しているようです。
今回も研究分野に沿った安全面からの指摘であると見ていいでしょう。この会議のあと、第1回資料には存在しなかった「全ての年齢層へのヘルメット着用の推奨」という文言が第2回資料(骨子案p.8)に登場するので、この水野委員の発言が元になったと考えて間違いないでしょう。水野委員がどの程度の意味で発言しているのか不明ですが、「車のシートベルトと同じように」との言葉からもしかすると法律による義務化を念頭に置いた発言かもしれません。ただ事務局はそれはやり過ぎと考えたのでしょう、事務方の修正案では「推奨」という表現にとどまっています。なお本専門委員会ではそれ以外に第3回会議にて東京学芸大学の渡邉正樹委員が「幼児と小学生についてはもう少し強調してもよいのではないか」との発言をしているのみで、いずれにせよこの原案がそのまま計画に盛り込まれることになります。

「推奨」と「努力義務」ではたいして変わらないと思うかもしれませんが、全く性格が異なります。例えば歯磨きなら、厚生労働省が「毎日歯磨きをしましょう」というキャンペーンをやったところでまあ当然だよなと思うだけですが、「毎日の歯磨きを法律で努力義務にします」と言ったらどうでしょう。努力義務とはいえ個人の判断に帰すべき領域に法律で縛りをかけることへの違和感はないでしょうか。ヘルメットは人の命に係わると言うかもしれませんが、虫歯だって放置すれば死ぬことはあります。スピード違反や信号無視のように行為自体が他者の権利を侵害する可能性のあるものと異なり、ヘルメットやシートベルトは不作為によって被害を受けるのはあくまで本人です(加害者により大きな負担を負わせかねないという側面はありますが)。

改めて改正道路交通法をながめてみる

では、「全ての年齢層へのヘルメット着用の推奨」がどの段階で、どういう理屈で「ヘルメット着用の努力義務(道路交通法改正)」に変化したのでしょうか。ここでちょっと視点を変えて、今回の法改正の全体を俯瞰してみます。
今回の法改正の内容は前に見たとおり、大きなポイントは電動キックボード、自動運転など新技術に関する規制緩和であり、反対者は安全性の観点から規制緩和に反対するというスタンスを取っています。そういう構図の法案です(だからこそ逆に安全を強化する規定であるヘルメット努力義務化は争点になりにくい)。特に最近社会問題にもなっていた電動キックボードについて見てみましょう。電動キックボードについては以前から運転に免許が必要だったりヘルメット着用が義務だったりするせいで普及が進まないという不満が業界側にあったようです。例えば経産省のサイトに載っているように事業者からの要望を受けて国が規制緩和に動いているという流れがあります。

ここで事業者からの要望の一例(2021.1.25)が挙げられています。

・運転時のヘルメット着用を任意とすること。
・普通自転車専用通行帯の走行を認めること。
・自転車道の走行を認めること。
・自転車が交通規制の対象から除かれている一方通行路の双方走行を認めること。

「電動キックボードの規制が厳しすぎて商売にならない。せめて自転車並みに規制を緩めてくれ」という業界の切実な思いでしょうか。確かに電動キックボード側から見れば自転車はあんなにゆるゆるで野放図に運用されているのに、なぜ同じくらいのスピードで走っている電動キックボードにそんなに厳しいのか、という気持ちはわからないでもありません。この国は新しいものに厳しいということがよくあります。国内産業の競争力を強化したい経済産業省と交通安全を守りたい警察庁の間で規制緩和をめぐる綱引きになったのでしょうか。

ここで、もしかすると自転車ヘルメット努力義務化の話はこの電動キックボードの規制緩和に端を発しているのではないか、という仮説が頭に浮かびます

では電動キックボードの規制緩和についてはどこで議論されたのでしょうか。
これは警察庁「多様な交通主体の交通ルール等の在り方に関する有識者検討会」(2020.7~)が主戦場だったようです。警察庁のサイトに資料や議事要旨が載っています。

ところで一般に国が制度改正を目指して検討会などを開催する場合、まず第1回では事務局が検討の方向性やそれに関する社会情勢などを全般的に説明した上でフリーディスカッションを行い、そのあと何回かは業界、有識者、自治体など関係者から意見を聞く場を設け、それらを元に事務局が最終報告に向けた骨子なり素案なりを作って何回か揉んで完成させる、というようなプロセスを取ることが多いです。昔はいざ知らず昨今は役所が決めた結論ありきで強引にまとめるような時代ではありませんので、関係者の意見を聞いて軌道修正しながら丁寧に議論をまとめていきます。

さてこの「多様な交通主体の交通ルール等の在り方に関する有識者検討会」でも同様に、第1回で事務局が議論のアウトラインを示した後、しばらくは関係者のプレゼンターンが続き、第5回で事務局が結論の方向性を示す資料を出してきます。見てみましょう(赤線は筆者追加。「取扱注意」とあるのはおそらく検討段階で外部に出ると困ると思ったからでしょう。現在では普通に公開されています)。

この資料の見出し中の「小型中低速車」というのは電動キックボード(厳密には電動キックボードのうち速度を一定以下に抑えたもの)のことを指しますが、なんとここに「自転車も含め、ヘルメットの着用を全年齢努力義務としてはどうか」という話が出てきます。ロジックとしては、「ヘルメット着用は安全のため強く推奨すべき」→「でも電動キックボードのスピードは自転車と同程度なので、同程度の安全性があればOK」→「ならば電動キックボードと自転車の両方とも努力義務にしてしまえばよい」ということのようです。このあと検討会での議論を経て最終報告では「自転車の乗用者についても、乗車用ヘルメットの着用が定着しておらず、また、交通事故情勢を踏まえると、自転車の乗用者について、更に乗車用ヘルメットの着用を促すことが必要ではない かと考えられる。」とのマイルドな表現に改められていますが、ここが自転車ヘルメット努力義務化の震源地と考えて間違いなさそうです。
改めて検討会の資料を読んでいくと、第2回には電動キックボードのヘルメット着用義務について「自転車と同等として頂きたい。」との意見が、第5回でも「電動アシスト自転車は、中低速モビリティと同様に扱うべき。」との意見が出ているほか、現在の自転車をめぐるインフラ整備やルール無視の問題にも議論が及ぶなど、自転車との比較を強く意識した審議内容となっています。

まとめ

自転車に乗る際にヘルメットをかぶれば安全は高まりますので、自分の身を守るためにヘルメットをかぶるべきなのは間違いありませんが、ではこの突然出てきたかのようなヘルメット努力義務化はどういう経緯で出てきたのかと調べてみたら、どうやら電動キックボードの規制緩和を進める中で、事業者側からヘルメット着用についても自転車並みにしてほしいとの要望があり、同程度のスピードの出る電動キックボードと自転車のバランスを取った結果、安全性を担保するギリギリのラインでどちらも努力義務とするという落としどころになった、ということのようです。

ちなみに電動キックボードについてはヘルメットが任意になったとの誤解があるようですが、正確には「特定小型原動機付自転車」(時速20km以下の電動キックボードはここに入ります)のヘルメット着用は2023年7月より努力義務に緩和される、というのが正しいです。つまりヘルメットに関しては自転車と同等の規制となります。新たに創設されたこの特定小型原動機付自転車の区分については、ヘルメット以外にも様々なルールが出来ましたので、詳しくは警察庁のサイトをご覧ください。一見非常に難解に見えますが、ざっくり言えば原チャリルールが適用される場面と自転車ルールが適用される場面があるのでその区別を理解すれば(運転免許を持っている人なら)それほど難しくはなさそうです。なお時速20kmを超える電動キックボードは従来通り「原動機付自転車」(いわゆる原チャリ)扱いとなりますので、引き続きヘルメットは義務です。

ともあれ、ヘルメットはちゃんとかぶりましょう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?