私の人生を変えた「青春アミーゴ」
・はじめに
この話は当時、おちこぼれだった小学6年生の私の話です。
私と同じ20代後半の人であれば、誰でも知っていると言っても過言ではない、あるドラマ。
そのドラマを観て小学6年生の私は、体に電気が走ったような感覚の衝撃を受けたことを今でも覚えています。
あとにもさきにも、同じような体験をしたことはありません。
そのドラマは後に私に大きな影響を与えました。
そして、そのドラマは私の運命を変え、人生をサポートしてくれたのです。
・出会い
私は、小学4年生の頃からお笑い番組が大好きでした。
もっぱら「エンタの神様」NHKの「爆笑オンエアバトル」など、あらゆるお笑い番組を観るほどです。
時には、友達とお笑いコンビを作り、クラスの出し物で披露するくらい。
でも、そんな当時の私は人見知りで、内気な性格。
人と話すことがとても苦手な性格でした。
そんな私が、小学6年生の頃「野ブタをプロデュース。」というドラマをみて、衝撃を受けました。
画面越しに、とってもかっこよくキラキラした高校生を演じる亀梨くん。
そして何よりも草野彰を演じる山下くんを観た瞬間に小学6年生のハートがドックンドックンと高鳴り、テレビの前で小1時間集中してドラマを観ている毎週土曜でした。
言うまでもなく、私のお笑いしか興味がなく、内気で人と関わることが苦手だった性格が、少しずつ明るくなってきたのです。
・4チャンネルのドラマは面白い
日テレの夜のドラマは面白い。
当時の私はそんな風に認識していました。
というのも、小学5年生の頃、赤西くんと亀梨君の「ごくせん」がとても流行っており、私も毎週欠かさず観ていたからです。
松潤が主演だった1シーズン目のごくせんも、リアルタイムで観ていたか、再放送で観ていたかは定かではありませんが、記憶にあり面白かったことを覚えています。
周りのクラスのほとんどの女子たちは、亀派・赤西派で分かれて、毎日のようにドラマの話を繰り広げては、やら雑誌を買っただの、写真を買っただのと盛り上がっていました。
「ごくせん」が流行った頃は私はジャニーズに興味はなく、ただただ、ドラマとして面白いと感じていました。
だから、「野ブタをプロデュース。」も面白いんだろうなと思っていたのです。周りも亀がでる!と騒いでましたからね。
そして、そのドラマが始まった秋頃。
”やっぱり、おもしろい!”
”いやっ、かっこいいぞ、なんだこのイケメンは!”
と画面にくぎ付けになっていたのです。
こうやって私はどっぷりと「野ブタをプロデュース。」の沼に陥り、そして、”山下智久”という、私の人生を変えてくれる人物に出会ったのです。
・人生が変わった青春アミーゴ
こうやって、みるみるうちにジャニーズの沼にハマった私は、なんとか山Pのグッズを手に入れたくて、近所の駄菓子屋さんに売っている、写真を買ったり、アイドル誌を買ったりして満たしていました。
そして、ドラマの主題歌である修二と彰の「青春アミーゴ」が発売されることを知ると、私はつかさず友達とCDショップに行きCDを予約しました。
当時、私は合唱を習っていて、その何かの賞で”ミュージックギフトカード”みたいなものをもらい、そのギフトカードで「青春アミーゴ」を買いました。
忘れもしない始めて買ったCD。
CDが発売されるとその近辺でミュージックステーション等の音楽番組に亀と山Pが修二と彰としてよく出ていて、振りを覚えて学校で歌ったり、踊ったりしていました。
また、あるあるだとは思うのですが、ドラマのマネをして、友達と分かれる際には「バイバイセコー」だとか「〇〇だっちゃ」などと、ドラマのセリフを言いまくっていました。
あの頃が懐かしいです。
このドラマがきっかけで、"山下智久"という存在を大きく知ることとなり、”NEWS”というジャニーズグループを知り、ファンになっていくのです。
そして、私の人生のターニングポイントにはいつもNEWSや山Pがいて、いつしか、私の生きがいになっていたのです。
今は両者とも今は、色々な問題を抱えてはいるけれども、私にとっては命の恩人ならぬ、人生の恩人なわけです。
しかし、15年経った今でも彼らを応援していますし、とても感謝しているのです。
もし、私がこのドラマ・歌・彼らに出会っていなけれな、私の人生は生き生きしていなかったかもしれません。
辛かったできごとも乗り越えられなかったかもしれません。
何かに挑戦しようと思えたのも単純な考えかもしれませんが、ドラマ・歌・彼らのおかげだと今もそう思っています。
だから、本当にこのドラマ・歌・彼らに出会えたことが感謝なのです。
そして、これからも、彼らのことは応援し続けたいなと思っています。
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