ケーキの切れない非行少年たち
友人がこの本読んでるよと教えてくれて
自分も読んだなーと思いだした。
本を読んで何を思ったか、とにもかくにも「愛」であるんだなと。
その根本はやっぱり、子育てに優しい世の中なんだと思う。
子供に優しくて、そして人に優しい。
◇◇◇
「マナー」や「常識」に厳しい日本。
私もかつて、外に出歩けばイライラする事を見つけてしまう人だった。
道端に落ちているゴミを見つければ
「なんでこんなゴミ捨てるかな。そいつの人生もごみだらけになれ!」
子どもが好きなのにぶつかられれば
「親、謝るべきでは?」
「人に迷惑かけるな
それがマナーでしょ」
同時に、そんな自分も嫌だった。
イライラする、その気持ちを持つのが苦しかった。
それをどうにかしなくちゃ、と思った。
人を許せる人になりたかった。
もっと遡れば、過去にいじめてきた人、裏切られた人のことも許したかった。
ダライ・ラマの「許す人」という本をみつけ、勢いよく手に取ったが、何も響いてこなかった。
解決するすべがなかった。
でも、犬の散歩の間に、ゴミ拾いをした。
スッキリすると心が軽くなった。
その後犬が病気になるのだけど、助かったのはこのおかげだと思った。
人を裁いてしまう。
そういう人は親に厳しく育てられた人に多いらしい。私もそうだった。
レーネンさんの、「行動に良い悪いもない」という言葉を胸に過ごした。
けれど、娘になにか言うとき、どうしょうもない固定概念に悩まされた。
娘にも、人をジャッジする人になってほしくない。
◇◇◇
以前は許せなかったこと、例えば
電車で子どもが靴のまま椅子に膝立ち、外を眺めていたり、
靴を履かせたまま親が抱っこしていても、いちいち脱がす気力ないよね、、と共感するようになった。汚れてもいっか。と。
それでも共感できない事は多々あるけど、「自分はしない」それだけでいいと、レーネンさんが言っていたからそうするようにした。
コロナの世の中になって、かつての私の目(視線)を、多くの人が持っていることを知った。
それは「マスクしろ」「マナーだろ」。
それが正しそうで、そうじゃない違和感が私にあったから。正義のようで正義じゃないと感じた。
そう言われても、自分の中の正しさを強く持ち続けて、そう行動することが今の答え。
まだまだ道の途中です。