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自己探求の次のフェーズにきたようだ。


私は4年ほど前からセラピーを学び、自己探求してきたつもりでいました。


が、最近、私のやってきたことは、自己探求の道のりではあるけれど、今までは情動を、中毒を、防衛を落としていく、に注力していたのであり、もっと本質的な私の自己探求はこれからなのではないか、という気持ちがとてもしていました。


そんな折、今日の朝、インクワイアリーというワークに参加させていただきました。


まるで、禅問答のような質問、会話のあり方に、ハッとしました。


私は人に話すとき、


共感してほしい
共感してあげたい


というエネルギーをずいぶん出してきていたのだ!!と気づきました。


自分を深く探求していくとき、それらはずいぶん余分なエネルギーではないか?と。


本来、誰の話す考えにも良い、悪い、はなく、あるのは、

「あなたはそうなんですね。」
「私はこう思うのです。」

というただそれだけ、その事実だけです。

にも関わらず、私が共感をとても大切なものに位置づけて生きてきたのは、


母から、父から共感されていない

ということを感じとり、とても傷ついて生きてきていたからでした。


共感されない=愛されない

という解釈になっていました。

だから、

共感する、してもらう=愛のやりとりがある

そんな方程式が私の中に出来上がり、共感が私の中では大きな存在意義になっていました。


それではいつも人が共感するか、私が共感できるか、が、重要になってきてしまいます。


本来自分を知るということは、もっとフラットなもの。


後で解説を聞いて、


相手の鏡になっていれば良い


みたいな言葉が私の頭に、耳に入ってきました。


それは評価、ジャッジが何もないフラットな世界。


私はそれより受容されたい、温かく包まれたい、のような世界をずいぶん期待し、実際それが正しい、みたいに思ってきていました。


なぜならそれこそが、長年欲して欠乏している、と感じてきた私の痛みの場所だったからです。


今日の朝、ほんの1時間くらいの間の出来事で、私には大きな気づきがもたらされました。


センタリングが大事、という意味も、やっと最近わかりつつあったところ、そのセンタリングと思考と、フラットな聞き方の関係性。


いろいろなことが私の中で統合され、私の今ある課題が、くっきりと浮かび上がるように観えてきたことに喜びさえ感じました。


似ているようで、異なる切り口で自分を観ていったとき、みえていなかった世界がパッと私の前に広がりました。


私の自己探求の旅はこれからだ!!という新たな気持ちとともに、自分の中の知らない事実を、喜びを持って楽しみながら、人生を開拓していきたい、思う朝になりました。


まだ観ぬ知らない自分を、あなたも私と一緒に見つけに行きませんか。


初回、無料カウンセリングを受け付けています。

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