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今大切なことを選択して動く〜自分に周囲に優しくあるために〜


今日は体調が優れないなあ、と感じながら朝から家事をひととおりしたあと、銀行に会社の通帳記帳をしに行き、買い出しから途中参加してきた夫とスーパーの長いレジ待ちをしていました。


夫が今日のお昼の献立に文句を言ったとき、私の中の何かがパチッとはじけた感じがしました。


あれ?かなり私今日疲れている。イライラしている。


疲れている自分を感じ取り、共感して受容していないと気づきました。


〇〇すべきという気持ち優先でここのところ動いていました。


それどころか、私たちより遥かに大量の食材を抱えてレジ待ちをしている人の姿を見ると、もっとハードな毎日をみんな過ごしているのに、私は本当に疲れやすくて体力ないよなあ、と無意識に自分をジャッジしたりしていました。


私が自分を受容せずに不一致で動いているとき、夫が家で好きなように好きなことしかしていない姿を見ると段々モヤモヤしてきます。


夫の一致させているご機嫌なその姿にイラついてきます。


スーパーから帰宅し、


「あなたはいつも感謝の言葉がない。昨日会社で1日掃除をしても、銀行で長い行列に並んで記帳してきても何も言わない。それどころか、家はいつも地味飯ばかりとか批判が多い。一言ありがとう、と言ってくれるだけで気持ちが変わるのに。」


と不満を私は言いはじめていました。


不満を言いはじめてから、ありがとう、なんて言われなくても気にならないときもあるのに、今日はやってやってる!だから感謝してよね!という恩着せがましい気持ちになっている。


疲れているから本当は行きたくなかったんだ。休みたかったんだ。


疲れてるから今日は夫に頼もう、という発想がなぜなかったのだろう?と気づきます。


以前に比べたらかなり自分の意志を伝えられるようになったとは感じていても、自分の状態を伝え穏やかに欲求するができず、段々怒りになってきてから自分の状態に気づく。


なぜだろう?と考えたとき、


夫に比べたら社会的に果たしている役割が少ない、経済力も及ばない、その私の自己評価の低さが私ができることはちゃんとやらなければいけないという義務感、罪悪感から動き、だから自分で言えなくしているのだ、と気づきました。


が、結果的に自分を大事にしていないだけでなく、私は夫にも罪悪感を与えようとしていました。

私が罪悪感を抱えているからこそ、あなたも同じように罪悪感を抱えてね、と無意識にやっていた、と感じました。


自分に優しくいられないとき、他者にも優しくしていません。


自分に痛みがあるとき、他者の中の痛みも引き出そうとしてしまいます。


逆に自分に優しい在り方ができているとき、他者にも感謝したり穏やかな欲求や提案ができます。


他者は私を写す鏡だなあ、とつくづく感じました。


夫は私が怒っている間、ニコニコして聞いています。

「なんで怒られてるのにそんな穏やかな顔して笑ってるの?」

と私が聞くと、

「これだけあなたが言いたいこと言えているうちは、内に溜め込んでいないだろうと安心しているから」


さすが、人生のなかで数々の修羅場を経験してきた(笑)夫は、相手が怒らなくなったら終わり、をよく心得ていました。


夫は謝り、いつも感謝しています、と笑顔で好きなことをしに出かけました。


自分が義務感ばかりで動いているとだんだん被害者的な気持ちになり、そうでない人が加害者のように観えてしまうと感じます。



やるべきことをして、1番気持ちがいいのは私です。


でも自分が疲れていたり体調が優れなかったり、そもそもネガティブな気持ちになりながら何かしていると、すべてが被害者のような気持ちになってしまいます。


休みたい、その欲求をサッと大切に選択し受容していたら、自分に優しく夫に優しくあれたと感じます。


この年末年始、本当は疲れている、本当は行きたくない、本当は会いたくない、本当はやりたくないなどがあるという方は、


今大切なことを選択して動く〜自分に周囲に優しくあるために〜をヒントに動いていただけたらと思い書きました。


お読みいただきありがとうございます。

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