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真実は見えている世界通りではない〜あなたがいるポジションは本当にそこですか?〜

日々、いろいろなことを見聞きしているなか、真実は目にしている通りではない、と感じます。


それは私自身の実体験からも感じています。


例えば、会社でさほど目立たない人が、本人も周囲も、大して力がない、と思っていたとします。


で、その上にいる上司や先輩の方が力がある、と図式通りにみなが思っていたとします。


が、その方を萎縮させる存在の上の人が会社からいなくなったり、ポジションを与えられたり、何らかその方にとっての環境が良くなると、俄然力を発揮するようになります。


周囲を驚かせるくらい、その方がイキイキとしはじめることがあります。


こんなことが実際は結構あるのではないか、と感じます。


私自身も似たようなプロセスを経て、少しずつ自分らしくなっている、と感じています。


私は原家族のなかで、上から押さえつけられているからこそ、「1番下の何もできないダメな私」というポジションをキープしてきました。


その方がうまくいく、と無意識に学習していたからです。

そして、そのポジションが、いつのまにか私のアイデンティティになっていました。


が、原家族から物理的にも精神的にも離れるほど、できる私、快活な私、楽しめる私、ユニークな私、がでてきて、人生が広がっていきました。


その家庭内のポジションに私は居続けていた(機能不全家族内に)に気づかず、私が家族を自分より上にして萎縮していたら、私は一生「何もできないダメな私」というアイデンティティのなかにいた、と感じます。

そしてこれは家庭内だけでなく、あらゆる組織で役割が固定化されるほどに、そのようなことが起こりやすいと感じます。


だから違和感を感じたら、思い切って意見を言ってみる、反論してみる、離れる、精神的に距離を置く、などポジションを覆すような勇気も必要だ、と感じます。


また、個人が1人でもがくのではなく、やはり上に立つ役割の人、リーダーが自分のいう事は聞くからと慢心せず、ポジションが自分以外の下の人に対して、その人がどういう態度なのか、あらゆる人との関係を注意深く観る力が重要になってくる、と感じます。


1人1人が自分を守ることと同じように、虐げられている、傷つけられている他者がいないかに目を配ることもとても大切だ、と感じます。


私たちは本来は繋がっていて、相手の痛みは自分の痛みであり、相手の喜びは自分の喜びになります。


小さな頃は誰しもが、そのように他者と自分の分離をあまり感じずに生きています。


成長するということは、他者と自分は違い、しっかり境界線を引けることですが、もっと成長すると、統合されていくのだと感じます。


今日は会社や家庭やコミュニティで萎縮しながら生きている人がいたら、


あなたのポジションは本当にそこですか?


と問いかけるきっかけになれば、と記事を書きました。

お読みいただきありがとうございます。

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