あなたの中にある思い(くせ)は、本当にあなたのものですか?〜手放して軽く自由になる〜
あけましておめでとうございます。
今年もこちらのnoteでも、よろしくお願いいたします。
年明けすぐに能登半島地震があり、羽田空港内での事故があり、辛い気持ちも含まったお正月となりました。
が、置かれた場所でお1人お1人が、今生かされている生命をありがたく大切に、自分の他者の幸せのために過ごせる日々となりますよう、心からお祈りしています。
私は今年の年末年始は珍しく夫婦で過ごす時間、私の実家で親族、義母など大人数で過ごす時間が多い日々でした。
久しぶりに原家族と長時間をともにし、あっ、私が変わったから、よく観えるんだと気づくことがありました。
父の相変わらずな自己中心的な発言、態度、人を蔑んだり下に落とすような発言が出てくることは、それほど気にならなくなっていました。
が、親族の1人に向ける激しい怒り、話しぶりを見るにつけ、
父の中に元々ある怒りが大きいから、そこに火をくべるような現象が外側に起きれば、他の人はもう気にならないようになっていても、父の中では元々あった怒りと相まってどんどん膨れ上がっていくのだな、ということがよく観えました。
そして、私は長い間、その父の怒りを私の中に無意識に取り込んでいて、同一化していたのかもしれない、と感じました。
もはや父の怒りなのか、私の怒りなのか、剥がし方もわからぬほどにべったりと。
この世は怒ることがたくさんあって当たり前。
周りは腹の立つことばかり。
小さい頃父と一緒にいて、あんなに怒っている大人はみっともない、とどこかで恥(シェイム)を感じながら、だからこそそんな概念がすっぽりと私の中に入り込んでいたかもしれない、と今静かに感じています。
自分の内側の傷がだんだんと癒され、満たされてくると、そうそう哀しみ、怒ることもない、ということに徐々に気づいていきました。
そうなってきて父の姿を見ると、まさに私がかつて苦おしいほど悩まされてきた、怒り(哀しみ)の原型がここにあったんだ、と痛みと切なさと懐かしいような愛しさを感じました。
怒りは、自分は蔑ろにされている!という哀しみがあればこそ発生します。
怒りの前に本当は哀しみがあるので、父は怒りながらとても哀しんでいたのです。
そして、父が怒ると一緒に怒ってあげたくなってしまう私自身を感じました。
私が自分の内側にある怒りに悩まされてきたのは、父を思えばこそ、私は父を奥深いところで本当に愛していたからこそ、
お父さん、私は一緒に怒るよ!
私はお父さんの味方だよ!
お父さんその痛みを一緒に感じるよ!
とばかりに無意識に私の中にも怒りを取り込んでいたのだろう、と感じました。
小さな私にとって父を助ける唯一の方法が、父の怒り(哀しみ)を私の中にも取り込んでしまうこと、私自身が一緒になって怒り(哀しみ)に翻弄されることで、父への忠誠を誓っていたのかもしれない、と。
小さな私ができるのはそれが精一杯だった。
よくやってきたよ。
それしか知らなかったんだもんね。
でももう怒り(哀しみ)を取り入れなくてもいいんだよ。
それはあなたのものじゃないよ。
お父さんのものだからお父さんに返そうね。
あなたはそんな重い荷物は背負わずもっと軽くていいんだよ。
あなたは自由にのびのびしていていいんだよ。
そして毎日を楽しもうね。
そんな言葉を、私の中にいた怒りに翻弄され苦しんでいた子どもに、これからも語りかけようと思います。
今日はこのような私の経験を踏まえ、
あなたの思い(くせ)は本当にあなたのものですか?
と問いかけたいと思います。
私たちはみなびっくりするほど上の世代から流れてきたものを、無意識に自分の中に自分のもののように取り入れてしまっています。
この思い(くせ)は、私のものではないかもしれない、と思うものがあったら手放してしまいましょう。
小さな頃、小さな世界で生き延びるために無意識につけたそのくせは、そのときは有効でも、ずっと有効ではないものも多いです。
手放しは一回でできるものではなく、時間がかかります。
でも気づけば確実にいつのまにか自分の人生が変化しています。
やり方が分からない方は私のセッションで誘導します。
一緒にやっていきましょう。
そして、2024年をもっと身軽に軽やかに自由に過ごしていきましょう。
お読みいただきありがとうございます。
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