愛するとは、お互いの思いを共有しつつ、相手の自由を尊重すること。
今日1日、私はたくさんの愛を受け取った1日となりました。
午前中に、ハートエデュケーションセンターで、多世代療法(ファミリーコンステレーション)体験会に参加し、シーカー(探求者)をさせていただきました。
私の今ある課題(イシュー)を見ていくために、私の身体や家族を代理人にやっていただき、私は傍観者として、役に入ってくれている人たちが体感していること、感情や言葉、動きをただただ見続けます。
そこから自分で気づきを得、代理人もそれぞれにそこから気づき、学びを受け取ります。
それは、ファシリテーター、代理人、ヘルパー誰が欠けても成り立ちません。
そして、そこは安全である、という守られた、外の世界のように荒らされない、非日常の聖域のように静かな環境であることも大切です。
私が、私に何が起こっているのかを客観的に観たい!と、ただ頭で思ってもそれは敵いません。
その場を開催するまでに、代理人の役をしたい、そこから自分が学べることを掴み取りたいという意志のある方々、ファミリーコンステレーションのトレーニングを受け研鑽を積んだファシリテーター、開催までの事務的なことや、その場をホールドできる器のある他のセラピストなとがいてはじめて、貴重な時間と場が提供され、参加者みなが共有できます。
それだけで、今日はみなさんからたくさんの愛を受け取らせていただいた、と感じていました。
それから、午後にセラピストやチームメイトと話しをするなかでも、ものすごい大きな愛を感じました。
私はあなたの幸せを1番に願っています。
だからあなたの自由を尊重したいのです。
というメッセージでした。
胸が熱くなりました。
もしかしたら、私が1番両親からもらいたかった言葉かもしれない、と感じました。
そして、人生をかけて私がやってきたセラピープロセスは、自分の自由を守りたい、そして幸せになりたい、ということだったのかもしれない、と。
小さな頃、当たり前のように自由や意志を両親から尊重されて育った方には、え?そんなに大変なこと?と不思議に思うかもしれません。
が、親の顔色を常に見て、親にとっての正解を選択しないと愛されない、と思ってきた私やトラウマを抱えて育った機能不全家族の中にいた人には、自分の意志で物事を選択して決断ができ、自由が尊重される、という体験は美知なる世界に見えるのではないか、と感じています。
また、そのあとチームメイトと話しをしたときに、
チームメイトが、放った、
「いつも自分がどうしたいか?」が大事、って
言ってるじゃん。
という言葉にもたくさんの愛を感じました。
人を応援する、と一口に言っても、自分の中にまだ癒されていない傷があるとき、
嫉妬や妬み、僻みなどの感情が湧き出ることもあるでしょう。
が、自分の傷が癒やされていくほどに、本当に真から人を応援できる、と感じています。
そして離れることがあったとしても、それさえも、相手の自由を尊重する、という大きな愛からなんだ、ということを感じています。
最近、夫を愛すればこそ、夫の自由を尊重し、海外出張などが続いても私は私で、しっかり自分の中心の場所に立っていることなんだ、と思っていたことにも繋がります。
私はグランディングやセンタリングという言葉は以前から知っていましたが、今こそやっと本当の意味が分かりつつある、と感じています。
そこにどれだけ体感として、それを身体で感じとっていけるか。
その旅を、これから楽しみながら諦めず、弛まず、進めていきたい、と思っています。
本当は、世の中にだれも傷ついていない人はいない、と感じでいます。
誰もが必要な癒しを進めて、真の自分の人生を開拓していけるよう祈っています。
必要な方は、これからハートエデュケーションセンターでも来月からPSC(パスオブコングルエンス)自己一致のためのコースが始まります。
また、私のセッションでも初回無料でお話しを聞きます。
どんなことでもお気軽にお話しにいらしてください。
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