見出し画像

素晴らしい自分を1番恐れているのは自分自身。


先日、ある女性から実は、星読みの勉強をしてきた、という話しを聞き、その場にいた仲間が生年月日を彼女にLINEで送り、鑑定してもらいました。



お見事!なプロの域の鑑定がそれぞれかえってきました。


他の人の鑑定を読んでいると、まさに!よくぞここまで言い当てた!というところまで、その方の星から読み解き、その方の人生の課題や、仕事、お金、パートナーシップ、健康、などをきめ細く特徴やアドバイスなどが書いてありました。


もちろん、私もものすごく参考になり、改めて自分の特性と向き合い、その特性をどう活かしていこうか考えていく指針になる、素晴らしい鑑定でした。


みなが本当に仕事にした方がいい、これはお金を取れる、って言うか、私たちのこれ自体が無料で観てもらって申し訳ない、と口々に言う出来栄えでした。


そう言っていただけて嬉しいです❣️
家族や友人にはやってるけど、?な顔されるときもあって💦と、


今まで自信がないできたのがよく分かります。


私も同じところにいたから、まだ私も、そこを超えられていないところがあるから、余計に気持ちがよく分かります。


その分野に興味関心がない人に話しをした場合、相手はその価値が分かりません。


または無意識に、友人、知人がその方だけがレベルアップしていってしまう不安や妬みから、そんなことやって何になるの?お金にはならないよ!、などと否定される場合もあります。


それらと、元々「自分は素晴らしい」と思ていない、自己肯定感が低いままで生きていると、「私なんかが」とか「このレベルでは」と低く見積もってきているので、あっさり、やっぱりそうだよね、とネガティブな意見に引っ張られてしまいます。


本当は素晴らしい力がある、
が、本人がそう思えてない、
だからこそ踏みださないから、
また現実に、
「やっぱり私は何もできない人。」

そんなところにいる方が、世の中には山のようにいるのではないか、と感じます。


私自身、自分がよく分からない、自分に自信がない、で長く生きてきました。


が、たとえば、ワークショップなど、ここは何をしてもゆるされる場所、と安心して取り組むと、自分でも思いがけないほど瞬発的に、身体が自由に動き、声もどんどん出て、積極的に水を得た魚、のように表現します。



もう、楽しくて夢中になって自己表現に没頭します。

そこには、

恥ずかしい、
カッコ悪い、
人からどう思われるか?

などの恐れや不安はありません。

攻撃してくる人がいない、ジャッジされない、という守られた場所にいると、俄然自分らしさがでる、に気づきます。

終わると、いかにまだ自分は恐れや不安を持ちながら日常を過ごしているか、を感じ取ります。



その場の周囲から


感性が豊か、
表現力が素晴らしい、



などと褒めていただくとなおさら、私はこれを出してしまうと誰にどう思われるかわからない、とそっちの未知な世界に危険を感じ、誰の目にも想定内の動きや発言をしていた方が、安心、無難、と判断して無意識に動いている、のではないか、と。


私は、本来の自分を表現できればできるようになるほど、本当はみなそれぞれ個性的なので、変わった人、になるのではないか、と感じます。


そもそも、普通、という言葉は、無難、安全に等しい、と私は感じ取ってきました。


私が私らしくなるほどに、変わった人。


そう言われたら、それは褒め言葉なのではないか、と思うようになっています。


人は、自分が輝くことを恐れています。


未知の世界だし、輝いて個性的な目立つ人が妬まれたり、影で悪口を言われたりしているのも、見てきています。


その妬みや蔑みもどこかで恐れているから、周囲と同じように、無難に、普通に、と無意識に行動しているようにも感じます。



でも、1番恐れるべきはそういう自分だ、と今は感じています。



周囲は関係なく、自分がその未知な世界を恐れ、自分が自分らしく輝いていくことに、あらゆる言い訳をしようとする自分こそが、1番の強敵で恐れる相手ではないか、と。



素晴らしい自分を出すことを、みんながゆるしていったら、どんなに素敵な世界になることか。



みなすでに素晴らしい。
個性を発揮すればもっともっと素晴らしい。



そんなことを感じていたので、今日の記事にしました。


お読みいただきありがとうございます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?