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新しい私を創っていくとき〜居心地の悪さは世界を広げていく〜

日々の生活のなかで自分が心地よい、快適である、と感じられることをチョイスしていくことはとても大事だ、と思います。


が、居心地がいいから、と同じところに長く居続けるのもまた違う、と感じます。


例えば私は昨日、夫の仕事で大きなイベントの会場に居ました。

アシスタントエンジニアという名目でいますが、私の場合は雑用係です。


ちょうど1年前頃、はじめて夫なしで他のエンジニアと国際会議に入ったとき、どうしよう!私だけ場違いだ!とものすごい居心地の悪さを感じていました。


私以外はプロフェッショナルな人ばかりがゆえ、クライアントさん、通訳、さんなどに挨拶したり、軽く会話を交わすだけでも、はじめの頃はドキドキしていました。


が、人間には環境に慣れようとする習性があり、そのような体験を繰り返すうち、何となく自分がやれることは何なのか、どの程度手を出せばいいのか、逆にむしろ手を出さない方がいいのかなどが観えてきて、落ち着いてその場にいられるようになります。


そして、昨日は畏れ多くも、そばにいる関係者の方に、自分のセラピストの名刺を配って挨拶したりもできるようになっていました。

どのような肩書きがある方であっても、ハートを開いている方たちとは、楽しく会話し寛いでいられます。

これは普通の人には普通な事なのですが(笑)世界が怖い!とかつて周囲にいる人との関わりさえ、不安と恐れでビクビクしながら生きてきた私にはすごい進歩だ、と感じています。


少しずつでもかなり意識的に、自分にとって居心地が悪い!場違いだ!と思える場所に敢えて身を置いてみる、をしてきたからだと思います。


プロフェッショナルに活躍しているような方に私も1ミリでも近づきたい、彼らの仕事に対する姿勢、在り方をそばで見ていたい、と思うならば、まずは場違いと思える場に身を置くようにしてみることは、自分の世界を広げていく第一歩になると感じます。


もちろんそこでは、無知ならではの恥、経験不足からくる失敗、いろいろな負の感情もセットで付いてきます。


でも、その負の感情、恥を晒したくない、という本来いらないエゴのために、開いている新しい扉を閉めてしまうのはあまりに勿体ないと感じます。


今でも私はその扉を前にして、いこうか、いくまいか、と逡巡したり、他人にどう思われるか、を天秤にかけてしまうことはあります。


でも、そのたびに、

私が本当に行きたいのは(生きたい)
世界はどっち?


と聞くと、居心地が悪かったり、怖かったりする方が多い、と感じています。


かと言って、そればかりだと疲れてしまうので、定期的に(いつも自然に身体が休んでというサインを出すので)雑音のない静かな空間に身を置く時間も私は必ず必要とします。


瞑想のような生活の時間も欠かせないのです。


そうやって、外の世界と、内の世界を、いったりきたりしながら無意識にバランスをとっているのかな、と思います。

それをやらずに、ずっと外の世界に居続けて、どんどんエネルギー高く動ける方たちが世の中にいっぱいいますが、私はそのスタイルだとあっという間にエネルギー不足になり、枯渇してしまいます。


自分の特性を把握しながら、でも、私は疲れやすいから、といつのまにか自分の世界を小さくしていかないよう、そこは意識的に自分を見張っていたいな、と感じています。


今日は、自分は何もプロフェッショナルなスキルを持たぬまま、でも、プロフェッショナルな方ばかりのなかにいて、周囲の在り方から良い刺激をたくさん受け取ることはできる、ということを伝えたくて書きました。


私はスキルがないから、私はプロじゃないから、と無意識に世界を狭めてしまうような方がいたら、それは無いままでも、とりあえず、そのような方たちのそばに身を置いてみるだけでも、世界は広がっていく、新しい私がみえてくる、をお伝えしたいと思います。


お読みいただきありがとうございます。

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