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言いにくくても自分の気持ちを言う勇気。

 言いにくいことを言う、ってすっごく勇気がいることですが大切だな、と感じることがありました。


私はある方からセッションを受けていて、自分がうまく対処出来なかったな、と私が感じたことをいつも敢えて取り上げて話していました。


そこに、私の課題があるだろう、と感じていたからです。

 うまく対処出来なかった=表向きはネガティブなことと私は感じているわけなので、セラピスト的な方から話しを遮られ、正論をずっと話されると、私は居心地が悪くなります。

さらに、自分はそういうときこんなふうにうまくやってきたというエピソードも、良かれと思って話してくださるのはわかっていても、自分の話しが摺り替えられていくようで、その方が熱く長く自分の話しを語るほどに、私は居心地が悪い、という思いがありました。

数回のセッションに耐えたあと、一括でえいやとお金を払ったのも私ならば、毎回居心地の悪さを感じているから辞めたいと思うのも、私の正直な気持ちだからそれに従っていいのでは?と悶々と自問自答した挙句に意を決し、事情を話し、まだ途中だけど終わりにしたいと連絡しました。


受容、共感がないまま、正論だけを一方的に話されても心がついていかないこと、私の過去を尊重されていないと感じる、強い言葉をきつく感じていること。

これを言ったら相手を傷つけてしまうかもしれない、と何度も文章を推敲しながら、でも相手もプロでやっているからこそ、正直に話した方がいいだろう、と簡潔に書いて連絡しました。


そうしたら、自分のしていることに気づいていなかった、力不足で申し訳ないという謝罪の言葉と、気づかせてくれてありがとうという感謝の言葉が返ってきました。


ああ、悪くは取られなかった、と安堵するとともに、今回は言えて伝わったけれど、かつての私はメンタルが弱い私がいけない、とか、こういう言葉についていけない私はダメなんだ、と罪を私にすることで問題を処理していたので、正直な気持ちを言えず、積極的に物事を調整できないでいたな、と感じました。


人との関係は、どっちがいいも悪いもなくて、調和を目指せることが1番大切なのではないか、と最近とても感じています。


強くてきつい言葉が平気な人もいるでしょうし、逆に私より言葉に敏感に反応して苦しくなる人もいるでしょう。


いろんな人が世の中にいて、それをジャッジするのではなく、じゃあどれくらいお互いが歩みよればいいのか、と探って調整していければいいのだと思います。

マッサージを夫と受けるとき、夫はいつも隣のベッドで

「もっと強くお願いします。」

といい、私は隣で、

「弱めでお願いします。」   

とマッサージ師さんに頼みます。


海外で言葉がうまく通じず、私には強すぎるマッサージをずっと受け、気持ちいいどころか私は身体が痛く疲労してしまっていたとき、夫は隣で、最初からいびきをかいて寝ていました。

それくらい人の感じ方、反応は違うので、自分は自分のやり方を頼んだ方がいい、を夫と一緒にマッサージを受けてから学びました。


それから、海外でも自分の好みの強さを言うよう、積極的になりました。

受け身で長い間生きていると、積極的に自分の気持ちを言う、がどうしても思いつかず、周りに合わせてしまいがちです。

でも要望を聞いてもらえたらラッキーだけれど、聞いてもらえなくても、自分の気持ちを言えると、自分の人生を主体的に生きているという気持ちが湧き、自分を大切していい、という許可が益々湧き上がるようです。


まずは自分を大切に、
同じくらい相手を大切に、

愛を延長する生き方をしていきたい、ととても思います。

私の気づきが、どなたかの気づきにもなればなお嬉しいです。

お読みいただきありがとうございます。

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