マガジンのカバー画像

僕の昭和スケッチ

240
「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
運営しているクリエイター

#水彩画

昭和のレトロマッチ箱を描く③

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ240枚目 僕は昭和の時代のマッチ箱を描くのが好きだ。 デザインが可愛く、レトロ感もあり、描いていて楽しいのだ。 今回でシリーズ第三弾になる。 上の黄色い正四角柱のマッチなども懐かしい。 その左側のマッチもお寿司屋さんの定番デザインで全国に似たようなマッチ箱が幾つもあったように思う。 昭和のサブカルチャーだったマッチ君たち。 コレクションしている人もいらっしゃる。 わかる気がする。 懐かしいサブカルチャーだ。 第4弾をどうぞお楽し

「母の裁縫箱は魔法の箱」

「僕の昭和スケッチ」画239枚目 僕は母親の裁縫箱を見るのが好きだった。 古びた木製の箱で色んなものが入っていた。 こんな所にと思う所に小さな引き出しが付いていたり、指先で引っ掛けて開ける秘密の蓋があったり、背面には定規を収める工夫がされていたり、、、 その中にありとあらゆる裁縫道具が詰まっていた。 それは、まるで魔法のカラクリ箱のようだった。 その裁縫箱の側で母親が針仕事をするのを見ているのが好きだった。 「ゆうくん、針が刺さると体の中にどんどん入ってしまうから針に

「小鳥屋さん」昭和の街角

「僕の昭和スケッチ」画238枚目 上の絵は小学校の通学路に昔あった小鳥屋さんの記憶を描いたもの。 子供でも小遣いを数日貯めれば買えるような値段で売られている小鳥達もあり、命の安さに子どもながら驚いた記憶がある。 昭和40年代が最盛期だった小鳥ブーム。 柳ヶ瀬近くの街角にあったこの小鳥屋さんも今はもう無い。 今日はこの絵を見て頂ければ、僕はもうそれで充分。

「クリームソーダを頼めなかった15歳」

「僕の昭和スケッチ」画237枚目 クリームソーダを男が喫茶店で頼むのはちょっとハードルがある。 馬鹿馬鹿しい話であり、今時こんなことを言うのも憚られるが、「男子たるものクリームソーダなんぞ頼んで良いのか」という躊躇いがある。 特に高校時代に喫茶店に行き始めた頃などは、なかなかクリームソーダは頼めなかった。何となく子供っぽく見られるような気がしたからだ。それに、そんな女子ども(失礼!)の頼むようなものを口にしたら、連んでいた仲間達に何を言われるか分からなかった。それで、コ

「天は人の上に人を造らず」若き日の福澤諭吉を描く

「僕の昭和スケッチ」画236枚目 福澤諭吉 諭吉の肖像が一万円札になったのは昭和59年、もう昭和も終わりという頃だ。 「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず、と言へり」 これは諭吉の「学問のすゝめ」の冒頭の有名な一文。 アメリカの独立宣言の序文『すべての人間は、生まれながらにして平等である』を諭吉が意訳引用したものだ。 だから最後が「、と言えり」になっている。 だが、「学問のすゝめ」はこの後以下のように続いている。 意外に知られていないのだけれど、、、 <要

「母と伊勢海老」信心と殺生

「僕の昭和スケッチ」画235枚目 ある時、大きな伊勢海老が我が家にやってきた。 客が土産に持って来てくれたもので、「塩茹でにするだけでええでね」と客は言って帰った。昭和30年半ば頃のことだろうか。 客が帰った後でお袋は言われた通り、大鍋に水を張り伊勢海老を入れるとガスに火をつけた。 湯が温まってくると、伊勢海老は苦しいので鍋の中でガタガタと鍋を揺らして飛び出ようとする。お袋は,「そうはさせじ!」と上から力一杯鍋の蓋を抑える。 鍋の中で苦しむ海老を哀れと思ったのか、そ

「超能力者は実在するか?」スプーン1本で世界を騒がせた男ユリ・ゲラー

「僕の昭和スケッチ」画234枚目 昭和の御代にスプーン一本で世情を騒がせた人物、ユリ・ゲラー。 「彼は本当の超能力者だ・・・!」 「いや、いや、あれは単なるマジックだ!」 彼の登場によって沸き起こった超能力ブーム。1870年代後半だ。 瞬く間にユリ・ゲラーは時代の寵児となった。 さて、ではユリ・ゲラーとはそもそも一体どんな人物だったのだろう? 今なら検索すれば立ち所に彼の経歴が分かる。だが、当時は無論今のようなネット社会ではなく、情報は非常に限られた物だった。騒がれては

水筒の思い出

「僕の昭和スケッチ」画232枚目 上の絵に描かれている水筒は、僕が幼稚園の頃に実家にあった水筒だ。 戦時中に使われていた水筒で、戦地に赴く兵隊の装備品でもあった。 古い日本映画にもよく出てくるものだ。 幼稚園の頃になると遠足という行事が始まり、僕も母親にこの水筒を持って行くように言われるのだが、さすがに戦後10年程経ってから生まれた僕らには古臭く感じられ、ディズニーのミッキーマウスなどの絵柄などの入った当時流行り始めた魔法瓶水筒をねだって買ってもらったことを覚えている。

「なめ猫ブーム」かわいそうな猫達

「僕の昭和スケッチ」画231枚目 ナメ猫ブーム、昭和50年代。 子猫たちに暴走族ファッションを着せてバイクの横に立たせて・・・ 「ナメンナヨ!」 そんな写真が大人気だった。 ナメ猫免許証とかナメ猫バッジとか・・・売れに売れた時代だ。 けれど、正直言ってナメ猫写真を見るたびに僕は心が曇る。 『そんな事をしなくても、猫達は素のままで十分可愛いのに・・・』 あの時もそう思ったし、今もそう思う。 人間というのは、つくづく罪な生き物だ。 <ちなみに、下はnoteを始めた

「竹の子族現る!」原宿ファッションs55

「僕の昭和スケッチ」画230枚目 「竹の子族」なる若者達が原宿歩行者天国に出現したのは昭和55年。 派手な服装でディスコサウンドをバックに彼らはちょっと奇妙なステップダンスを踊り原宿名物になった。竹の子族に憧れる若者達も次々に現れ、マスコミも大いに賑わせたものだ。もちろん、彼らに眉を顰める大人達もいた。 僕にとって竹の子族というのは、上のイラストのような感じだ。 個人的には別段竹の子族が好きとか嫌いは無く、世代差があってか、この竹の子族の奇抜なファッションには全く興味を

「フランスキャラメルはジェンダーフリー」

「僕の昭和スケッチ」イラスト228枚目 不二家さんの名誉のために最初に言っておくが、フランスキャラメルは女子だけのキャラメルだった訳ではない。 もちろん、男子も買ってオッケー。 ジェンダーフリーだ(笑) でも、正直って僕は子供の頃にこのフランスキャラメルを買いづらかった思い出がある。 そりゃあ、なんて言ったってこのパッケージ! いかにも「女子!」 だよね(笑) 店内に並んでいるこのフランスキャラメルを手にして、恥ずかしそうに店のおばさんの所に持っていったのも懐かし

ボーリング場がピカピカに光っていた時代

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ227枚目 1970年代の日本は大ボーリングブームだった。 猫も杓子もボーリング、というくらいに流行った。 中には高価なマイボール、マイバッグ持参の強者も出現した。 当時高校生だった僕らには高くてとても無理だったが、、、(笑) それでも、高校の仲間と小遣いを叩いてボーリング場に出かけた。 彼女(♡)とも行ったのさ(笑) この数年前まで僕らは、空き地や公園で三角ベースをやっていた。ボールはソフトボール。安物のグローブとバットを持って泥

うなぎ屋なのに何故「なまずや」?

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ226枚目 岐阜市の柳ヶ瀬に、昔「なまずや」という名の鰻屋があった。 店の名前が珍しい事や、家からすぐ近所、ということも手伝って、どんな店なのだろうと興味津々だったのを覚えている。開店した頃は尚更だった。 『ナマズを出す店なんかな、、でもナマズって食えるんかな、、??  ちょっと不気味やな・・・』 と。 店の前を通るたびにそれとなく中を窺うのだが、鰻を焼くあのいい匂いにうっとりするばかりだった。 『いい匂いやなぁ〜〜〜 ナマズと鰻

続/レトロで可愛い昭和マッチたち

「僕の昭和スケッチ」画225枚目 以前にお届けした「昭和マッチ」の第二弾です。 昭和のマッチはデザインが可愛く、レトロ感もあり、マッチの絵を描くのがすっかり楽しくなってしまいました(笑) 絵の中央付近に書いたのはラブホテルのマッチ。 こういった類のものを持って帰ると、災いの方が多いように思うのですが、、、、(笑) 黄色いカナリアのマッチなどは、定番で同類のデザインのものが全国に幾つもあったのでは? 調べてみると黒ネコも酒場のマッチにたくさん登場している。 昭和のサブ