マガジンのカバー画像

僕の昭和スケッチ

240
「僕の昭和スケッチ」は、昭和レトロを描いたライフワーク画集です。誰の心にもある遠い日の思い出を描いていければと思っています。毎週月曜更新予定(祝祭日を除く)。
運営しているクリエイター

2024年1月の記事一覧

「インベーダーゲーム登場」新時代の予感

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ221枚目 インベーダーゲームは遊びを大きく変えた。 ゲームセンターのみならず喫茶店にもインベーダーゲームのテーブル型筐体がずらりと並んだのは1974年(昭和49年)頃。 ファミコンが登場する遥か前の事だ。 コンピュータゲームが社会現象になった時代 インベーダーゲーム以前にもゲームセンターはあったが、「不良の溜まり場だよね〜」などと言われたもの。 けれど、このインベーダーゲームは、あっという間に大ブームとなり、言ってみれば「不良の溜

レトロで可愛いマッチ箱は昭和のサブカルチャー

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ220枚目 昭和の頃は家の中にはマッチがいっぱいあった。 定番の桃印のマークがついた大箱から、定食屋のマッチ、レストランや喫茶店のマッチ、居酒屋のマッチ、、、、あった、あった、ありました。バーやキャバレーのマッチを奥さんに見つかって頭を掻いたりね(笑) レジの横にドンと積んで、どうぞご自由にお持ちください、といった時代だった。 あの小ぶりで薄い箱が妙にカッコ良かった。デザインの良いものに出会うと嬉しかったもの。そして、ちょっと洒落た

百人一首にまつわる思い出と紫式部

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ219枚目 百人一首にまつわるちょっと個人的な話 僕は20年ほど前に離婚したのだが、その別れた女性Aさんは中々の才女で小さい頃から文學に親しみ、百人一首にも精通していた。 一方、僕の方はといえば、百人一首は家にあったもののものの、母親と坊主めくりばかりしていたという有様。高校時代から本が好きになった僕と幼年期から本に親しんできた彼女との間にはスタート時において文学的な基礎教養に若干の開きがあった(笑) 勿論、そんな事が離婚の原因ではな

二宮金治郎の銅像が消えていった理由

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ218枚目 僕らの子供の頃には殆どの小学校の校庭に二宮金治郎の銅像があった。 二宮尊徳(二宮金治郎)*は江戸後期の農政家、思想家。 幕末期に、農民の出身でありながら、荒れ果てた農村や諸藩の再建を成功させた人物。 少年期に薪を運びながら勉学に励んだという逸話(事実かは不明)は明治、大正、昭和の刻苦勉励型の教育理念の範とされ、各地の小学校に銅像が造られた。 しかし、ご存知のようにこの尊徳像は時代と共に徐々に撤去されていった。 それには、