視野を広げるなら言語を学ぼう

言語を学ぶのは大変だというイメージがある。時間はかかる、お金もかかる、労力はかかる、それに見合うものがあるのか疑問に思う人もいるかもしれない。それでも言語を学ぶ、いやマスターするのは価値があることだと思う。

僕の高校の先生が言っていたのは、新しい言語を1つ覚えるというのは1つの価値観・考え方を新たに身に着けるということらしい。これだけ聞くと意味が分からないが、彼が言いたかったのは自分の視野が広がるということなのだと思う。例えば日本語と英語。言語としての特徴は大きく異なってくる。日本語は主語を毎回言わなくても会話の流れで成立することが多い。英語はそうはいかない。基本長い文章を書く時・言う時には主語・動詞・名詞を言わないと成立しない。

違いの差は言語の構造上ということだけはなく、人々の違いがある。それは多くの日本人が全てをハッキリさせず、”空気を読む”・その場の雰囲気に合わせる”といった部分を大切にしていて、言葉に人々の性格が表れるからだ。英語の場合白黒ハッキリさせたい人に合わせている言語なのである。日本では”ストレートすぎる”言い方が英語ではノーマルとして通じてしまう。

新しい言語を学ぶというのは文化を学ぶことでもある。だからアメリカに行くか、イギリスに行くかでも英語という言葉に対する理解が異なっていく。僕の場合チェコという英語のネイティブではない国で英語を学んだが、最初は戸惑いの連続であった。それは単語が分からないということだけではなく、この言い方でよいのだろうかという葛藤と日常会話を成立するための言い方にアジャストしていく作業なのである。辞書で単語を覚えればマスターできるものでは無いのだ。極論だと自分が身を置く生活環境でもどんなふうにして言語を習得するのかが違ってくる。

こういうふうにして書くと新しい言語を学ぶことはとても大変な様に思えてくる。簡単ではないことは確かだ。それでも新しい考え方に触れる・自分の知見を広げる手段として、言語を学ぶことはありだと僕は思う。

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