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「馬とロボットが交差する南相馬」|#訪問体験記

マガジン「福島県南相馬|中のひと、外のひと」では、みなみそうま移住相談窓口よりみち移住コンシェルジュ6名(中の人)と南相馬を訪問した人たち(外の人)とが、それぞれの視点で南相馬での生活や体験を切り取っていきます✍️

今回は、外のひと。
社会人向け仕事・暮らし体験プログラムにご参加いただいた麻生さん、なんと、学生時代にダークツーリズム分野の研究に取り組まれていたそうです。

社会人向け仕事・暮らし体験プログラム
地方移住や地方での起業を検討している方を対象に、南相馬の仕事・暮らしを広く体験してもらうプログラム。3日間、現地に滞在し、南相馬市内での働く環境を見学したり、市内名所の視察などを通じ、南相馬への移住をイメージしていただく時間となりました。


馬とロボットが交差するまち、南相馬

初めまして、麻生と申します。
この度9月17日から9月19日の3日間、南相馬市で開催された「社会人向け仕事・暮らし体験プログラム」に参加させていただきました。
さまざまな体験をさせていただいた中で感じたこと、考えたことについてお伝えできればと思っております。

書いた人について
そもそも私が何者なのかという点についてですが、
・25歳男性(独身、実家暮らし)
・静岡生まれ、静岡育ち、静岡在住(幼稚園から大学、社会人まで生粋の静岡人)
・公務員、フリーターを経て自営業(ドライバー)
といった感じのどこにでもいる普通の地方民です。

私が今回のプログラムに参加した理由は一言で言うと「転職活動」です。

とはいえ、大学卒業から2年半、これといったスキルや資格、経験がある訳でもありません。
そんな私ですが、学生時代は観光学、とりわけダークツーリズムと呼ばれる分野の研究に取り組んでいました。
ダークツーリズムとは「戦争や災害などの人間の死や悲しみや苦しみの記憶を巡る旅」のことで、世界的にはポーランドのアウシュビッツ強制収容所やニューヨークのワールドトレードセンター跡地などが有名です。
比較的新しい観光の分類ではありますが、日本では修学旅行で広島や長崎、沖縄を訪れて戦争と平和について学ぶ学校も少なくないですから、みなさんも経験があるかもしれません。

東日本大震災では東北地方をはじめ非常に広範囲で地震・津波の被害を受けましたが、被害を受けた建造物の一部は現在震災遺構や震災伝承施設として保存・整備され、震災の記憶や教訓を後世に伝承していく役割を担っています。

宮城県・旧石巻市立大川小学校

私も学生時代に東北沿岸部の被災地や震災遺構を訪れていましたが、中学1年生だった震災当時は映像や写真でしか見ていなかった地震・津波の威力を目の当たりにして言葉も出ないほどの衝撃を受けました。
さらに衝撃的だったのは、地震・津波に加え福島第一原子力発電所事故の被害を受けた相双地域の現状でした。
県内外の被災地域の多くは地震や津波で倒壊した建物は既に取り壊されて新しい街が作られたり、嵩上げや再開発によって復興へ着実に進んでいます。

しかし、福島第一原子力発電所周辺の自治体では未だ一般の立ち入りが制限されている帰還困難区域が広範囲にわたって存在し、双葉町、大熊町、富岡町の国道6号線の沿道では地震の被害を受けて全半壊した店舗や民家の入口にバリケードが張られ、立ち入りができずに手付かずのまま残されている光景が広がっています。

双葉町の特定復興再生拠点区域にある消防団の詰所

そんな中、今年6月30日に大熊町、8月30日には双葉町で特定復興再生拠点区域の避難指示が解除され、ようやく復興への第一歩を踏み出しました。
ゼロから復興に携わる機会はなかなかないですから、「相双地域の観光振興、地域振興の分野で自分に何かできることがあれば移住も視野に転職活動をしてみようかな」という気持ちで仕事を探していたところ、今回のプログラムの募集を見つけ、参加するに至りました。

勘違いと反省

南相馬を訪れて早速反省したことがあります。
私はこの街のことを何も知らない、ということです。

南相馬市は人口57,500人(令和4年9月現在)、福島県浜通りではいわき市に次ぐ第2の都市です。
北から鹿島町、原町市、小高町の3つの市町が2006年に合併して誕生した市で、以前の市町はそれぞれ現在の鹿島区、原町区、小高区の3つの自治区となっています。
毎年7月の末には相馬野馬追という伝統あるお祭りが開催され、例年多くの見物客が訪れています。

と、ここまではネットで「南相馬市」と検索すれば一番上に出てくる情報ですが、私の南相馬に対する認識も、おおむねこの程度でした。

しかし、人よりも少しだけ詳しく知っている分野があります。
先述のとおり、ダークツーリズムや災害遺構の利活用について研究する上で度々東北にも足を運んでいましたから、被害が大きかった地域や震災遺構が整備されている地域、さらに原発事故の影響を受けた地域の被災状況、復興のあゆみについてはある程度の知識があります。

当然南相馬についても、地震や津波の被害に加え、後述する小高区では原発事故の影響を受けて住民が避難生活を余儀なくされたことや同じ市内で復興のスタートが遅れてしまったことなどは知っていました。
それゆえ私は震災と復興というここ11年間の狭い範囲の歴史だけを見て、南相馬についてなんとなく知っているつもりになっていたのです。

今回のプログラムでは昔から南相馬に住んでいる方、新しく南相馬に移住してきた方、さまざまな立場の方々からお話を伺う機会に恵まれました。
実際に人や文化に触れることで狭かった視野が広がり、見えていなかった南相馬の魅力が段々と見えるようになってきました。

馬のまち、南相馬

特に印象に残ったのは地元の方々が相馬野馬追、地元の伝統文化に誇りを持って、非常に楽しそうに語る姿でした。
相馬野馬追は毎年7月の末に3日間かけて行われ、周辺地域から甲冑に身を固めた総勢400騎近い騎馬武者が一同に会し、競馬や御神旗の争奪戦を行う非常に勇壮なお祭りです。1000年以上の歴史があり、1978年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。

セデッテ鹿島の等身大騎馬武者

野馬追に出場する馬の多くは地元住民の家で家族同然に大切に飼育されており、身に着ける甲冑や旗印も先祖代々受け継いだものであったり、子供や孫のために新たに拵えたりもするそうです。

野馬追までの期間は地域ごとに馬場を持つお宅や海岸、野馬追のメイン会場である雲雀ヶ原などに集まって練習をしたり、普段は南相馬を離れて別の地域で働いている方でも、野馬追のために帰省して参加することも少なくないとのことで、それだけ南相馬の方々の生活に密着していることが窺えます。

私が生まれ育った静岡県静岡市(現在の静岡市葵区)には古くから続く伝統的なお祭りが存在しないため、県内外の有名なお祭りを含めこれまでお祭りというものに対してほとんど興味や関心を持たないまま過ごしてきました。

しかし今回、地元の皆さんの野馬追にかける情熱に触れて、
野馬追超カッコいい!
という感動にも近い感情が湧いていました。

甲冑を身に纏い、太刀を佩き、旗印を靡かせながら馬に跨る姿がカッコいいというのは勿論、地域のつながりやみんなが夢中になれる、一つになれるお祭りが存在すること、目を輝かせながら野馬追について語る姿が非常に魅力的に映りました。

今回のプログラムでは、実際に野馬追に参加する馬を飼育されている方のお宅にお邪魔し、乗馬体験もさせていただきました。

実を言うと、私は動物全般が非常に苦手です。怖いです。
好きな方には申し訳ないですが、犬や猫といった小動物も苦手です。
触るのは勿論、近寄るのも苦手です。可愛いとは思います。
馬も本当は怖いです。
なんとなく「踏まれたら骨折」とか「後ろに立つと蹴られる」みたいな知識はあったので、犬や猫の恐怖とは桁違いです。可愛いとは思います。

南相馬を訪れる前は正直、全然乗らなくてもいいなぁくらいの気持ちでいました。

しかし、野馬追にかける南相馬の人々の思いに触れて「野馬追超カッコいい!」状態の私は一味違います。

ご機嫌な私

乗れました。

馬は賢いというので、乗せてくれたと言う方が正しいのでしょうか。
恐怖心よりも「南相馬の人々を熱くする、大切に受け継いでいる馬文化に触れてみたい」という気持ちが優った結果だと思います。
これまでの人生でお祭りに関わってこなかった、動物に近寄るのも苦手だった私にとってはある種革命的な出来事であり、南相馬のみなさんが大切にしている馬文化、お祭り文化の一端に触れられたことが何より嬉しかったです。

ロボットのまち、南相馬

南相馬市南部の小高区は福島第一原子力発電所から20km圏内に立地しており、区内全域に出された避難指示によって居住人口が0人となった地区です。

2016年に一部の帰還困難区域を除きほぼ全域で避難指示は解除されましたが、震災前13,000人近くいた人口は現在4,000人弱。
それだけ聞くと復興から取り残された地域のような感じがしますが、どうやらそれだけではないという噂は以前から耳に入っていました。

現在小高区には福島ロボットテストフィールドというロボットやドローンの研究開発・実証実験などを行う施設が整備され、企業や大学の研究室が多数入居しています。ここでは自動運転や無人航空機、災害時に活躍するロボットの実験ができる街を模したエリアや、水中・水上で探査などを行うロボットの実験ができる水場のエリアなどさまざまな環境を持ち、施設周辺にもロボット関連産業の集積・誘致を行なっています。市内を走っていると、小型の草刈りロボットが走行している場面を見かけることもあります。

また、志のある若い世代も新しいことを始めようと小高に集まっています。
南相馬市内でコワーキングスペースの運営や起業家の誘致・支援といった事業を展開する小高ワーカーズベースさんを中心に若手の起業家がUターン、Iターンなどで小高に移住・起業をしており、「南相馬・小高という街ののびしろ」と「チャレンジする人を支える、応援する気風」が優秀な起業家を惹き付けているということでした。

小高パイオニアヴィレッジ

たとえ課題が山積しているとしても、一般的に現状を変えたり、既にあるものを捨てて新しいことに取り組むことは容易ではありません。だからこそ、ゼロからまちを興していくことが求められる小高においては、新しいことにチャレンジする人々の新たなアイディアが、新しい街をよりよくしていくため枠に囚われない、型にはまらない無限の可能性となって広がっているのだと思います。

おわりに

今回印象に残っている話として地元農家の方、移住した起業家の方が口を揃えて「ベテランには卓越した技術と経験があるけど、その分若手は最新の知識や科学を取り入れて努力をしている」と仰っていたことが挙げられます。
互いに本気度が高ければ高いほど、しばしばベテランVS若手のような構図になりがちですが、これらが対立構造ではなく、互いに補い合って更に進化していく土壌が南相馬にはあるのだと感じました。

伝統と文化を大切に受け継いでいく人たちと課題や新しいことにチャレンジする人たち、どちらもまちのこれからをつくっていくためにはなくてはならない存在なのだと思います。それは南相馬に限らず、きっと日本全国のさまざまな課題を抱えた地域でも同じことなのだと思います。

温故知新という諺は「故きを温め、新しきを知る」すなわち古くからあるものを学び、紐解いていくことから新しい知識を生み出すことですが、これからの時代は「故きを温め、新しきを取り入れていく」ことから、課題解決の糸口を探していくことが肝要なのだと、今回の南相馬での体験を通じて実感しました。

ここまで長々と書き連ねてきましたが、この記事のタイトルは南相馬が昔ながらの伝統が根付き、新しい可能性に満ち溢れる素敵なまちであるという比喩です。

ですが、いつかみなさんが南相馬を訪れたとき、南相馬の街を本当に馬とロボットが交差していたら面白いな、とも思います。


麻生さん、素敵なメッセージをありがとうございました。
MYSHでは、年間を通じてさまざまなプログラムを運営しております。

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