見出し画像

私たちはなぜ生きるのか 〜Shuna Kanaさんの世界に触れて〜

ご覧いただきありがとうございます。
のりこです。




なぜ私たちは生きているのか。
一体何のためなのか。



何か辛いことがあったとき、空に向かって問いたくなる人は多いのではないだろうか。




私がものすごく死にたかった時代、ちょっと危険な内観をしたことがある。(良い子は真似しないでね)

「死にたい死にたい」と言うわりに、なぜ今すぐ台所へ行って包丁を取りに行かないのかと。
なぜビルの屋上に行こうともしないのかを。





それは単純に生きたかったから。
答えはすごくシンプルだった。




生きとし生けるものに当たり前のように備わっている生命力が、一時期不思議でならなかった。


生きるのを諦めてしまえば簡単なように思えたから。


でも、自分の奥底から湧き上がる「生きたい」という声に従って、今日まで私は生きてきました。



Kanaさんの生き方を知って、参加者さんの人生をも垣間見て、わかったことがある。




それは、
「私たちはただ、感じたかっただけなんだ」ということ。




人間というのはめんどくさい生き物で、一度起こったことはもう一度起こるのでは?とエゴさんの防衛本能が働くし、ネガティブな出来事がいちいち傷になったりして、その後の人生に影響をもたらしたりする。


別に傷にする必要も、トラウマにする必要もなかったんだ。
私たちはただ、その事柄がどんな感じか見てみたかったのだ、感じてみたかったのだ、魂に刻んでみたかったのだ、とすごく素直に思いました。


人生って意外とシンプルだということに、またもや気づかされました。




✳✳✳




あの日私は、“私”として生きる自信をもらいに行ったんだと思う。

これでいいんだよねって。


あれだけ孤独だと思っていたのに、みんな私と同じだったんだなって思ったら、過去が塗り変えられた気がした。



いつも人間が嫌になりがちな私ですが、きっとこれから会う人一人ひとりと、あの日みたいにシェアできたら、もっと好きになれる気がした。


ただ受け止めることの絶大なる安心感を改めて感じた。


ものすごく大きな大きなギフトをいただきました。


喜びも悲しみも怒りも苦しみも全部ぜんぶ、受け止められる人でありたいと、心から思いました。



小さい頃の私が欲しかったもの。

それらを大好きな人たちに精一杯プレゼントすることが、私の喜びなんだなと思ったら、辛いことがいっぱいあって良かったし、苦しい時間も楽しかったし、色々な感情を体験できて幸せだったと思えた。



Kanaさんのご経験が今の活動や人となりに表れていることを感じて、私の経験も宝物のようにギュッと抱きしめておこうって強く強く思いました。



素敵な時間をありがとう。
共に歩む勇者たちを誇りに思います。


のりこ



Shuna Kanaさんのnoteはこちら↓




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?