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#18 いつからそんなにえらくなったのか

ご覧いただきありがとうございます。
のりこです。



私は昔よくカウンセリングやら占いやら、良さそうなものに手当たり次第通っていた時期がありました。

ここ数年出会っている方からすれば、全然想像できないのかもしれませんが、私は子供の頃から精神科に通っていた人だったのです。

よくこんなにも変われたものだと、それだけは私の自慢です(笑)



そんな経緯もあって、人の話を聞いたりするのが好きです。

一体何がその人をそこに踏みとどめているかという理由を知りたくて。

誰かを助けたいみたいな気持ちは最近はあまりなくなって、単純に人に興味がある。

どんな人生を歩んできて、いまここに至るのかというストーリーを聞きたくなる。


この世界で一番何に興味があるかと聞かれたら、間違いなく「人」と答えます。



誰かに悩み相談だったり、どう思う?と意見を聞かれたりするときがよくあるのですが、だいたい過去の自分が通ってきた道のことに関係していることが多くて。

その人の話を聞きながら、あの頃の自分をどうにかこうにか思い出す。

ほとんどのことが自分の中で消化されているので、懐かしいと思うことが多い。

そんなときにふと、「昔の私もそうだった」というセリフが出てきて、ぎょっとしたのを覚えています。


何だろう、このセリフがちょっと引っかかるというか。


「私はそこはもう通り過ぎていて偉い」

「まだそこなのか」

みたいに上から目線で言っているような気がして、冷やっとする。


私が色々な人に相談しに行っていた頃、カウンセラーさんは素晴らしい人間で、自分は出来損ないみたいな気分になることがよくありました。

全てを悟っているかのようなアドバイスに、落ち込むことが多かったのです。


今思えば、どれも正論だし、どれも私に必要な言葉だったとは思うけれど、でも心の奥に何か引っかかったものは、いつも私をモヤモヤさせていました。


反対に、「自分も上手くできない」ということを言ってくれる方々に出会えた時は、心がすごく軽くなって温かくなっていくのを感じました。



どう伝えたら、私の人間味が伝わるのか。

どうしたら私の中での成長と他者の立ち位置を区別して考えることが出来るのか。

どうしたら、目の前の誰かに寄り添えるのか。



文章を書く時も、いつも試行錯誤する部分です。


私はときどき、自分の調子がイマイチな時にわざと自分の書いた文章を読んでみたりすることがあります。

どんな状況で、どんな状態で読んでいるのかわからないからこそ、こんなに気分が最悪な日の自分にも「そっと寄り添う何か」があるのかを確かめたくて。



未だに文章を公開するときは「これでよかったのかな?」とちょっとの不安が襲います。




私の文章が、誰かの人生の良いスパイスになってくれていることを願って。

のりこ

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