見出し画像

専業主婦は1円も稼いでこないくせに?

こんにちは、女子高校生フェミニストのピッピちゃんです。「専業主婦は1円も稼いでこないくせに」「労働は金が支払われるから労働なんだよ、家事は労働じゃない」という言葉を受けて、今回は労働概念のジェンダー化についてお話しようと思います。簡単に言えば、主婦の家事労働に金は払われないが、主婦の家事労働に価値があるということです。

事の発端はピッピちゃん(@mypippichan)のこのツイート。

https://twitter.com/mypippichan/status/1302209348190400514?s=21

画像1

この画像に対して、「夫ってお弁当も作ってもらえて、晩酌のビールらしきものも用意してもらえて、服も畳んでおいてもらえて、パンツも買っておいてもらえていいな〜」と正直思いました。

そもそも夫が一緒にお弁当を作り、自分の飲むビールは自分で持ってきて、服も自分で畳み、パンツも自分で買うようなことをしてたらこんな事にはなりません。この時点で夫と妻の家事労働は対等ではありません。

そこは本題では無いので置いといて。問題はこのツイートに対して「主婦は稼いでこないくせに」というようなリプがあったことです。

さて疑問です。本当に私たちは「主婦は稼いでこない″くせに″」なんて言えるのでしょうか。


家事は仕事じゃないの?

「家事を労働としてみなそう」とフェミニストが動きだしたのは1970年から1980年のことです。半世紀以上も前から問題にされてきたんですね。

マルクス主義フェミニズムは

①家事も労働である
②不当に支払われない労働である。

の意味を持つ概念を確立しました。
それは「不払い労働」

これは資本制と近代の「女性の抑圧」を表したものです。割に合わない無償の労働がやっと価値を認められるようになる理論的支柱のはじまりでした。


主婦の背負わされた無償の労働

ところで、今日の日本でお金を払ったら家事をやってくれるサービスってなにがあるでしょうか。

お金を払ったらエアコンクリーニングにきてくれる。お金を払ったら夕飯を作ってくれる。お金を払ったら家の掃除をしてくれて、ごみ捨てに行ってくれる。お金を払ったら洗濯してくれる。色んなサービス業者が出てきました。

では、業者がやれば報酬のある仕事を、妻がやれば無償なのはなぜですか?

この問いには「家事労働に賃金を!」という声がマリアローザ・ダラコスタらから上がりました。しかしその声があがったことで誰が主婦に賃金を支払うのかという新たな問いが出てきます。

1つ目は企業から
2つ目は夫から
3つ目は国から

ではそれぞれ問題点を見ていきましょう。

1つ目の企業
既婚男性と未婚男性のどちらも同じパフォーマンスをしたとして、企業が既婚男性のみに高い賃金を支払うのに必要性は感じません。さらにこれが実現したとしたら未婚への差別だとか、新たな問題が出てきます。よってこれはあまりに現実的ではありません。

2つ目の夫
そもそも夫婦間の夫と妻の間には権力勾配がはたらいており、必ずしも夫が妻に賃金を支払うなどとは保証はできません。その上、夫も家事をするのなら誰が家事労働そのものに賃金を払うかという問いも出てきます。よってこれも現実的ではありません。

3つ目の国
主婦に賃金を支払うとしたら、国が新たな課税を伴う福祉法を作らなければなりません。日本にそんな余裕はありません。また、主婦労働に賃金を支払うことは「主婦の職業を家事労働に限定する保守的思想」でもあります。これでは女性の社会進出を妨げることにも繋がるでしょう。当時のフェミニズムは「女性も社会進出を!」という風潮もありましたから、これに逆行してしまいます。

どれも現実的ではありません。
ではどうやって主婦の家事労働を価値のあるものだと位置つけてきたのでしょうか。


主婦労働はなぜ価値を生まないのか

「主婦労働はなぜ価値を生まないのか」この問いに私は

「主婦労働は必要不可欠である。しかし経済学的には価値を生まない」

と答えたいです。主婦の背負わされた無償の労働でも書いたように、家事労働には賃金が与えられません。それは経済学的には価値を生まないということです。しかしここで注意しておきたいのは、「主婦が資本主義社会で労働の価値が資本家に認められないということは、主婦が本質的に非生産的な存在であることを意味しない」ということ。それを踏まえても、なぜ、主婦労働は資本主義社会において価値を生まないのでしょうか。

①主婦の家事労働が価値を生まないのは、家事労働そのものの性格によるものではない。家事労働が業者によっておこなわれたときには価値を生むように、家事は労働である。

②家族員の労働が個人の労働として認められないのなら、主婦の家事労働が無償とされるのは妻の身分が低いからだ。妻の身分が低いのは政治的差異により、女が男より身分が低いことに起因している。

③このことから、家事労働は価値を生まないのではなく、生んでも価値を認められないのである。

この夫婦間の権力差を見ることができなければ、容易に「専業主婦は1円も稼いでこない″くせに″」と言えてしまいます。主婦の家事労働に価値が無いのではなく、価値を無いものとされてしまっているのです。


おわりに

確かに主婦の家事労働は賃金を得られない。しかし、その裏には、そもそも夫婦間の権力勾配から主婦の家事労働が価値のないものとして扱われてきた歴史があること、それが今も尾を引いていることに問題があります。主婦の家事労働に「1円も稼いでこない″くせに″」と言う前に、少し立ち止まって女性を抑圧してきた歴史に目を向けてみたら、どれだけ妻を見る目が変わるでしょうか。どれだけ妻の負担を減らせるでしょうか。この記事が1人でも多くの人の目に止まり、「″くせに″」のストップをしてもらえることを祈っています。

ここから先は

33字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?