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いくつになっても子供は子供で、母は母。だと感じた1週間

母が骨折しました。
雪かきで転んで右手を折って、先日手術をしました。
コロナの関係もあり、親族の待機はなし。説明も本人が可能な場合はなしでした。

不安もあったからなのか、私を安心させようとしているのか、電話を頻繁にしてくれていましたが、「大丈夫~!」とどんどん治療していく母です😊
一時は連れてきて介護生活の始まりかとさえ思っていたのに、今の医療は安静にはしないですね。
手術で一泊、リハビリ指導もきっちりされて、雪かきと重いものを持つ、運転する以外はできているそうです。

そんな非日常の1週間を過ごしながら、母の強さはいくつになっても健在だと、尊敬、感謝、いろんな感情が沸き起こってきたのでした。

母といえば、天然な性格なのに、やるときゃやる、頼りになる存在で✨

私が、がんの闘病をしていた時も、旦那が夜勤の日の前後に1時間ほどかけて実家と私の家を往復して看病と子供たちの世話をしてくれていました。
きっといつもの我が家よりも綺麗だったかと🤭
どれだけ頼りにしていたことか。
その時は父も闘病中だったので、ダブル看病です。
本当に頭の下がる思いです🙇🏻‍♀️

二男の高校受験で、塾の送迎、勉強の簡単なお手伝いも忙しい中、非日常の出来事に冷静に対応できなく、体調を崩したりすることも予想してくれていたんだろうな。とか。

ストレスをかけると「再発」という恐怖のワードが迫ってくる感じは母も同じなんだろうな。とか。

そんな思いをさせているだろうと、わかってはいても結局子供は安心して親に甘えたいんですね。
いくつになっても。
子供の心配はやめろと言われても、際限なくできるのに。
親の心配は、大丈夫と言われたらきっと大丈夫。
心配するなといわれたらそうかと思える。
心配する気持ちがないわけではないですが、安心感が先に出てしまいます。
病院勤務で様々な家族の関係を見てきていても、そこは変わらない、我が家の関係なんですかね。

それはさておき、私もまがりながらも3児の母。その安心感を、子供たちに持たせられているのか、時々振り返ってみなくてはと思いました🤔

どんどん大きくなり感性や意思が自立していく。
そんな姿たくましさを感じながらも、不安や不憫な思いをさせたくないと、つい過保護になりがちです。

大学生の長男に言われてハッとしたことがあります。
ポケモンのゲームを進める時にパパが(パパはゲーム好きです🎮)ヒントくれすぎて、学校の友達は自力でコツコツやってるのに、どんどん進んでたんだよ俺は。
その当時は何も感じてなかったけど、今思うと、そのコツコツが楽しみでもあり、成長に影響する1つの出来事だったんだよねー!
今友達と昔のポケモンの話しても俺にはエピソードがないんだよ!
過保護に育ててもらってる爆笑🤣
です。
なんとも痛いところを。本当に些細な事。
パパはまだできないのかー!なんて言われることを避けてあげたかったのかもしれない。
そんな深い事も考えてなく、親子の会話で伝えたのかもしれない。
でも子供の感覚ではそうじゃないことっていっぱいあるんだなと思った会話でした。
自分で過保護に育ったと爆笑している子で安心したけど😮‍💨


noteを書く事で頭が整理されて気付かされました。
母の気持ち、子供の気持ち、伝え合わないと伝わらない事もありますね。
母に心配してる事、大丈夫と言ってくれて安心してる事ちゃんと伝えようと思います😊

最後まで読んでいただきありがとうございます😊
またお会いできたら嬉しいです✨

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