共感したら

火曜日に人間としての文章、土曜日に芸人としての文章を書く、と掲げていたが最近はその境目が曖昧になってきている。
文章に限らず、自分の中で人間と芸人(谷口翼と谷口つばさ)の境目が曖昧になってきている。
芸人としては「暗い奴だな~」とかいじられたら「おい!」と返せば、お笑いとしては成立するが(ウケるかすべるかは置いておく)、人間としてほんの少しだが傷つく場合もある。
こういう感情は歴を重ねるうちに慣れていくものかと思っていたが、むしろ今の方が人間としての自分と芸人としての自分が近づいて行っている。
「レッドブルつばさ」という本名では無さ過ぎる名前を長年使ってきて、一年半前にほぼ本名である「谷口つばさ」という名前に変わった事も関係している気がする。
昔はいくら言われていても「まあ、俺じゃなくて“レッドブルつばさ”が言われているだけだしな」と思えていたのだな、と今なら気づく(当時は、それでもレッドブルつばさも自分そのものだと思っていてそこまで客観的に見れていたわけではないが、それでも無意識のうちに離れていたのだろう)。
突飛なキャラを作って舞台に出ているわけでもないし、普段より少しだけ元気にやろう、ぐらいの気持ちでやってるから乖離が少ないのは当然とも言えるが、この感覚は他の芸人はどれぐらい持っているのかずっと気になっている。
楽屋で「乖離はどれぐらい?」と聞いて回るかも知れない。

(別にこれは本筋でもなんでもなく「自分で決めたnoteのルール最近あんまり守れてなくてすみませんね」という注釈のつもりだったけど、思ったより長くなった。)

たまに、共感される。
話し相手がいてあるあるを言って「わかるわかる」の共感ではなく、noteやライブやラジオで発言したことに関して「わかるわかる」という感想がSNS上に現れるという、共感である。
誰にでも「共感された」という経験はあると思う。
直接でも、アイコンしか知らない人でも共感されると嬉しくなる。
それは自分の考えを述べて共感されると「わかってもらえた」という感情が沸き起こるからだと思う。
特に自分は他人に対して、自分の事をわかってもらいたいという欲求が強い。
だから、こんなにも自分の感情を垂れ流す文章を書いている。
共感ばかりを求めて日々生きているわけではないけど、つぶやきにいいねがつくことを無意識のうちに求めているという事は、やはり共感を求めてしまっているのだろう。
しかし、「共感=味方」では決してない。

ここから先は

1,826字

普通プラン

¥800 / 月
このメンバーシップの詳細

頂いたサポートでドトールに行って文章を書きます