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ユキさん(80代後半)の話②

こちらは雨。
午前中は予定をキャンセルしてひたすらダラダラ。
14時くらいになって、やっと動き始めて5日ぶりの筋トレ。
腕プルプルや〜
汗だくのまま、今。汗が落ち着くまでちょっと書いておく。

私の祖母にあたるユキさんの話。

ガードルを履いてキツく絞めたら、腸閉塞になって搬送されて退院後に
私に「おじいちゃんの所に行きたくない!」って言ったことについて書きていこうと思う。

ユキさんは、戦時中に山の中で育って全く戦火の影響を受けずに過ごした人で、
戦争の話を聞いてくるっていう宿題でインタビューした時に、「街がよく燃えよったのを山から見よって、綺麗やなぁって思いよった。」って話してくれた。
もちろん宿題は出せんかったけど。そんなこと書けんやんか。。。

ユキさんは、昔から人の良いところとか悪口とかをはっきりその人の前で言う人で、まるで遠慮とかない人やった。(と思いよった。)
ちなみに、うちのおかんは実母であるユキさんの悪口(あの人は中卒でバカやき。みたいなこと。)を娘である私らに散々言いよったし、聞くエピソードは暴力的なものもあって、怖い人やなって思いよった。

そんなユキさんが最近、今まで誰からも聞いたことない、私のイメージを完全に覆すようなことをポツポツと話してくることが多くなった。

今まで誰にも言えんかった話。今やき言える。そんな話。

ユキさんは、おじいちゃんが死ぬまで体重が40キロになったことがなかったらしい。

おじいちゃんは、イケメンで気分屋さん。女の人にモテる人で家まで女の人がプレゼントを持って会いに来たりしよったらしい。ネクタイとか、皮のベルトとか。
ユキさんはそれをハサミで切り刻んでテーブルに並べたことがあるって。

おじいちゃんは、外面が良かったらしい。京都大学を中退したおじいちゃんは、中卒のユキさんをそれはそれは外で褒めちぎり、ニコニコしよったらしい。だから、近所の人は、「素敵な旦那さんやね、羨ましい。」みたいなことを言いよった。

でも、家の中では違ったって。玄関に一歩入れば、命令するし、怒鳴るし、暴力を振るう。深夜2時にラーメン作れって言われて作ったら目の前で流しに捨てられて、意味わからずに「なんでそんなことするが?」って聞いたら、「俺の金で買ったもんをどうしようがええやろうが。」って言われたがやって。

ある時は、ユキさんが体調を崩して寝よった布団に火をつけて「誰の許しで寝ゆうがな」って言われたこともあるらしい。布団ごとお風呂場に持って行ってびしょ濡れやったって。

こんな話、今まで聞いたことなかった。
最初、ユキさんがおじいちゃんの話をし始めた時は作り話かと思うくらいにびっくりしたし、なんならボケたがかな??って思った。だって、うちのおかんは「ユキさんは嘘つきやき」ってよく言いよったきさ。でも、どうやら違う。

ユキさんは、緊張の連続やったって。だからご飯食べれんかったらしい。
ダイエットなんてしてなかった。ただ食べれんかっただけやった。

おじいちゃんが死んだ翌日、「これで解放される、安心して寝れる」って思ったらしい。めちゃくちゃホッとしたって。結婚して初めて40キロ超えたって。あんなに嬉しかったことないって。

「頭がえい人がなんであんなことできるろうね。あたしには、ひとっちゃあわからんかった。」

ユキさんの言葉に、とてつもない痛みを感じた。

「今が一番幸せや。
こんなに穏やかで安心して毎日楽しく生きれる日が来るなんて思ってなかった。
たこちゃんはよく話を聞いてくれるき、話しやすい。まだ全部じゃないけど、聞いてくれてありがとう。
やっと話せた。誰にも言えんかった。
生きちょって良かったって思う。
自分と同じ世代の人が、昔は色々あったけど夫に感謝しちゅうみたいな話を聞くけど、あたしは絶対に感謝なんかせんし、一緒になりたいとか思わん。
同じお墓に入りたくないがよ、たこちゃん、あたしが死んだら山に撒いてよ〜。」

って、話すユキさんは、爽やかやった。

話が真実かどうかは関係ない。
そういう思いで今まで生きてきたし、抱えてきたがやろうな。
少しでも話すことで心が楽になるならいつでも聞くでって思う。

ユキさんは、今とっても幸せそう。それが何より嬉しい。
生きるってしんどいし、死んだら現実が終わるき楽かなって思ったこともあるけど、でも生きてこそ味わえることがあるがやなって改めて思った。

私も「生きちょって良かった」っていう毎日を送りたいと思う。

汗が引いた。いい感じや。
では、また。

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