見出し画像

諏訪湖の見える場所から

ご無沙汰しております。おかげさまで新しい任地である上諏訪病院で働いております。東京からの引き上げでは多くの方に協力いただき、本当にありがとうございました。こちらに落ち着いてみると、東京での発達障害臨床の日々とはまた違う精神医療の姿に触れて、あらためて精神神経学の面白さを感じる毎日です。

上諏訪病院には図書室があって、すこし昔の精神医学の本もたくさんあるので、仕事の合間の待ち時間などにいろいろ読んでいます。たとえば、「分裂病・家族・個人」という Theodore Lidz の翻訳本など、わりと分析寄りなのですが、ピアジェの「自己中心性」に言及していたり、家族との関係を重視しながらも反精神医学に対して釘を刺していたりと、伊勢田先生流の生活臨床などに通じることがあるように感じて面白く思いました。

予約制のない外来なので、新患が一日に7人も来ることもあって、こんなのできるのか? とやってみる前には思いましたが、窮すれば通ずでなんとかなるものです(といっても医師二人で分担でしたが)。おのずと違うやり方にはなるわけですが、決して手を抜くわけでもなく、それはそれでやれるのが不思議なところです。ただ、東京の予約制のクリニックとは患者さんの層が違っていて、意外なことにいわゆる神経症圏の新患が多いのです。世の中は上手くしたもので、数年前から森田療法セミナーに参加して勉強してきたことがいまになって役に立っています。決してそういう予測をして勉強したわけではないのですが。

もうひとつ、何年も前からチャン・デュク・タオというひとの現象学の本にジャン・ピアジェが引用されていることを知って興味を持っていたのですが、田口茂先生の現象学の一般書を拝読したことをきっかけに再読して、ここから精神神経学につなげていけないか真剣に考えているところです。生物学派の仲間達は、現象学などと言うと嫌な顔をするかもしれないと思うのですが、体験の世界に向き合うと言うことは精神医学にとって必須のことなので、ここを探求することがDSM精神医学を超えていくひとつの糸口ではないかと思うのです。フッサールも、あのヨーロッパ中心主義的な哲学の形にちょっと閉口して親しめなかったのですが、田口先生の導きで西田哲学を通じて解釈することで確かに学ぶべきところがあることまでは理解できるようになってきました。

とりとめの無い話になりましたが、また近況をご報告します。諸兄姉におかれましてもどうぞご健勝でお過ごしください。
なお、つまらないことですが、このnoteのタイトルを「精神神経学雑感」に変更しました。引き続きどうぞよろしくお願いします。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?