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不動心13 意識喪失中の行動

運動神経弱者のムトウです。

あなたわ高い崖の上から飛び降りることができますか。

私はこわいです。

天井裏から落下したことがありますか。

はしごに登っていた時はしごが傾いて飛び降りたことがありますか。

自転車に乗っていて前輪が止まり前へ飛ばされたことがありますか。

バイクに乗っていて突然前を横切った自動車と衝突して空中を飛んだことがありますか。

私はそのほか数件事故にあいましたが自慢にはなりません。

しかしその全ての事故でケガはほとんどなかったのです。

それだけが救いでした。

冷静な判断の出来ない状態です。

一瞬の出来事でした。

はしごが傾いた時はすこし時間があったのでムササビのように手を広げ飛びました。

自動車と衝突して空中を飛んだときはフワッと上がってゆくのがわかりました。

そしてつづいて頭から下を向いて落下したのをおぼえています。

自動車の上をとびこえたのです。

最後はヘルメットがアスファルト道路に激しく音をたてて砕けました。

バイクの前輪は曲がっていました。

自動車も凹んでいました。

しかしうち傷もかすれ傷も全然なかったのです。

ただ立ち上がるには数秒間時間がかかりました

意識は途切れることなく状況を把握していました。

ここで解ったことは咄嗟の瞬間でも無意識が適切な行動を行っていることです。

どの事故をみても大怪我になっても不思議ではないのです。

事故の瞬間しまったと思わないことです。

避けようとしないことです。

大変だと考えないことです。

余分なことを考えないことです。

その前に考えることがあるでしょう。

その場所の状況を把握することです。

見る時間がなかったら記憶から探すことです。

それが出来ると確信をもったのは用水路の淵を後ろ向きに歩いていたときです。

石に躓いて片足を滑らせたのです。

用水路は狭いので頭か肩を打ちつけることは確実でした。

無意識が咄嗟に判断したのです。

もう一つの足に力を入れて体の向きを90度回転させたのです。

すると道路の端に椅子に座るようにお尻から着地したのです。

この判断は記憶によるものと確信しました。

何故なら夏目漱石が同じ経験を『草枕』に書いているのです。

そこは初めて歩く道でした。

大きな石があり歩きにくいところでした。

その場面を引用します。(あおぞら文庫

「余(よ)の考(かんがえ)がここまで漂流して来た時に、余の右足(うそく)は突然坐(すわ)りのわるい角石(かくいし)の端(はし)を踏み損(そ)くなった。平衡(へいこう)を保つために、すわやと前に飛び出した左足(さそく)が、仕損(しそん)じの埋(う)め合(あわ)せをすると共に、余の腰は具合よく方(ほう)三尺ほどな岩の上に卸(お)りた。肩にかけた絵の具箱が腋(わき)の下から躍(おど)り出しただけで、幸いと何(なん)の事もなかった。」

ここで大切なことは「絵の具箱」を守らなかったことです。

この判断ケガを防いだのです。

絵を描く目的で来た旅なので「絵の具箱」を守ろうとするのが人情だと思うのですが。

余分なことは考えなかったのです。

私はバイクのことを心配しなかったのです。

これは沢庵禅師の「心を留めない」妙術なのです。(「不動心2 無刀の妙術」)

絵の具箱に心を留めなかったのです。

バイクに心を留めなかったのです。

これで『不動心』はおわりにします。

付き合って頂きありがとうございました。

また夏目漱石の作品を取り上げたいと考えています。

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