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私の歩いてきた道

人生て不思議なものだね。

ある点と線で結ばれているような気がする。

今興味があることが初めての不思議な体験でした。

それははっきりとはおぼえていないが小学低学年でした。

学校の運動場の片隅だった。

クラスの体操の時間でした。

いわゆる催眠術の実演でした。

自分もその実演の被験者に選ばれたのです。

順番が回って来るまで何組か目の前で見学していました。

5人程度がそれぞれ前の人の肩を手でにぎり一列に並ぶのです。

それはやさしい催眠術でみんなが前へ倒れるというものでした。

その時自分は決してかからないと思っていました。

あんな言葉で催眠術にかかるはずがないと。

さていよいよ順番が回って来ました。

前の同級生たちが少し倒れかかたので、どうしょうかと考えました。

自分だけ立っているのも悪いと思い倒れることにしました。

これだけの経験ですが催眠術にかかとは思いませんでした。

しかし社会人になってから催眠術の本を数冊買ってきて読みました。

そこで知ったことは催眠術者に気を使ったこと自体が催眠術にかかていたのです。


もう一つは完全な後催眠暗示でした。

後催眠暗示とは催眠から覚めた後一定の条件のもと暗示を実行することです。

ただし正確には催眠暗示ではなく感化といってもよいのですが、

効果は後催眠現象でした。

それは高校の国語の時間でした。

教科書に夏目漱石の小説がのっていました。

たぶん『吾輩は猫である』とおもうのですが。

そこで先生が、

『こころ』は君たちにはむずかしいから30歳ぐらいに成ったら読みなさいといったのです。

続けて心理学と言語学も読んだほうがよいよといいました。

社会人になってからは夏目漱石のことはすっかり忘れていました。

ところが30歳を過ぎたころ本屋でふと手にしたのが江藤淳の『夏目漱石論』でした。

文学の本は家には皆無だたのです。

手にした瞬間国語の先生の言葉を思い出したのです。

これは正しく後催眠現象でした。

30歳という条件を満たしていたのです。


それからというもの夏目漱石全集を買い、夏目漱石論をあさりました。

夏目漱石の最初の著述である『文学論』には意識は暗示によって推移するのだと書かれていたのです。

しかもそこに書かれていたのが後催眠現象を裏付ける内容だったのです。

暗示は意識の表面には現れないが鉱脈のように徐々に成長して突然意識の表面に顔をだすのだというのです。

それから後催眠現象を信じるようになったのです。


これはフロイドの因果論的な考え方です。

またアドラー心理学の目的論とも考えられます。

最近知ったのですが、

フロイドとアドラーは共に研究した仲間だったようです。

今回はこれまでにします。


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