龍神考(17) ー日巫女と龗と女将さんー
「靈」の成り立ちと日巫女と天照大御神
まず「霊」の旧字「靈」=「雨+口口口+巫」が示す巫女の役割と降雨の仕組みについて少し整理しましょう。
①巫女は太陽神の妻、共同体全体の母となるべく、処女・独身の人生を送る。
②巫女は日々太陽神を祀って感応を得る能力を高め、維持する。
③「靈」能力を持つ巫女が雨乞いの言葉を唱える→「靈」=「雨+口口口+巫」。
④巫女の「云う」祈りに太陽神が感応して海を温め、風と「云=雲」が起こる。
⑤北極星〜地軸の自転の力も加わって風が雲を陸に運び、雨を降らせる。
以上の仕組みが「靈」の一字に籠められており、この一字を構成する巫女は太陽と非常に深い関係にあることがわかりました。
この深い関係性から、太陽を祀る巫女について「ひみこ=日巫女」という言葉が生まれ、いわゆる魏志倭人伝には「卑弥呼」と記されることになったのでしょう。
そして卑弥呼が独身の女性シャーマンだったとされるのは、上記①に挙げた巫女の条件として神の妻、共同体の母であるためだったと思います。
邪馬台国の卑弥呼は歴史上の人物であり、神話上の存在である天照大御神と同一視する説が生まれたのは、互いに相通じる性質があるからでしょう。
神話に描写される天照大御神に誰か具体的な歴史上の人物が念頭に置かれていた可能性はもちろんありますが、本稿は信仰思想がテーマですので、天照大御神とは太陽を祀る「日巫女」の神格化として考察を進めていきます。
前も述べた通り、邪馬台国を構成する女王国の卑弥呼と社会的地位や能力などが同等かそれに準じるレベルの「日巫女」は非常に大昔から日本全国各地にいたはずで、それぞれの土地の地域共同体の母役を担い、太陽神の妻となるために祭祀や雨乞いを行なっていたことは容易に想像されます。
各地にはそこ以外では見聞きしないような神号の女神が祀られている神社が意外に少なくありませんが、それらの女神はそれぞれの土地で「日巫女」のような役割を担っていた特定の女性シャーマンか、無名の巫女たちの総称に各地域独自の特色に応じた意味合いが加味された神号が贈られた可能性もあります。
後に大和朝廷が成立し、古事記や日本書紀を編纂する中で、遥か昔から日本各地で太陽神を祀り、その妻となり、地域共同体の母役を担ってきた「日巫女」たちを神格化したのが天照大御神であり、別名を「大日孁貴(おおひるめのむち)」や「天照大日孁尊(あまてらすおおひるめのみこと)」とも申し上げることになったものと、大まかに捉えています。
これらの神号には、太陽神を祀るうちに太陽神と一心同体の妻のレベルに達し、雨乞いの祈りを「云う」時に口から立ち昇る呼気(水蒸気)が、そのまま太陽が海を温めて立ち昇る水蒸気(「云」=「雲」)に化するほどの、言わば「日巫女」の中の「日巫女」を、もはや「巫女」の枠を超えた神として表現するために、「靈」の中の「巫」を「女」に替えて「孁」とし、「天照」や「大日」、「貴」、「尊」を加えたものでしょう。
巫女と龍女
このように巫女が言葉を発して降雨を祈り、それに神々が感応して雨が降るさまを示すのが「靈(れい)」の漢字の成り立ちですが、雨との関係性が強調される龍である「龗(おかみ)」も「れい」と読むことを、「龍神考」を執筆中に知ったと以前書きました。
この二つの字は「雨+口口口」が共通し、「巫」と「龍」の相違があります。
しかし風雨を呼び起こす能力を持つ存在という点では巫女も龍も同じです。
しかも龍に関する伝承を調べてみると、管見では男より女が関係してくるケースが多いように感じます。
「龍女」と謂う概念はあっても、「龍男」は概念というより人名として用いられるのが一般的のようですし…
尤もこれまで取り上げた豊玉毘賣命と玉依毘賣命という「龍の女神」の父も海神=龍神で、仏教系の八大龍王も男の人身に龍が絡みついたお姿ですので、「龍」が必ずしも女神とは限りませんが…
しかしやはり究極の「陽」である太陽神に触れて風雨を呼び起こしうるのは人間ならば巫女であり、その龍にも基本的には女性性や母性の方が強く意識されてきたように感じます。
すると「巫」の一字は本来女性シャーマンの「巫女」を意味することからして、「靈(れい)=雨+口口口+巫」と「龗(れい)=雨+口口口+龍」はほぼ同義か相似系の字と言うことができるでしょう。
神と人も異性同士の方が繋がり易いような印象を受けますが、それについては改めて考えてみたいと思います。
さてこのように書いていた矢先の本日2月22日、春日大社の社報『春日』第111号が郵送されてきました。
早速開いてみると特集記事「春日の龍神信仰」が組まれていました。その中で、同社境内の「龍王珠石(りゅうおうじゅせき)」については御祭神が「善女龍王様(ぜんにょりゅうおうさま)」で、その場所の記述から始まり、さらに日本の龍神信仰の始まりについて次の一文がありました:
まさに「渡りに舟」という感じで私の思うところを補強してくれるような情報が届いたわけで、福岡県外ではいつしか春日大社に最も足繁く参詣するようになり、春日さんを自宅から毎日遥拝している者としては、それこそ「神恩」と感じられた吉事でした。
「龗」と「籠」
ところで巫女の祈りが通じて降った雨が、「天然濾過装置付き貯水槽」である山の中に貯まることを「籠る」と見立てて、「龍神考(13)」で「竹に籠る霊性」について考察しました。
「雨後の筍」ということわざがあります。これは、数ある植物の中でも竹が降雨に最も敏感に反応して生えてくる植物の代表例だから生まれた言葉でしょうか?
だとすれば、竹が繁っている竹林は龍と巫女によってもたらされた雨が強く意識されていたことも、「雨後の筍」は暗示しているのでしょう。
そして巫女≒龍の恵みである淡水がまとまった量に成長するまで山の竹林の下に「籠る」様は、胎児がある程度成長するまで母胎に「籠る」ことに見立てられる…
そして、母胎で十分成長するまで「御子守り(みこもり)」された赤子がやがて生まれ出るように、竹林の下で「籠り」を経てまとまっと量に成長した淡水はその圧力でもって地表に出て、蛇体のような河川となって地域に「水分(みくまり)」=「水配り」をし、住民=「土地っ子」を守る「御子守り(みこもり)」をする…
このように「みこもり」と「みくまり」の言霊の類似には、自然と人間の営みをオーバーラップさせるものがあります。
そうすると、本稿は以前、河川を住民を養う龗の「母乳」のように見立てましたが、蛇形の「赤子」と捉え直すべきでしょうか?
しかし「母乳」の「にゅう」と「赤子」の「赤」とに注目すると、以前言及した高龗神(たかおかみのかみ)を祀る奈良の丹生川上神社上社を思い出しました。
高龗神は、伊邪那美命(いざなみのみこと)が火神の迦具土命(かぐつちのみこと)をご出産が原因で亡くなり、伊邪那岐命が逆上して火神の首を刎ねられた際に刀剣に付いた赤い血から現れた神です。
ただ古事記には高龗神の記述はなく、闇淤加美神(くらおかみのかみ)が現れたことが記されており、丹生川上神社の下社は現在は闇龗神が御祭神です(大正時代以前は高龗神)。
いずれにせよ「龗(おかみ)」は共通し、「淤加美」や「意加美」と表記されています。
こうしてみてくると、丹生川上神社の社号は「丹=辰砂(水銀の硫化鉱物)」の産出地というだけでなく、高龗神が赤子の火神の赤い血から現れた神であることも同時に暗示しているのではないでしょうか?
「丹生」と同じ言霊の母乳の「乳」も元はと言えば母親の血液であり、体外に出る時に乳白色を帯びた、米のとぎ汁のような色の液体になりますが、赤子が飲み始めた頃は水分が多く薄い色だそうです。
ということは、赤い血液から現れた高龗神が鎮まる吉野の山々に龍=巫女=共同体の母がもたらす雨は、山の中で土も混じった色の「血液」のように籠り、それが地表に出る時は母乳のように透明に近づく液体となるというふうに考えられたのでしょうか?
さて前回は「日巫女」の好例として玉依毘賣命について考察し、例えば福岡県でこの女神を祀る最も有名な神社の社号は竈門神社で、御鎮座の宝満山は「御笠山」や「竈門山」であり、「雲」が「竈門」の「煙」のように絶えないのが山名の由来とされる信仰思想に、畢竟「神=KAMI」に収斂しうるK+母音とM+母音からなる「かまど」「みかさ」「くも」「けむり」などの言葉が繰り返し登場することも、K+母音とM+母音の組み合わせの重要性を暗示するものと指摘しましたが、今回取り上げた「高龗神」は、一つの神号に「かみ=KAMI」が二度繰り返されることが注目されます。
この点についてはまたいずれ考察してみましょう。
ふと思いましたが、太陽の祭祀と雨乞い祈祷にも携わる共同体全体の母役を担う「日巫女」の姿を「靈(れい)」の一字に認め、それは「龗(れい、おかみ)」とほぼ同義ではないかと述べましたが、そう考えると料亭などで店全体の切り盛りをする「女将さん」を「おかみさん」と呼ぶのも、この大昔からの日本の信仰に淵源を求めることもできそうです。
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