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龍神考(18) ー春日信仰と「靈能力」ー

 前回取り上げた高龗神や闇龗神は、伊邪那美命が火の神である迦具土命をお産みになって病死されたことで、逆上された伊邪那岐命が迦具土命を斬殺された際に出た赤い血から現れられた水神ですが、その際他にも神々が登場されています。

 その中に「たけみかづちのかみ」(表記は建御雷神、武甕槌命など)という雷神がいらっしゃいます。
 茨城県鹿島市の鹿島神宮や前回触れた春日大社の御祭神としても知られており、春日大社では四柱の主祭神を祀る大宮の筆頭の第一殿に祀られ、はるばる鹿島神宮から白鹿に乗って奈良の御蓋山に来臨されたと伝わります。
 また春日大社は『春日龍神』と云う有名な能の演目もあるように、日本全国でも龍神信仰が最も篤い霊地の一つです。
 そこで今回は春日大社の信仰思想について考えてみます。

春日大社の神々と「靈能力」

 春日大社の御本社(大宮)の第一殿〜第四殿と若宮社には次の神々が祀られています:
第一殿=武甕槌命(たけみかづちのみこと)=鹿島大神*雷神
第二殿=経津主命(ふつぬしのみこと)=香取大神*風神
第三殿=天児屋根命(あめのこやねのみこと)=枚岡大神=中臣氏祖*神職の神
第四殿=比売神(ひめがみ)=天照大御神同一説*「日巫女」の神格化
若宮社=天押雲根命(あめのおしくもねのみこと)=第三・第四殿の御子*水神
(注)ー「*」以降の部分は、自然界の要素や人の役割を神格化した場合に喩えてみたものです。

 ところで今までの考察から、霊能力とは本来、巫女が太陽を祀り、雨乞いの祈りを口に唱えることで雨をもたらす「靈」=「雨+口口口+巫」の能力を意味するものであり、それは「龗(おかみ)=雨+口口口+龍」の能力とも言い換えられるのではないかと考えました。

 以上から、太陽を祀る巫女が「日巫女」であり、それは「龍女」でもあること、そして「日巫女」の神格化が天照大御神である、としました。

「龍神考(18)」に、春日大社の社報『春日』第111号で、日本における龍神信仰の起点は、八大龍王の三番目=沙加羅(しゃがら)龍王の第三王女である善女龍王(ぜんにょりゅうおう)だと知った旨を記しましたが、春日大社境内の善女龍王=の尾珠(おだま)を祀る龍王珠石(りゅうおうじゅせき)のそばに、「日巫女」の神格化と思われる天照大御神を祀る伊勢の神宮を遥拝する磐座があります。
 つまり「日巫女」を遥拝する磐座のそばに「龍女」の磐座もある、と言うこともできます。

 この靈(龗)能力を備える「日巫女」の神格化=天照大御神=比売神を出発点に、春日大社の神々の性格について次のように整理することもできましょう。
(注)ー「御神木」は大宮の第一殿〜第四殿それぞれの真裏に植栽されている樹木

①比売神=天照大御神=太陽を祀り、雨乞いの祝詞を「云う」「日巫女」の神格化、御神木はヒメサザンカ(ツバキ科)

②天児屋根命=天岩戸から太陽神天照大御神のお出ましを願う祝詞を「云う」神職の神格化、御神木はモッコク(モッコク科)

③経津主命=比売神と天児屋根命の祈りに応じて太陽神が起こす上昇気流=風神、「ふつ」は刀剣を振った時の空気を切る音や物を切る時の音に由来とされ、別名の「いわいぬし」(斎主神、伊波比主神など)は祭典を司どる神職も意味するので、天児屋根命と特徴が重なり、御神木も天児屋根命と同じモッコク(モッコク科)

④武甕槌命=比売神と天児屋根命の「云う」祈りに応じて太陽神が起こす水蒸気が上昇気流(風)で立ち昇り、経津主命=風によって運ばれてくる「云=雲」の中に発生する雷神、御神木はサカキ(モッコク科)

⑤天押雲根命=比売神と天児屋根命の間にお生まれになった小蛇姿の水神→比売神と天児屋根命の「云う」祈りに応じて太陽が起こす「云=雲」から降る雨が、山を経て表出した蛇行する小川、「蛇行」は雷光の軌跡も暗示、御神木は未確認ながらマキ科のナギ?(後日再考の予定)

 これまで「龍神考」を読んでこられた方々はすでにお察しのことと思いますが、「云う」と「云=雲」に括弧を付けているのは、それらが巫女の雨乞い祈祷に由来する「霊」の旧字「靈」に関する信仰思想のキーワードだからです。

「靈」=「雨+口口口+巫」の中の、言葉を並べるの意味の「口口口」を「云う」に置き換えると「雲」となります。

 すなわち日々の太陽祭祀を経て太陽神と一心同体の「妻」のレベルに達した巫女=「日巫女」が雨乞い祈祷で祝詞を「云う」時に口から立ち昇る呼気は、一心同体の太陽神が海を温めることで立ち昇る「云=雲」と二重写しに想像され、そのことが、立ち昇る雲の象形文字である「云」が、言葉を発する「云う」の意味にもなる理由だと私は考えています。

奈良県庁屋上から望む芝生の若草山(左)と右隣の濃緑の御蓋山、その奥の春日山(2020年12月30日)


春日大社の御由緒に窺える自然現象

 春日大社の御由緒では、鹿島神宮から白鹿に乗って旅をされてきた武甕槌命は、御蓋山(みかさやま)の山頂、浮雲峰(うきぐものみね)に降臨されました。


 これを自然崇拝の観点から言い換えると、武甕槌命=雷神が白鹿=白雲に乗って浮雲峰に来られた、ということができるのではないでしょうか?

福岡平野に浮く積乱雲に春日大社と同時期に創建の春日神社辺りから立つ虹(2022年8月5日夕刻)


 しかも雲は風によって動きますので、ここには鹿島神宮の隣の千葉県の香取神宮の御祭神である経津主命=風神の存在も窺えます。
 さらに武甕槌命に随行した、中臣時風(ときふう)と中臣秀行(ひでつら)の「時風」にも、雷神が籠る雲を動かす風への意識があるように感じられます。

 武甕槌命はその後、香取神宮から経津主命、枚岡(ひらおか)神社(大阪府)の天児屋根命を浮雲峰にお招きになり、そこには三神を祀る本宮(ほんぐう)神社があります。


 春日大社には浮雲神社という末社も別にあり、天児屋根命が祀られています。
 ということは、浮雲峰の本宮神社の三神のうち「浮雲」と最も関係が深いのは、天児屋根命だと推察されます。
 すると浮雲峰の本宮神社の御祭神を自然界の要素に喩えるとこうなります:
武甕槌命=雷神
経津主命=風神
天児屋根命=雲神(云神)

 前述のとおり「雲=云」と「云う」は同根で、太陽神と一心同体の「日巫女」が祝詞を「云う」時に立ち昇る呼気は、太陽神が温めた海から昇る「云=雲」と同一視されたと考えますが、天児屋根命は記紀神話によると、太陽神天照大御神に岩戸からお出ましいただくために祝詞を唱えられた(=「云われた」)神です。
 ならば、天児屋根命が祝詞を「云われた」呼気も、それに感応した太陽神が海を温めたことで立ち昇る「云=雲」に重なって見えませんか?

 太陽神の感応を得るべく祝詞を唱える姿は、「日巫女」が太陽神を祀り、雨乞いを祈る姿に重なります。
 つまり天児屋根命は男性版「日巫女」とみることもできます。
 そして春日大社の社伝では、「日巫女」に通じる比売神=天照大御神ですから、天児屋根命は比売神=太陽神天照大御神と一心同体の「夫」となられます。
 2015〜2016年の春日大社第60次式年造替のある関連行事での花山院弘匡宮司のご挨拶の中で、天照大御神が鎮まる伊勢の内宮の相殿に天児屋根命が祀られているとする古文書があり、伊勢春日同体説がある、とのお話を聞いた覚えがあります。

 するとこうも考えられます:
 天児屋根命が「云う」祝詞に、「妻」の比売神=天照大御神=太陽神が感応して海を温めることで「云=雲」が立ち昇る…
 そして天児屋根命と比売神の「ご夫妻」がともに「云」を発せられた結果、降雨があり、雨水が御蓋山を経る中でまとまった量の淡水に成長し、御子の天押雲根命が小蛇姿の水神=蛇行する小川としてご誕生になる…

 ただし「靈」は「雨+口口口+巫」で、「巫」は女性シャーマンが本来の意味であることから、比売神=「日巫女」は降雨を祈る女性シャーマンで、天照大御神の岩戸からのお出ましを祈った天児屋根命は止雨を祈る男性シャーマン、というふうな大まかな役割分担の傾向があるとも言えないでしょうか?
 ただしこれは、比売神は必ず降雨、天児屋根命は必ず晴天を祈る存在だと単純に分けられるのではなく、あくまで大まかな捉え方であることをご了承ください。

 前述のとおり、雷神の武甕槌命は浮雲峰ご到着後に男性シャーマンの天児屋根命と風神の経津主命をお招きになります。
 ここには、天候は雨や雷が続くばかりでも良からず、いずれ雨雲は風で祓われるべきもの、という自然界の調和を意識したバランス感覚が見て取れます。

 つまり春日大社の御由緒のこの部分は、男性シャーマン天児屋根命の祝詞に感応した太陽神と風神の経津主命により、雨雲や雷雲がいずれは消え去り、太陽を再び拝むことができるという自然のプロセスも暗示しているのではないでしょうか?

 他方、晴天ばかりでも良からず、深刻な雨不足にならないように、今度は比売神=「日巫女」=天照大御神=雨宝童子が降雨を祈る言葉を「云う」と、「云=雲」が立ち昇り、慈雲が慈雨をもたらすというプロセスにつながることになります。

 ここで特に注目したいのは、風神の経津主命の別名が斎主神で、神職の神格化と思われる天児屋根命と特徴が重なる点です。
 そして風神は、降雨のために雲を運んできて、止雨が必要な時は雲を運び去っていく点です。
 これは、先ほどの比売神と天児屋根命の天候祈祷の対応関係で言えば、比売神の降雨祈祷に応じて雲を運んできて天児屋根命の止雨祈祷に応じて雲を運び去る、または消し去るとも言い換えられます。

 雲を運んできたり運び去る風は風神の口から出てくる息吹と捉えられますが、雲の中で発生する雷は「神鳴り」という雷神の口から出てくる音声と想像されます。
 以上から、春日大宮の四柱の神々すべてに共通するポイントは、「口」と「口」から出てくる音声や呼気、息吹であることが明らかになってきます。
 もっと言えば、春日の若宮様は小蛇姿で顕現されますが、細長い体に比して非常に大きく開く口を持ち、自らの頭部より大きく太い獲物を呑み込むことができるのが蛇の特徴です。つまり小蛇姿で御誕生の若宮様にも「口」が意識されているのが窺えます。

 こうしてみると、太陽神天照大御神の天岩戸隠れと岩戸開きは次のように考えることできないでしょうか?
岩戸隠れ→太陽が分厚い岩のような雲に隠れて長期間現れず、様々な災いが発生
岩戸開き→天児屋根命が「口」から祝詞奏上、八百万神の「口」から笑い声が雷のように響き、天照大御神が岩戸=岩のような雲の「口」を少し開いて、その手が薄明光線のように出てくる

雲間から伸びて来る薄明光線(2023年8月27日夕刻、福岡県新宮町の夜臼貝塚跡付近から撮影)


 この後、天手力男命(あめのたぢからおのみこと)が太陽神の手を取って岩戸=「雲の口」から引き出されますが、それは雲の「口」がどんどん開いていく様子、言い換えると、天手力男命の手で押し広げられていく様子にも想像されます。

「岩戸」の「戸」は「口」と密接な関係があります。
 夏越や年越の大祓で参列者らは紙の人形(ひとがた)に「口」から息を吹きかけますが、その禊祓の息吹という風の力の神格化と思われる「いぶきどぬしのかみ」は「伊吹戸主神」とも表記されます。
 また「人の口に戸は立てられぬ」のことわざもあります。
 さらに本稿の冒頭で触れた、火神を産んで病死された伊邪那美命が死者の世界の黄泉国(よもつくに)からこの世に戻ることができなくなったのは、黄泉国の食事をしてしまったからとされ、その食事は「黄泉戸喫(よもつへぐひ)」と古事記には記されています。

 これらの点からも、「天岩戸」開きには「雲の口」が開く様子をイメージするのが最も自然ではないかと思います。

日本最初の真言寺院東長寺(博多)の六角堂と「雲の口」から現れた太陽(2023年1月28日、初不動縁日)


 尤も天岩戸隠れを日食とする説も完全に否定はしません。
 ただ、日食は確かに凶兆とされてきたでしょうが、それだけで天岩戸隠れの意味を日食に限定して良いのかどうか…

 そもそも神話の描写、表現を一義的に解釈することには問題があると思います。
 神々の神号や神社の社号、神話や御由緒の中の表現の仕方などは、一つひとつが多義的というか重層的な意味合いを持っているからです。

 そして日本の信仰思想の根底に自然崇拝があることから、神話や御由緒、神号の背景にある自然界の諸々の要素と働きと人間界に与える影響などを考えてみることが重要だと確信しています。

 それは日本古来の自然観を探究することであると同時に、日本の信仰が民族信仰という枠を超えた普遍性を秘めている点に気づいていくことにもなるからです。
 

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