吉岡昌俊

短歌を読んだり書いたりしています。 こちらもご覧ください。https://blog.g…

吉岡昌俊

短歌を読んだり書いたりしています。 こちらもご覧ください。https://blog.goo.ne.jp/yoshiokamasatoshi/arcv

最近の記事

『いちじくの木』(山名聡美歌集)を読む②

科捜研の女・靖子を見るためにきょういちにちのわれはありたり 山名聡美『いちじくの木』 『科捜研の女』はテレビの連続ドラマで、毎週木曜日の20時から放送しているようだ。このドラマをちゃんと観たことがなかったので、今週の放送の回を観てみたところ、たしかにヒロイン(榊マリコ)は優秀・冷静・真面目でありながらどこかコミカルな魅力的な人物だった。 私ははじめ「科捜研の女・靖子」の「靖子」はヒロインの名前だと何となく思い込んでいて、この文章を書き始めてようやく演じている役者の名前だと気

    • 『いちじくの木』(山名聡美歌集)を読む①

      シチリアの飾りパンまつりにいつか行くそれだけ決めて今日ははたらく 山名聡美『いちじくの木』 「シチリアの飾りパンまつり」というのは現実にあるものだけれど、この人にとっては、自分の生きている日常からは遠い世界の出来事として見えているのだと思う。日本からすぐには行けない外国の街で、年に一度行われるイベントである。街じゅうが花や動物など様々なものを象ったパンで飾られるまつりらしいが、日本で生活する者がその様子を想像する時、異国の風景であるというだけでなく、どこか童話めいた印象もあ

      • 夜が来るまでのしばしの猶予

        午後の日はいまだ木立に沈まねば蟬は無数の単音に鳴く 小野茂樹『黄金記憶』 「無数の単音」という把握の仕方が印象的である。いくつもの蝉の鳴き声が同時に同じ場所にあるのだが、それらは響き合って全体を形づくるというよりも、それぞれが別々の音としてある。 昼を過ぎて、一日は終わりに向かっている。午後の日はもうすぐ沈んでしまうが、まだしばらくの猶予がある。その限られた時間の中で個々の蝉は、他の無数の蝉たちと同じような声で、だが同じではない声で鳴いている。傍からは見分けることが難し

        • 歌がうたう

          五線紙にのりさうだなと聞いてゐる遠い電話に弾むきみの声 小野茂樹『羊雲離散』 五線紙にのりそうな弾む声は、「きみ」が出している声なのだが、それは聞いている“私”がいることではじめて弾むものになっているとも言える。他ならない“私”がその宛先として在ることで「きみ」の発する声は弾み、他ならない「きみ」の声を受け取る“私”の耳元でこそその声は弾む。弾む声は「きみ」のものであり、“私”のものであり、そのつながりの中にあるものである。 語られている話の内容に焦点が当てられるのでは

        『いちじくの木』(山名聡美歌集)を読む②

          なんでもなくなくなる

          なんでもない朝の空にさしだして季節のごとくひらく青傘 澤村斉美『夏鴉』 「季節のごとく」という比喩が心に残る。普通は、比喩に使う言葉は具体的である方がより印象的になりそうだが、「季節」という言葉は具体的ではない。「春」「夏」「秋」「冬」といった言葉の方が情景をイメージしやすいし、たとえば「晩春」「初夏」など、より限定された時期をさす言葉もある。だが、この歌の比喩は「季節のごとく」でなくてはならないと思う。 「季節」は、ちがうかたちをとりながら、どんな朝にも存在している。

          なんでもなくなくなる

          複数の人たちが一つに織り上げられてできている

          去りがたくポストを拝む人のをり君への手紙入れるため待つ 澤村斉美『夏鴉』 そう言われてみると、ポストというものが、どこか非日常的なもののように思えてくる。赤くて真四角で、一本の足に支えられて宙に浮いている。そこにある細長い穴に差し出されたものは、時間と空間を超えて、人がそれを届かせたいと思う別の人のもとへ届く。あたりまえのように日常の風景の中にあるけれど、この世のものではないような感じもする。 ポストは普通、拝むものではない。だが、「去りがたくポストを拝む人」を見ている

          複数の人たちが一つに織り上げられてできている