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他人と飯を食べる

豊岡での生活も3日目に突入。

宿に泊まるお金がないので、豊岡在住のメンバーの宅に4人で滞在。
朝も昼も夜も一緒にいる生活を送っている。

その中で、ともに過ごす時間として『食事』がある。

みんなで自炊をするときもあれば、車で飲食店に行って食事をするときもある。

一人でする食事もすきだけど他人とする食事もすき。
単純計算食べ物が4人分並べられたテーブルの雑多感は一人では見られない光景だ。

また食事の時間が、一人よりも他人と過ごす方が時間がかかる

一人では見られない光景を一人では過ごせない時間を過ごす、ということに、喜びを感じてしまうのはなぜだろう。

食べる、という行為は直接、生きる、ということに繋がっていく。
目の前で『生きようとしている人』をみるのがもしかしたら嬉しいのかもしれない。
他人と飯を食べることは、ともに生きようとする空気を生みだしてくれる。

言葉を交わさなくても、咀嚼音や茶碗に箸があたる音や食べ物を口に運ぶ時に服が擦れる音なんかが全て、自分と他人によるセッションのような感じもする。

食べる、ことは、ライブなんだなあ。なんて思いながら今日もみんなで美味しいものを食べた。

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