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自意識過剰な自分と居れる場所と居れない場所

歳を重ねるにつれて、大人数での集まりが苦手な理由が変わってきた。

5年くらい前までは、いろんな場所で同時多発的に交わされる言葉であったり、誰かが主導権を握って、その人の采配によって交わされる言葉に苦手意識を持っていた。

けど最近では、自分よりも歳下の人たちが集まる場所に参加することが増えてきて、自分がこの場を支配してしまうことへの恐怖だったり、歳上だから・男性だからという理由で気を使わせてしまっているかもしれないとか、隣にいるこの人はあまり会話に参加していないけどどうにかこの人の話を聞くことはできないだろうかなどなど、気になる部分が増えてきてしまって、どっと疲れてしまう。

人によっては、集まる場所に参加しているだけで場にコミットしている感覚を感じれる人もいると思う。

けれどどうしても、自分が今この人たちからどう見えてしまっているのか、が気になって、この場所には居れない、と感じてしまう。

別に自分のことを喋りたいわけでもないし、人の話を聞くのが退屈(むしろ知らない人の話を聞くことはすきだからできることならその場にいたい)というわけでもない。

自意識過剰だとは頭では理解しつつ、この場にいることが申し訳なく感じるようになってきた。

じゃあ、逆に大人数でも居れる場所を考えてみたけど、思い当たらないから、結局昔からそういう場所が苦手だったんだなーと思う。

もっとこの人の話が聞きたいけど、自分がこの人に話しかけていいのだろうか(年上なのに)(男性なのに)という意識がどうしてもはたらいてしまうこの自分とどう付き合っていくのか、日々難しさを感じているこの頃。

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