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1年前まで0人間だった私が、チームリーダーに!?

初めまして!株式会社1LDKで女性向けコンテンツ制作のプロデューサー兼チームリーダーをしてます、みょんと申します。

こうした記事を今まで書いたことがなく、今回が記念すべき1本目の投稿ということで…!
テーマはだいぶ悩みましたが、今日は私の自己紹介と入社の経緯についてお話ししたいと思います。

現在はありがたいことに弊社で女性向けコンテンツ事業のチームリーダーという重要な役割を任っておりますが、実は社会人になってまだ1年と3ヶ月のアマチュア。それまでは本当に自堕落な生活を送っていました。
そんな私がなぜこの会社で働くことができるのか。

※その前に「0人間」ってなんや?
【0人間とは】
ずばり「何もない」人間です🤪
1年前の私は、社会人経験やスキル、知見など社会に出て働くための能力が何もない、”0の状態”だったので、当時の私を「0人間」と名づけました。

秋田の山奥出身、ギャルに憧れ上京。

私は秋田県で生まれ、18年間のどかな田舎の山奥でのびのびと育ちました。
田舎だったので同級生の数も少なく、保育園〜中学校までは同じメンバーで過ごしていたので、外の環境に触れる機会は少なく、限られたコミュニティーの中で生活していました。
中学3年の春頃、ギャルに憧れていたのと、こんな限られたコミュニティーに居続けてみんなと同じ高校に通うのがつまらないと感じた私は、秋田市で一番可愛い制服の学校を進学先の志望校に決めました。
当時の私の学力では、その高校に入学することは難しかったため、「可愛い制服を着てギャルになりたい!」というモチベーションだけで受験勉強をひたすら頑張りました。
無事志望校に合格し、晴れて私は、秋田で一番可愛い制服を着たJKになれた訳ですが、私の中学からこの高校に進学した友達はいなかったので、新しい環境に馴染むことがとても大変でした。
自然と友達ができてきて、高校生活も充実してきた頃、当時読んでいたギャル雑誌のモデルたちが渋谷109でアパレルをしたり、学校帰りにプリクラを撮っている様子を雑誌で見て、「私もキラキラしたところに住んでみたい…!」と東京に憧れを抱くようになりました。
高校3年の秋、ネイリストになるために自分でネイルチップを作ったり、雑誌を読み漁っていたので勉強なんか全くしてこなかった私ですが、代々教師家系の両親に、「上京するなら大学に通いなさい」と告げられ渋々受験勉強を始めました。
現役は諦めて1年浪人したのち、無事に都内の4年制私立大学に入学しました。

【肩書き】大学生 【職業】廃人

大学生になり、土地勘も何もないままとりあえずギャルの見よう見まねで渋谷で遊んでみたりしました。
夏には彼氏ができ、受験勉強から解放されたこともあり、家の近くのスーパーやダーツバーでバイトをしながら空き時間は全力で遊びました。
しかし2年生の秋に体調を崩して半年休学し、3年生の春からはコロナの流行で授業は全てオンライン化。一日中家に引きこもり生活が始まりました。
お店がどこも空いてないので、オンラインゲームに手を出したところ、とてつもなく熱中してしまい、バイトも辞めて朝から晩まで毎日ゲームをしていました。
そんなこんなで気付いたら4年の夏になっていました。
同じ大学の友達は皆就活を終え、LINEグループでは4月からの新たな人生のスタートに胸を膨らませる会話が止まない中、私は両親と祖父母からの「卒業したらどうするの?」という圧力メッセージと電話をそれとなくかわし続ける毎日を送っていました。

就活から逃げる。

当時私が就活をしなかった明確な理由があります。
それは、社会人に対してとてもネガティブなイメージを持っていたことです。
当時の私は社会人に対して「かっちりとスーツを着て、決まった時間に生活が管理され、同じ日々を送る"ロボット"」だというイメージを持っていました。
終電近い電車でくたびれたスーツを着て死んだように寝ているサラリーマンを見たり、服装や身だしなみの自由を制限されて個性は排他される環境にこれから飛び込まなければならないと考えると、とても就活をする気にはなれませんでした。
幼い頃から絵を描いたり、何かを手作業で作ることが好きだったので、引きこもり中に趣味でイラストを描いたり、PhotoshopやIllustratorの使い方を覚えてバナーを作ったりしていくうちに、webデザインに興味を持ち始めました。
「家で1人でデザイナーになったら、仕事ロボットにならなくても生きていけそう」と思い、独学でwebサイトを作ったり、同じくデザイナーになりたい人が集まるオンラインチャットに参加して情報共有をしていました。

気がつくと大学4年の3月。このままだと来月からはニートですが相変わらず就活は手付かず。
流石の私も焦りを感じ、IT企業で働く友達にすがりつきました。
そこでこの"1LDK"という会社を紹介してもらい、ついに面接してもらうことになりました。

0人間、ついに社会人デビュー。

元々人見知りな性格と引きこもり生活が2年続いたこと、自分を推し売りできるスキルや経験もなかったこと、初面接でガチガチに緊張していたことのフルコンボで、オンラインでの一次面接は見事に落ちました。
※当時面接官だった弊社代表の朝岡に面接の時の私の様子を聞いたら「質問しても答えが返って来ず、何か話しても話すスピードが水中で話しているくらいゆっくりだった。」と言われるくらいボロボロでした。笑
※母から「年金や税金などをちゃんと払ってくれるような、福利厚生がしっかりしているところに就職しなさい!」と言われていたので、朝岡からの「会社にあなたが1番求めていることは?」という質問に「福利厚生です!!」と答えたときの朝岡の引きつった表情は今でも鮮明に覚えています。笑

一次面接が終わった後、1LDKのメンバーの人柄と事業内容にとても魅力を感じ仕事に対してのモチベーションが高まったと同時に、面接の手応えが全くなく絶望感に満ち溢れた私はすぐに「さっきは緊張していて全然うまく話せませんでした。やる気はあり何でもするのでもう一度チャンスください。」の旨のメッセージを送りました。

※実際のメッセージ

このメッセージを見た朝岡から、もう一度面接のチャンスを頂く事ができました。
結果的に2回目の面接でも相変わらず水中コミュニケーションを発揮してしまったのですが、「とりあえずお試しで入ってみようか」とこの会社の1メンバーとして無事迎い入れてもらえる事になりました。
こうして私の社会人生活は去年の3月から始まることになります。


以上が私の自己紹介と入社までの経緯です。
次回は「0人間が1LDK入社後から学んだこと」について、私の考え方の変化と共にお話できたらと思います!
ここまで読んでくださりありがとうございました。
またお会いしましょう🫰




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