くまこ

衣食住とアウトドアが好きです よくしゃべる のかもしれない しゃべらないと …

くまこ

衣食住とアウトドアが好きです よくしゃべる のかもしれない しゃべらないと いきていけない のかもしれない

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すきなことは

衣食住がとても好きです。 洋服に関しては、誰からも指図を受けたくないので、家族であっても他人にはほとんど買ってもらわない。買ってもらってもありがたく保存するに留まる。 食事は、我が家(実家)は全員食べることが好きだというのもありこだわりがそれぞれ強いと思う。好き嫌いがあるわけではなく(私もまったくない)、「これが食べたい」という食い意地みたいなものだ。がめついな(笑) 「台所は女の城」と云うように、専業主婦である母には、唯一の表現の場が台所だった。私も、幼い頃のお手伝い

    • この4年くらいでお世話になった方たちにお礼を言って回る残り半年にしたい。元バイト先、旅先、友人や家族。明後日は母の日、お花送ろう◎

      • 5/9

        好きな人がたくさんいる! そして、帰りたい街もたくさんある

        • 5/1

          まるごと愛する 私にはいつも味方でいてくれる優しい友人たちがいる その人たちはいつも、自分を愛することを説いていて 私にはなんのことかさっぱりわからなかったけど 今なら、(その友たちと話したときのようにやさしく、柔らかい気持ちを感じたあの場所への旅を経て、) 少しだけ、わかるようになった。 どんなときも自分は味方なのだと たとえば周りにダメだとか気持ちが悪いとか言われることを過去にしたのならば、その自分をもまるごと愛する それをできるのは、世界でたった一人、自分自身だけ

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        すきなことは

          韓国エッセイを試し読みして、あぁ、そういう人もいるんだ、同じような気持ちを持ってていいんだ、と思えた。別の記事だけど「(他人ではなく)自分のための笑顔を」という言葉、染みたな

          韓国エッセイを試し読みして、あぁ、そういう人もいるんだ、同じような気持ちを持ってていいんだ、と思えた。別の記事だけど「(他人ではなく)自分のための笑顔を」という言葉、染みたな

          誕生日、と夢

          私の老後の夢は、おじいちゃん・おばあちゃんになったときに、縁側で仲良くお茶を飲むことだ。いつからそう思うようになったのか定かではないが、気づいたら、脳裏にそのような風景が理想の絵として思い浮かんでいた。なぜか、自分が「おばあちゃん」になるという想像があまりできず、思わず「おじいちゃんになったとき」と口走ってしまう違和感も、その景色が残っている理由の一つかもしれない。 そこまでの道のりが果てしなく、また経験したことのない山や谷であることは想像に難くないが、いつでもその穏やかな理

          誕生日、と夢

          都市になくて田舎にあるのは何かと思ってたけど、曲線だったと…。自然の曲線美を見たい

          都市になくて田舎にあるのは何かと思ってたけど、曲線だったと…。自然の曲線美を見たい

          慕情、という言葉を知ってから、この割りきれない、やわやわとした、みぞおちに残る、不確かな感情を把握できるようになった。私は、会えて、時間を過ごせて、嬉しかったのだよ…。

          慕情、という言葉を知ってから、この割りきれない、やわやわとした、みぞおちに残る、不確かな感情を把握できるようになった。私は、会えて、時間を過ごせて、嬉しかったのだよ…。

          チャットは辞めたい

          気づいたら3Gが4G、4Gが5G…と、社会の情報スピードが、そしてそれに伴って人々の足並みやコミュニケーションのスピードが、ますます速くなっている。 「どうしてそんなもの作ってしまったのか……」と、私はいま素直に思っている。 連絡手段としてのチャット、私は最近とても苦手だ。 見えそうで見えないそのやり取りのためのルールが、今の自分には向いていないようだ。 家族とたまにメールや、写真共有ツール内でやり取りすることがある。電話やその他を使うこともあるけど、特に必要のない話は、

          チャットは辞めたい

          実家のほうれん草がとっても甘くて、柔らかくて美味しかった、、野菜をもっと食べたい!って思ってその後も もりもり食べた(笑) 無意識に手が進むものっていうのは、あるんだなぁとしみじみ

          実家のほうれん草がとっても甘くて、柔らかくて美味しかった、、野菜をもっと食べたい!って思ってその後も もりもり食べた(笑) 無意識に手が進むものっていうのは、あるんだなぁとしみじみ

          他人に共感したり、受け入れようとしすぎた結果、「自分」がわからなくなってしまったよう。旅が必要だね( ^^)✈

          他人に共感したり、受け入れようとしすぎた結果、「自分」がわからなくなってしまったよう。旅が必要だね( ^^)✈

          以前住み込み先で誰かに手紙を書きたいなと思って入った郵便局で、"自分に宛てて、手紙を送りませんか?"というのを目にして、それだ!と思い、自宅に送りました。「確かにそこにいた証拠」や、時間がつながっているんだという感覚、そして、それを書いているときの気持ちは本当に楽しかった!✌

          以前住み込み先で誰かに手紙を書きたいなと思って入った郵便局で、"自分に宛てて、手紙を送りませんか?"というのを目にして、それだ!と思い、自宅に送りました。「確かにそこにいた証拠」や、時間がつながっているんだという感覚、そして、それを書いているときの気持ちは本当に楽しかった!✌

          服装に関しては唯一いつでも喜べるし、楽しめる。大好きだからか。色々な服を着る仕事をしてみたい…

          服装に関しては唯一いつでも喜べるし、楽しめる。大好きだからか。色々な服を着る仕事をしてみたい…

          🐣

          いつでも歌いながら、らくがきをしながら、ふよふよと漂っていける。 そんな器用な人間に、私はなりたい。 私の「好きなこと」は、取るに足らなくて、いつも力強くて声の大きいものに、覆われる。 私はそれが仕方のないことで、諦めざるを得ないことで、誰とも共感されないものだと思っていた。 でも、旅をして、色々な人に会って、話を聞いて、優しさを与えてもらった。 感じることを大事にしていていいんだと、そしてそれは自分にしか拾うことができなくて、表現しなければ、誰もわかってはくれないこと

          文章を考えたり書き起こすのが好きですが、最近、自筆の縦書きの文章と、横書きでの文章では、まったく書く時の心持ちが違うことに気づきました。とてーも面白い・・・( ゚Д゚) 言うなれば、横は詩的で縦は誠の心。 日本語(文字)の流れや書き方が、たぶん縦だとつながりやすいんだろうなあ。

          文章を考えたり書き起こすのが好きですが、最近、自筆の縦書きの文章と、横書きでの文章では、まったく書く時の心持ちが違うことに気づきました。とてーも面白い・・・( ゚Д゚) 言うなれば、横は詩的で縦は誠の心。 日本語(文字)の流れや書き方が、たぶん縦だとつながりやすいんだろうなあ。

          数匹の動物と、子どもたちとだけ暮らしたい…草むらに隠れたい、さわさわ、自然の音だけ聴きたい

          数匹の動物と、子どもたちとだけ暮らしたい…草むらに隠れたい、さわさわ、自然の音だけ聴きたい