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みちくさ⑨‥明星の保護者たち~依田好照 元小・中学校長に聞く

学校法人明星学園発行の『明星学園報』に、資料整備委員会が連載している「資料整備委員会だより・みちくさ」を転載します。

資料整備委員会だより第6回
‥‥2019年7月発行分、明星学園報No.110に掲載

このシリーズではこれまで、明星の保護者の中から著名な方々を取り上げて紹介してまいりました。今回は元小・中学校校長の依田好照先生に、保護者と明星とのかかわりについてお聞きしました。

■依田 元小・中学校校長に聞く

 依田好照先生は1933年生まれ、山梨県出身。1957年、早稲田大学第一文学部卒業。同年から中学校で社会科を担当。1983~1998年、小・中学校校長。著書に『ねしょんべんものがたり』(共著、童心社)、『おはなし世界歴史』(24巻、共著、岩崎書店)、『世界の国ぐにの歴史1 イギリス』(岩崎書店)など。

 スラッと長身でカッコよく、話も抜群におもしろい依田先生はいつも生徒たちの人気者でした。85歳の今もお元気で、明星の話になると何時間でも語ってくださいます。
 依田先生が明星で教え始めた頃は創立者の一人・照井猪一郎先生が健在で、照井先生の薫陶を受けた原田満寿郎先生や橘正薫先生も第一線で教えていた時代でした。

――明星にはリベラルな考え方の親御さんが多いと思いますが、昔はどうでしたか?

依田:明星は左派の人だけではなく、右派の政治家の子どもだって通っていたんだよ。
 若い頃、そんなことは考えずに授業の中で自民党の政治家を批判するような話をしたところ、その女の子が家に帰って涙ながらにお母さんにその話をしたんだ。お母さんが学校へ来たときに、怒るでもなくそのような報告の話をされて「エラい学校へ来てしまったなあ」と思った。「ついついそんな話をしてしまいまして」と言い訳をすると、お母さんが「いえいえ、良いのですよ。どんなことでもおっしゃって、教えてください」と言ってくださった。
 いったい明星学園というのはどういう学校だろう? と思ったね。
 右の政治家からも明星は好かれて、また左の人たちからも好かれていた、そういう不思議な学校なんです。

■参観日にも政治談義
依田:
当時は父親参観日(注:現在の授業参観日)というのが年に1回あって、新米だった僕は小さくなっていたんだけど、大勢のお父さん方が教室がいっぱいになるくらい出席された。熱心だよね。
 「この学校はすごいな。お父さんたちがこんなにいっぱい集まって授業を見て意見を言ってくださるんだな」と感心しました。
 ちょうど世の中は「安保」の時代で、授業のあとの懇談会にはお母さんも少しはいたけれどほとんどはお父さんたちで、政治談義を始めるわけ。「いや! あんたはそう言うけど違う、俺はこう思うよ」とかね。
 「エライい学校に来ちゃったな~」とそのときも思ったね。こりゃあ困ったな、こんなところに来るべきじゃなかったなと(笑)
 時代の風潮だったのかもしれないな。明星だけではなくて、他の学校でもお父さんたちがそういう会に出席して政治談義をするということがあったのかもしれない。
 でも最近は明星でもそういうことは無いでしょう?
 その頃は政治的な主張をきちんとする時代だった。右も左もいろんな人たちがそれぞれの人格や社会的な存在であるということをお互いに認め合ったうえで、子どもを明星に通わせて、そして子どもについて、教育について、いろいろと論議もするという学校だった。
 時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、立派な人がたくさんいました。
 親御さんたちから教えられたことがいっぱいあり、親御さんたちに育てられたという実感がありました。僕はほんとうに、いまだにお父さんがた、お母さんがたに感謝しています。

■父母と協同して
依田:
あるとき僕は、上川淳先生や武者小路穣先生と一緒に小学校の子どもたちが授業で使う読み物教材をつくっていました。
 具体的なお話にいろいろな要素を散りばめる工夫を凝らして、「これは良い教材だ」というものをつくりました。
 あの時は“武士の時代”を教えていて、子どもたちも教材をよく読み取ってくれて活発に発言も出ました。
 授業が終って職員室に行こうとしたら「先生、ちょっとすみません」とお母さんに呼び止められて「今日のああいう授業で鎌倉時代というものが解るんですか?」と言われたの。
 びっくりしましたね。
 “あのような教材で武士の時代というものが理解できるのだろうか”という疑問だった。その言い方がきつかったから僕もギクッとしたけど、その方は「あの教材では解らないだろうから、もっと勉強して教えてもらいたい」ということを言いたかったのだろうと思う。
 その場は何とか誤魔化して逃げましたけどね、親御さんたちの中には甘やかしてくださった方が多かったですが、中にはこういう厳しい方もいらっしゃいました。でもそれは「先生が気に食わない」とか「うちの子をもっと可愛がって欲しい」などという不満ではなくて、それこそ明星学園の教育のために「一緒になって勉強しましょう」、「先生もっと勉強してください!」ということを言ってくださったのです。ありがたいことですよ。
 ほかにも僕の授業をご覧になったあるお父さんから、授業の後に「あんな授業をやったんじゃダメでしょう!」と言われたこともありました。
 授業の内容は“韓国併合”だったと思うが、僕自身は大成功だと思っていた。日本が韓国を併合したということを教材を使って授業をしたわけだが、このお父さん曰く「あれじゃあ先生、子どもにはわかりませんよ。具体的にこうしなければいけない。こういうものに内容を変えていかないと、子どもたちには響きませんよ」と言われて、いまだにその時のショックは忘れられません。公開研究会の日だったから分科会でも他の学校から来ている先生たちの前で僕は批判されました。
 「イヤ~、エラい学校に来ちゃったな!」とまたまた思った。悔しかったけどね。なるほど、こういうことかと。協同で勉強しようという学校というのはこういうことなんだなと思いました。

――そういう意見というのはご自身も勉強しているからこそ言える批判ですよね。自分の専門分野のことで意見を言ってくれる人が保護者の中にいるというのは、新米の先生にとってはちょっと厳しい環境だったかもしれないですが、きっと有難いことなのでしょうね。その頃の明星が意識的にそのように保護者も意見を言える環境を作ったのだとしたら、それはすごいことだと思います。

■『新讀本』にまなぶ
依田:
赤井米吉先生が『新讀本』の編纂について詳細を書き残していますが、「何度も何度も書き直しては子どもに読ませて親にも意見を聞いてまた書き直して‥‥」という一節がありましたね。
 僕はああいうことはとても大事なことだと思う。子どもたちのための新しい教材を、親と一緒になってつくりあげた話。
 僕はいつまでもそういう明星であってほしいと思う。
 文科省がつくらせた教科書をやって、はいおしまい、バイバイ明日またやりましょうって‥‥これじゃあダメだと思うのね。
 小・中・高を通して明星はいつまでも、中野光先生が言われるような研究実践学校という、そういう存在意義を大事にしていってほしいと思っています。

文責:資料整備委員会 大草 美紀

※『新讀本』については『明星の年輪―明星学園90年のあゆみ―』P.45を参照ください。

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