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曲の解釈で「えろい」と言ったら驚かれた、曲作りのコツ

(2020.12.07 修正あり)
 本当はえろい「花ふぶき」、というタイトルにしようかと思ったけど、失礼だなと思って止めました。w

 箏と尺八の曲で、吉崎克彦 作曲「花ふぶき」という曲があります。この曲はまぁタイトル通りに、春爛漫の景色を思い浮かべてもらえればいいのですけれど、私はこの曲を使って「曲のとらえ方ってどうやるのか」という話をしたことがありまして。
 そのときに、「この曲は解釈次第ではめちゃくちゃえろい」と言って(確か)、驚かれたんですよね。

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上記は記事とは全然関係のない動画です。

 まず、曲を膨らませるときのやり方。
☆ モチーフの解釈、それを広げていく
☆ 楽器特性を考える


 ここから、主に、 「モチーフの解釈を広げる」 の方でやってみます。
 花吹雪、これは何の光景かというと、文字通り、「花が散って花びらが風に乗りひらひらと舞い落ちる」場面を曲にしたもの。
 これを、ただ「きれいな春の風景」としてやるの、ちょっともったいないです。どうせならもっと深く掘り下げてみましょう。という話をしたんですよ。さてどうやるのか。

☆ モチーフ「花」の解釈

* 平安時代よりも前なら「花と言えば、梅」。しかし、指定が特にない場合は「花と言えば、桜」でよいでしょう。
* 「桜」の花びらが散るときとは。散るとは「終わり」を意味する言葉。これは曲としては、春の終わりの光景であるので、それがこの曲は華やかなのに少し寂しい色がする理由かも。「惜別」とか、「見送る」とか、そういう「別離」の感情を入れることもできそうな気が。

ここから個人的な解釈を並べてみます。
* 「桜の花」と言えば、短い命。儚い恋にもたとえられるかも。(個人的な解釈)
* 「桜」は実がならない。よって、恋のモチーフとして捉えるのであれば「実らぬ恋」「叶わない想い」のニュアンスを含めることも可能。(個人的な解釈)
* 「花」といえば、文学的に女性を示す言葉でもある。
* 「花が散る」。これが「花 “と” 散る」ならば、生を終えることを表します。たぶん、死因は外部的なものです。病気ではない。
 しかし、「花が散る」には別のニュアンスがあります。
 「花 “を” 散らす」となれば、これは文脈によっては暗に、関係を持つ、というニュアンスを含むことも有り。ほらここ、せくしー要素がでてきたでしょう。そうです、「花が散る」というモチーフは時にえろいのです。時に。(個人的な解釈)


☆ モチーフ「ふぶき」の解釈

* 花の散り方のニュアンスの違いについて。梅は「こぼれる」、椿は「落ちる」、牡丹は「崩れる」。それに対してこの曲では、桜の表現は「ふぶく」のです。
 吹雪くとは、漢字に直せば「風を伴い雪の激しく降る」様子。そこには二重の冷たさがあります、風、雪。曲名がひらがなにしてあるのは、もしかしたらその冷たさを少し和らげたかったのかもしれないです、冬の雰囲気がしてしまいますから。この曲はあくまで春なので。
 (ちなみに、花びらの形状の違いで滞空時間だとか変わると思うんですけれど、そういうの知ってたら教えて下さい、理解できるかどうかは別として知りたいだけなのですけれどw 梅のヒラヒラと桜のヒラヒラの感じは違う気がして。)
 さてその「ふぶく」、動詞で見た場合、ただ「散る」よりも烈しいですよね。春という優しい季節のはずなのに「烈しさ」が加えられる、この意味とは。他の花には与えられないだろうこの動的なニュアンスを、どう捉えるか。ここもポイントかなと思います。

* 花に対する「風」モチーフ。楽器的には「尺八=風」が大前提かと思います。となれば必然的に「箏=花」となりますね。
 ふぶかせる風と、舞う花びら。どちらが表立つ方が美しいか、どの場面でどちらが、という演出を、どう考えるのか。音量差ではなく表現としての立ち方と立たせ方を考えるならどうする。という点。
 尺は前のめりに食い気味に吹く場合と、間を置いてゆるゆる吹く場合とで、表情が変わりますし、この辺はやりようがどれだけでもあってこの曲は楽しいかも?
 (花モチーフの自己解釈で「花=儚い恋(をする人)」としました。とすれば、「風=恋(う・われる)人」とする解釈も可能です。このベクトルがどっちがどっちへというのが、色々可能性があり得るので、そこを考えるのは楽しいですね。)

* 曲の登場の仕方。始めの光景は、すでに散っているのか否か。この桜の花は「自ら散ったのか」 or 「散らされたのか」。ここは分かれるところかと思います。
 この曲は箏が単音の連続で先行、その音は「D」、そこへ尺が「♭ED~」とかぶせてきます。同じ場所から、展開=離れていくのです。ここも個人的にはポイントです。ちなみに最後の締めの音も「D」です。美しい。
 単音の連続が、花びらのひらり、ひらり、という解釈なら、風が吹かなくても散り始めた桜の心情を、まだ散っていないのであれば、風を待つ桜の心情を、と、解釈を二通りにプラスして考えることも可能かもしれません。

☆ 楽器特性

* すでに書きましたが、尺八=風、とされる曲は珍しくないです。一面一管の場合、材質で尺八=竹、箏=糸、とされる曲名は多いのですが(「糸竹による~」等)、風になる曲も多い気がします。
 さて、そうモチーフが据えられた場合、箏は何になるのか。季節にもよりますが、雪だったり、星だったり、色々ありそうですが。

 組み合わされるもの=異質、と想定する。それをどう合わせていくのか。それが違う楽器で合奏する面白さでもありますね。
 この曲に限っては、尺八が風で、箏が散る花です。
 この動線の違うものが同時に存在し、行き違う様。「風は横に吹くのに対して、花は上から下へ」、ふたつが縦横を入り交じって渦巻く、曲中に鳴らされるこまかな反復のフレーズはこれだと思うのですよね。そして、風はいつも一定では吹かず、様々な落ち方をして花びらが降るわけです。そのバリエーションの作り方と見せ方も、工夫次第ではできるのかもしれない。

 (そして、これをもし映像で表現した場合、目に見えるのは花びらだけ、動きを作るのは花で明示せねばならない。本当は風が花を舞わすのに、花が風を表さなくてはならないこともある、ということも、念頭に置くべきかもしれない。など。これは今考えた。)
 (追記:これは光も同じことで、光もまたそれ単体では明らかには目に見えないのですね。花びらがその中で翻って、光を反射することによって、目で視認できるようになります。花を担当する箏は、そこも考慮する必要があるかも。いきなり差し挟まれる異音、たとえばグリッサンドとか、慌ただしく弾いてしまうと余裕がなくガリガリっといってしまうこともあるのですけれども、あそこはキラリの方がそれらしいのではと思ったことがあった、と思いだしたので追加。)

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 …というふうに、モチーフをどう捉えていくのか、という点で広がりを作るのが曲の解釈をするコツなのかな、と。場面の差異を作るときの、バリエのきっかけとか、色々、考えが出せるかもしれないです。

 あくまで、これは曲の理解を深めるための説明でちらっと言っただけなので、このように曲を演奏すればいいよ、という話ではないです。
 「曲についてよく考えよう」と言われて困るときの、解像度の得方というか、想像の膨らませかた、そういうやり方の一つだと思ってもらえれば。

 そして、大事なのは、「初めて聴く人が持つであろう曲のイメージを壊さない」程度に留める、ということ。
 あくまで、バリエのつけ方や場面の転換を考える上での深掘りを、というだけで、その設定を全部入れ込んで作品を作るわけではないです。これは全てにおいて同じだと思いますが。
 なので、客観的に曲を捉え、「何が求められるだろうか」と考えるのが、とても重要になります。たぶん。

 …というのを、久しぶりにyoutubeで花ふぶきを聴いて思い出したので書いてみました。久しぶりの更新。おわり。

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