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「広く浅く」「狭く深く」を考える


こんばんは みょーです。

昨日は長時間の雑談配信をしました。お付き合いくださった方々ありがとうございました。


実は昨日のうちにnoteの下書きをしていたのですが、配信で大体同じことを話したのでボツにしました。ほぼオタクとオッサンへの殺意だったので浄化されてよかったです。

さて、今日は人間関係について聞きたいというリクエストがありましたので、ゆる~く考えていこうと思います。テーマとしては「広く浅く」「狭く深く」のバランスとかそういう雰囲気のアレをどうにかこうにかうんとこしょとやります(?)



「広く浅く」「狭く深く」を考える



「コミュ力があるってなに?」っていう素朴な疑問があります。概念があいまいで、イメージは出来るものの「コレ!」という決まった形はないような気がします。

たとえば「学校の人気者」は、友達が多いからコミュニケーション能力が高いと言えそうです。「広く浅い」人間関係を築いています。


©朝日テレビ

しかし、ここで「ちょっとまてい!」ですよ。ツッコミたくて大した意味もなく画像を添付した上に著作権に配慮しちゃいますよ。


「浅い」人間関係って、コミュニケーション能力が高くなくてもいけるんちゃうかと思うわけです。

浅いわけですから、繋がりは小さいわけです。親友で神友で心友なんて言い出すギャル(絶滅危惧種)と同じです。そこに愛はあるんか?です。

楽しい時間だけを共有するだけでなく、真面目な会話も出来てこそコミュニケーションだと思うのですが、これって深い関係じゃないと出来ないのではないでしょうか。


では「狭く深く」の方はどうか。「深い」人間関係、つまりは親友で神友で心友で信友なのですけれども、そういう関係って出来ても一人、多くて二人とかじゃありませんか?

それが、もし三人、四人といたらどうでしょう。それこそコミュニケーション能力が高いと言えないでしょうか。


っていうことを考えてまして、僕個人の解釈だと「普段は広く浅くしつつ、深い話も出来る」ってのがコミュ力じゃねえかなと。



オチがないので一回逃げま~す。




ちょっと話が変わりますが、僕は「自分にはコミュ力がある」と思っている人が嫌いみたいです。ちなみにブーメランです。よく自爆してますが言い訳を書かせてください。

浅い付き合いでいいと思っている人は、時としてその浅さから失礼なことをします。でも気づいていません。その上で「自分にはコミュ力がある」と思い込んでいるワケです。僕の身近にいるオタク達への殺意のうち九割がこれです。イスで殴りましょうか。


かと言って、狭く深くは、狭いぶん大体の人に嫌われます。ちなみにブーメランです。言い訳を(割愛)

じゃあ「広く深く」ってなるんやけども、それは無理なわけで、ちょうどいいのは「広くニコニコして時々深く」ってことになりまして、語呂が悪くてイライラしますね! イスで殴ろう!




またまた話が変わりますが、モテるってどういうことなのかと。

僕はモテる側の人間(戯言)なので間に合っていますが、モテるって恋愛対象に入る打率が高いなのかなあと、昨日考えてまして。


そうなると「浅く広く」好かれるのがモテるってことになります。結局そっちのがコミュ力という概念に近いのでしょうか。まあ顔面偏差値とかも関係するのでコミュ力だけでは無いのでしょうけれども。




さて、ここまでの文章では答えは出ていません。

大勢と仲良くなることがコミュニケーションなのか。より強くお互いを知り合い、心を通わせることがコミュニケーションなのか。


人によって変わりそうなので、最後に僕が僕の記事を読んで、考えて整理できたことをまとめようと思います。

僕が「狭く深く」に重きを置いていた、コミュニケーションが下手だった頃は、取り繕った自分を作っていました。周囲に良く見られようと背伸びをし、他人の評価ばかり気にしていました。


経験したから分かることなのですが、これって相手の視線を気にしているようで、相手のことを考えられていないのです。

相手の考えを予想する……と言うと、相手を思いやっている様に感じますが、本当に相手の考えを知りたいのなら話し合うべきです。それこそがコミュニケーションです。


それからの僕は、話しやすいと思ってもらえるような立ち振る舞いをしようと努力しました。相手の話を最後まで聞いてあげること。理想の自分を作ろうとしないこと。

何もしない、というのが近いかもしれません。もちろん相手を傷つけるようなことを言ったり、ただ相槌を打っているだけというわけではありません。


ひとつだけ意識したのは、相手を否定しないということ。

相手の話を一度受け止め、それから自分の考えを話す。嫌なことは嫌というし、なにもかも肯定したりもしません。無理をしたら「理想の自分を作ること」になりますし。


僕がよくする例え話を聞いてください。

「犬と猫どっちが好き?」と聞かれたとします。あなたは犬派、相手は猫派だとします。「逆だけど」って方は逆でもいいです。細かいヤツはイスでぶん殴ってやるから出て来い。


「相手を自分と同じ考えにさせたい」「自分の方が正しいと証明したい」「自分の方が賢い」と考えた方はイス殴りの刑です。コミュ力がありません。

自分のことを頭が良いと思っている人。自分にはコミュ力があると思っている人は、上記の欲望を抑えきれないことが多いです。僕もそうでした。相手をコントロールすることが人として優れていると勘違いしていました。


歪な人間関係しか築けませんでした。狭くて浅い関係ばかりでした。相手をコントロールしようとすると、拒絶されるか、反発されるか、執着されるかです。

自分の想像を超えるようなことも起きないし、追いつめられた時に手を差し伸べてもらえることもありません。結局、しんどいのは自分です。


相手が「猫の方がかわいい!」というなら、かわいいところを全部聞いてあげて、受け入れてあげて、それから「犬もかわいいよ」と伝えてあげる。

そこで相手の反応を見て、話を聞いてくれないとか、犬のことを悪く言ってくるようであれば、コミュニケーションを取る必要もありません。縁を切るかイスでぶん殴りましょう。


犬も猫もかわいい!って言える人が、コミュ力がある人間ってことでしょう。

それが「うさぎと犬どっちがかわいい?」って話になると譲れないものがあるので最後まで戦いますよ。うさぎ派よ立ち上がれ。イスを持て。



最後に



低気圧&久しぶりに真面目に考えたからつかれた。



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