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手帖から消えたページ #3「高橋さんの地図」

前回のことがあったので、お掃除ロボットをひっくり返して調べてみたところ、なんと、本体の中にもう1ページ詰まっているのを発見した。よくぞこんな小さな吸い込み口から、内部の奥深くまで入り込んだものだ。くしゃくしゃで、埃まみれ。喋る猫に出会った一日前の日記だった。

この<猫用地図>は、買っておくべきだったな。

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◇7月×日

図書館へ本を返しに行ったところ、「刑務所作業品」のポスターが目に留まった。中央階段の下の空間がにぎわっているのは、その催し物だった。人々はまるでショッピングモールで買い物をするような気軽さで、値札のついた日用品雑貨を品定めしていた。

話に聞いたことはあったが、刑期中の人の作った品々を実際に見るのは初めてだった。家具、革製品、ポストカード、まくら、椅子、将棋盤などもあった。使い方のわからない木製のおもちゃに悪戦苦闘する子どもたちを、売場担当者の女性がほほえましく見守っていた。

陳列の隅の方に吸い寄せられるような感覚があり、見るとそこには、アイボリーと言うのだろうか、美しい色合いの紙束が、きっちりと角を揃えて折り重ねてあった。それまでぼんやりしていた足が勝手に動き、その目の前で私は、直立不動になっていた。

ときどき、直感にみちびかれて一生を左右するようなヒトやモノに出会うことがある。もっとも、それが良いことなのか悪いことなのかは、ずいぶん後にならないと分からないのだけれど。

思わず手を伸ばし、広げてみると、一枚の大きな地図になった。すぐに、この辺りの住宅地図だと分かった。

「猫用地図です」という声に振り返ると、さきほどの女性と目が合った。「猫さんのお知り合いがいらっしゃるようでしたら、どうぞお買い求めください。心をこめてつくってありますよ」

最近はペットの動物だって服を着たりYouTubeを観たりするのだから、専用の地図があってもおかしくはないのだろう、と半ば無理やり私は納得することにした。密集した住宅のひとつひとつに、「〇」「×」「▲」「✔」などの小さな記号が付いている。私の家には「◇」が付いていた。「ト:トブ」「ク:クグル」「マ:マツ」というのは、動作を示す言葉だろうか。

三分ほど見入っていたかもしれない。悪友がそっと背中を押すような気配を感じて、我に返った。

「貴重な情報もありますよ。隠しルートとか集合所とか」と女性が購入を勧める。「高橋本人が現地調査してつくったものですから品質は確かです」

「高橋さん、とは?」
と私が訊ねると、
「受刑者です」
と彼女は答えた。
「受刑者さんって、刑務所にいる人ですよね?」
「はい」
「現地調査、とは」
「業務ですから」
そう言われても、説明になっていない。高橋氏のことはおそらく冗談なのであろう、と私は判断した。
「これ、おいくらですか」
「一万円です」

つい昨日、役所から市県民税の支払い通知が届いたところだ。いま私は無職で、無収入だし、失業保険も貰っていないけれど、この義務は何としてでも期日までに果たさなくてはならなかった。会社員ではなくなったものの、市県民であることに変わりはない。

現実的な問題を思い出したところで、直感も悪友も、そして高橋さんの謎も猫のようにするりと足元を通り抜けていった。私は地図を畳んでもとの場所に戻し、その人に会釈をして、図書館をあとにした。

<猫用地図>の印について、帰り道、ひとつだけ分かったことがあった。

「▲」は、犬を飼っている家。



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