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手帖から消えたページ #2「喋る猫」

お掃除ロボットがソファの下で紙を巻き込み、ゴガガといって止まった。手帖から消えたページを一枚、発見した。改めて読み返してみるが、やっぱり重要なことは何ひとつ書いていない。この白猫に出会って以来、怖くなって、夜の散歩を控えている。

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■7月×日

耳にイヤホンを突っ込んで音楽を聴きながら散歩をしていると、ここは近所なのだという感覚が希薄になる。夜ならなおさら舞台は幻想的だ。車の往来や信号機の点滅が目の奥に光の余韻を残していく。前方から接近してくる影はすれ違う時だけゾンビから人間になって、艶やかなワゴン車は深海の魚みたいにフワーと横を通過していく。ぜんぶ、私の妄想の中で。

今日、前職の同僚から電話があった。

来月、名古屋へ異動していく彼女は、メンバーからリーダーへ昇格。誰に対しても誠実に対応できる彼女のことだから、絶対にうまくやっていけるにちがいない。案外、将来は出世していくのかもしれないな。会えなくなるのは寂しいけど、こういうのを何と言うんだっけ。えーと…そう、「健闘を祈る」。

すいっと目の前を速いものが横切り、見るとそれは白猫だった。呑気なもので、あくびをしてからテテテと前を行く。猫は自由の生き物だという。羨ましい。きっとこのあと、人間の知らない場所へ涼みにゆくのだろう。

猫が振り返った。大きな丸い瞳はまっすぐに私を見て、何かを語りかけている。何事かと思い、イヤホンを外して一歩前へ踏み出した。するとなんと猫が人間の言葉を喋った。

「自分は何も挑戦しないくせに」と、はっきりと猫は言った。「他人の失敗待ち」

汗でじっとりとした背中を冷たいものが走った。猫は敏捷にブロック塀に駆けあがり、あっという間に視界の奥へ走り去った。

この上なく強烈な一打をくらったような気がした私から、さっきまでの夢見心地の感覚はすっかり消え失せていた。夜に浮かび上がる風景はどこまでも面白味のない現実で、目に入るのは「雨水」や「汚水」と書かれたマンホールの蓋ばかりだった。そういえば私はあんまりよく知らなかった。「健闘を祈る」という言葉の本当の意味を。ぜんぜん気付かなかった。彼女がリーダー職に挑戦するべく努力していたことを。

本日20時30分。喋る白い猫に小町下交差点で遭遇。その猫の恐ろしい特徴は、喋ること…、いや、というよりも人間の心を正確に読むこと。 


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■「手帖から消えたページ」

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