頭の中の整理――中国文化

以前別のブログで書いていた記事です。2022年のもの。
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 『中国人の愛国心』(王敏著)によれば、中国人が中国文化と聞いてまず思い浮かべるのは、四大発明(紙、羅針盤、火薬、印刷のこと)、孔子、歴史、文字、京劇、唐詩、宋詩であるという。
 四大発明はもう全世界的に使われているものがほとんどだから、中国文化と言えばそうかもしれないが、中華色はほとんど感じられない。発祥はまちがいなく中国なのだろうけれども、これらを使っているから中国文化を受け継いでいるかと言われれば、ちょっとそういうふうには言えなさそうだ。
 孔子はどうかと言えば、孔子と言えばすなわち『論語』。これが教える儒教の教えは、まちがいなく中国的で、中国文化と言ってまず間違いない。最近ではいろんな人の翻訳によって『論語』が読めるようになっている。文字、すなわち漢字は、本来は中国語を記述するための専用文字で、甲骨文字から現代の簡体字まで大きく変化したといえども、絵画的な側面や、一文字一単語のシステムまでは変わっておらず、これも立派な文化と言って差し支えあるまい。日本は日本語を記述する文字として漢字を取り込んでいるけれども、漢字を中国文化の一部とみなすなら、日本も立派な中国文化の継承者と言える。
 京劇は寡聞にしてどういうものかよく知らない。そもそも日本ではほとんど知られていないんじゃなかろうか。明治大学の加藤徹先生がたしかご専門にされていたかと思うが、「京劇」という字面自体そこ以外で見たことはない。日本で言う歌舞伎みたいなものかな……?
 唐詩、宋詩、大きく括れば漢詩は、日本でも好きな人は今でもいるし、平安時代には宮中の教養ある人々はみな漢詩を知っていた。ぼくも中学校の国語の時間に暗唱させられたのを覚えている。「春望」だ。国破れて山河あり、城春にして草木深し、云々ってやつだ。こういうのが中国人自身にとっても中国文化としてすぐぱっと想起されるのはわかる。この点でもやはり日本人は古代中国文化の継承者と言えるのかもしれない。とはいえ、中国語の詩なわけだから、感じられるのは詩人の心境といったところまでで、音として聞いたときの聞き心地の良さとか、語彙選択の妙といったところまでは、日本人にはわかりようがない。よほど専門的にやらないとそういうところまではわからない。訓読で読んでもそれは結局日本式の翻訳術を使って読むことにほかならないから、どうかなぁ、中国人にしかほんとうの妙味がわからないようなもののような気がするのである。日本人が漢詩を読むことにはたして意味があるのか……。
 最後に歴史。中国の歴史はさすがに重厚の一言で、正直これが一番日本人が接しやすい中国文化じゃなかろうかと思う。『論語』も読みやすいけれども、時代や事件のダイナミズム、そこに底流する流れ。そこに生きる人々の考え。そういうものを日本人が学ぶ意味は、いつでもあると思う。日本人が取り入れる意味がおおいにある。中国の人々が歴史をとても大事にする、生きるための判例集にしていると『中国人の愛国心』にも書かれているが、これはわかる気がする。特に中国では、史官と呼ばれる人が命がけで歴史を書こうと――たとえ時の王朝にとって都合が悪いことでも――してきたわけで、そういう人々のおかげで今の我々が色々知ることができるわけだ。
 ちなみに『三国志』や『水滸伝』といった日本人が大好きな物語の類は、中国人自身はあまり中国文化代表みたくは考えておらず、このへんは日本人の感じる中国文化とギャップがある。中華料理と言われても日本人なら十分納得するだろう(日本人が想像する中華料理と、中国人が想像する中華料理にギャップがあるかもしれないとはいえ)。中国人なら詩のほうを大事にするかもしれないけれども、日本人はやはり中国語の音がよくわからないのである。
 この本のこの部分が気になった理由は、日本が漢や唐の文化を受け継いでいると言われているらしい記事を読んだことがあるからだ。

https://wisdom.nec.com/ja/business/2017062001/index.html

 しかし、漢はどうかなと思う。漢の時代の何を日本が受け継いでいるというのだろう。受け継げていたら、そりゃあ多少鼻も高くなろうものだけれど、さすがにちょっと思い浮かばない。それこそ漢字くらいではなかろうか……?
 唐を受け継いでいるというのは、長安を模して造営された平安京のことを指してそう言っているのだろう。それは少し分かる気がする。都を作り、律令を急いで導入して国造りをした歴史があるから、その名残りを感じるのかもしれない。

 明らかに古代中国の文化を継承している京都のような例はもちろんあるけれども、日本は他にもいろいろ中国から渡来したものを取り込んできた。日本はどの程度中国文化の継承者なのか、というのが、この記事を読んだときに頭に浮かんだ疑問だった。そして、今も頭のどこかで考えている疑問なのである。この疑問は、日本文化とはどんなものなのかという疑問ともつながる。日本文化の核にあるものは――そういう核があるとするなら――なんなのだろう。

2022年3月23日

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