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私と関ジャニ∞

2024年2月4日(日)立春
ここから2024年がやっと始まるこの日に私の大好きなグループがこれまでの看板を下ろし、新たな看板を掲げて旅に出る。この事実を飲み込むまで、いや本当はまだ腹落ちしていないのが正直なところで、悔しさでいっぱい。とはいえ否が応でもこの日は来てしまうんだなあ。

関ジャニ∞が新たな屋号になるまであと少し。私の人生と関ジャニ∞との交わりをこのタイミングで残しておこうかな。久しぶりに半券を見返して。


まず初めにどこから認識していたか?の話だけど、ファンになる前から関ジャニ∞はもちろん全員認識していた、それは関西だから(理由になる?)パブリックイメージだと思うけど、本当にオモロい大阪の兄ちゃんって感じ

〜2010
母が嵐が好きだったこと、学校でも嵐派閥が異様に多かったことも含め結構嵐を見ていたな。でも一生懸命追う時間は正直なかったのが本当のところかも。18歳までは水泳漬けだったのあって。そういえば、高校生の頃クラスの子が嵐のFCに入会して、入会してすぐは絶対ライブのチケット当たるらしい!!というのを教えてもらった(全然そんなことはなかった、事実入会後一発目落選した)そんな中、姉が会社の同僚に誘われ、∞uppersのカウントダウンライブ(京セラ)に入り、大倉担になって帰ってきたのが私と関ジャニ∞と本格的な出会いかもしれない。

2011
大学生になる頃、先述した姉が入ったツアーのライブのDVDが発売され、一緒に観たのがきっかけで私はあのふわふわ可愛い安田くんに落ちた。設定は始末屋なんですけどね。踊れる歌える笑顔が可愛いの三拍子に18歳の私はやられたらしい。小柄な人が大きく踊るの好きなんよなあ多分。この年は関ジャニ∞初の5大ドームツアー、私は関ジャニ∞と初めましてをすることになる。そして初が福岡初日の遠征。姉と姉の同僚とアリーナに入った日。あの日に食べたもつ鍋が私至上1番美味しいもつ鍋だった。(また食べたい)そのあとはカウントダウンまで入り、ライブの楽しさに魅了される。そういえば、大学の同じ学科近い学籍番号の子が大倉担でその後の大学生活で色んなエイトを見られたのもその子のおかげかな。あとTwitterで繋がったeighterが爆速に増えた。それぞれ別に応援したい人を見つけたりでもう繋がっている人はほぼほぼいないけど、みんな元気にしてますか。

2012
8周年の年、∞祭から始まり、自分がリアルタイムで追えてこなかった関ジャニ∞に沢山触れ合った年。もっと早くに出会えていれば、ってこの時何度も何度も思ったけど(多分みんな思うと思う)このタイミングが出会うべくして出会ったんだろうし、関ジャニ∞ってご本人談でもありますが、いつ参加しても楽しい人たちだしな。
そのあとは台風で長居が中止になったこともあるなあ。これ以降野外公演で毎回台風でビクビクすることになるとは。関ジャニ∞の野外公演には台風がつきものになりました。台風で翌日が中止なのがわかってて入る大雨の中公演、本当に本当に楽しかった。過去を必死に追うことで知った、オープニングのピンクの衣装も。その後もドーム入ったり、それぞれの故郷巡ったりもしたなあ。あ、あと2012年8月8日に京セラで関ジャニ∞がすごろくするのを見守った。(今だにわけわかんないけどオモロい)

2013〜2014
JUKE BOX はいまだに大好きなアルバム。年明けの公演からしか入ってないし、就活被ってたり、教育実習の年だったりもあって、なんかいっぱいいっぱいだったかも。それにしても金曜夜公演(18時)に入って、土曜朝公演(12時)そして同日夜公演(18時)入ってて大学生って元気だよね。

2014(つづき)
10周年の年!夏の野外!安定の雨!!関ジャニ∞が古巣から飛び立った年!就活も教育実習も終わってあとは卒論のみ!!の年。社会人になったらライブに全然行けなくなるかもと謎に不安になって関ジャニズムで北海道遠征したのも思い出。Twitter上で友達だった渋谷担が先述の大倉担と友人で世間って狭いなあって話。3人で騒いで楽しかった札幌。私至上1番公演数入った年。この7人とならどこまででもいけるって本気で思ったし、このまま7人と一緒に当たり前のように歳を重ねていくんだなあと心から思った。

2015
社会人1年目。社会の洗礼を受け(?)早々に無理かもと思いつつ、関ジャニ∞はそれでも生き甲斐だった。ありがとう。しっかりライブに行ってるんだけど、全然記憶ないからメンタルやられてたんかな。ごめんやで。

2016
元気が出るLIVEのツアー名ながら、オーラスに大倉くんがいなくて(腸閉塞)隣の大倉担を支えながら見たある意味記憶に残ったライブ。大山田のユニット曲で大倉くんパートをきゃいきゃい踊るすばるくん可愛かったなあ……夏はアリーナに入ったが、この辺り夏と冬ツアーやりすぎててどの年に何がなんだか状態は否めません、ごめんなさい。

2017
基本大阪公演ばかりはいるので自分がはいった公演基準の年になるので多少のズレがあります。この年はエイタメ、転職を考え始める。これまた精神的にしんどすぎてほんと全然覚えてないんだけど、山田のThe Lightで悶えたのだけ記憶があります。夏はジャム!まさかこのツアーがすばるくんと会うのが最後になるとは思いもしなかった。安田くんがこのあと大手術を受けることになるなんて思いもしなかった。ありきたりの言葉だけど生きててくれて本当によかった。

2018
転職した同月にすばるくんの脱退退所の発表。友人の結婚式ムービー撮影中に知る。わけわかんないよね、永遠を感じてた。これはこっちだけではなく、本人たちも言ってたし。転職してすぐだったしオタクは隠していたので昼休みの度にネットニュースを見てはしくしく泣いていた思い出。(入社当初の情緒が壊れてて怖いよね)すばるくんがいないツアー、ずっと信じられない状態でいたけど、本当にいなかった。夏とこれまた台風の振替公演を秋に入ったけど、何度も何度もすばるくんがいない、なんでいないの?を繰り返した年だった。そして大好きな安田くんが病に倒れていたことを知った1年でもある。正直GR8ESTツアーはDVDを見返せないくらい辛い。

2019〜2020
15周年。色んなことが耳に入ってきた中でのライブツアーだったし、多分全員が不安に思っていたことが当たった。亮ちゃんが去るということと同時に5人で歩み続けるということ。運良く5人にとっての初ツアーとなった、47都道府県(2回目)の奈良公演に入ってそのあとすぐ確か関西圏でツアーがコロナのため延期のちに中止となる。5人の形を少しずつ作っていこうとしていた時期だっただろうに。

2020〜2022
8BEATツアーがあったもののチケットがどうしても手に入れられず、ファンになって初めてツアーに入れなかった年。配信のみでよくこの時期耐えたなあと思う。でも色んな形で発信を続けてくれていたからかな。だから2年半ぶりに会えた18祭の長居は身震いしたもんね。興奮さめやらぬままオーラスでツアーが発表されておいおい泣いた。そういえば年末前に2度目の同職種への転職。夏頃から上司と本気に喧嘩したのもいい思い出(ではない)同じ会社で隣の部署だったけど、勤務地が違った年下の丸山担を発見する。退職前にギリギリ会えて転職の話などしていた時、その子のiPhoneケースに8BEATのステッカーが挟まっていて混乱。急展開でその後オーラスのチケットを譲ったり、トリキに行ったり、すごいタイミングで仲良くなれて、退職した今も共通の好きなものでわいわいできて嬉しい限り。

2023
冬のツアー楽しかったね、声出しオッケーってやっぱりいいよね。恐る恐る声を出していたから次会える時は大きな声で新しい屋号を呼ぶからさ。そういえば、台風で中止になったのがまた一つ。安田くんの舞台、個人的には通算3回目の台風による中止。関ジャニ∞という名前をここに置いていくなら、台風での中止も一緒に置いていこうな……と思わずにはいられないけど。秋の初めでもまだ暑い頃から事務所の雲行きが怪しくなり、ついに明日に迫った『改名』を選択するころになるのもこの頃。脱退以上はもう解散しかないと思っていたから、これまた寝耳に水。この辺りの思うことはたくさんあるけどややこしいので割愛。

2024
1月1日から色んなものをもらえて忙しい1ヶ月だったな、と思うと同時にその瞬間が刻一刻と近づいていて、もうそこまで足音が聞こえていて辛かった。この1週間は特に。サブスクが解禁されたこともあって、過去の色んなものを聞き直したり、見返したりしてこれまでもらってきた色んなものに思いを馳せながら1週間過ごした。


改名が明日に迫った今、関ジャニ∞という名前だから愛したんじゃなくて今いる5人そしていなくなった3人が大好きだから関ジャニ∞という名前をも大好きになったのであって。ここまで歳を一緒に重ねてきて、何があってもただでは起き上がらない彼らが大好きで、尊敬している。自分の人生、もうすぐ半分彼らが日常の中に存在していて、自分の過去を思い出すのは全て『あのツアーの時』『あのリリースの時』という思い出し方をするぐらいだから。色んな友達と出逢い別れたくさんの経験を得られたのも本当に自分の財産だと思ってる。沢山楽しさも悔しさも寂しさも嬉しさも周りにいるオタクとメンバーとで分かち合ってきた思い出はずっとずっと自分の中で大切。


5人で活動するという大前提ならば、新しい名前なんぞどんとこい!という気持ちで明日を迎えたいと思う。思えるかな。正直この世の中から『関ジャニ∞』という文字が少しずつ消えていくのが怖かったりもする。未経験のことなので、明日自分がどんな感情になるのか想像すらできないのがさらに不安を煽る。

とはいえ、明日は必ず来る。
改名が『関ジャニ∞を永遠にする』とも言える。もう関ジャニ∞に解散は存在しない。これから新たに掲げる看板を支える1人でありたい。できる限り長く5人と共に心震える瞬間を見続けられますように。




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