いるのである

今日は本人が書いているのである。

いるのである。
そう、いるのである。
本物はふとした時に出会うのである。

ちなみに私には神様の声が聞こえるとか、神秘存在が見えるとかはない。
でも分かるのである。
それは仕方ない。
分かるのだから。

自分の引き際だったり、物事の終わりだったり、目の前に起きる事の解決法とか、人の器の大きさであったり、相手のチョメチョメとか…

いつでもどんな時にでもどんな場所でも分かる訳では無い。
自分が渦中にいる、もしくは自分の気が向いた時だけ。
自分が興味なかったり関係なければなんにも分かりません。
てか分かりたくもないんだと思う。

今日、恐らく呼ばれて、占いの館なるものに行った。
今日鑑定できる人の写真やプロフィールなどを見て、1度予約した。
でも待ってる間に別の人に変えた。
全部自分の感覚。
無意識の行動。
そう感じたからそうしただけ。

それでである…
その人が正解だった。
モヤモヤがプアッと晴れた。
なんにも言ってないのにガンガン言ってきた。
それが凄かった。

ドッキリじゃなかった。

あなたはあなたのままで、そのままでそこにいればいいと。
そう、じぶんのまま。
それが1番嬉しいのである。
飾らなくてもカッコつけなくても気負わなくても、一生懸命悩まなくても、そのままでいいと。

自分は自分でマイペースが最善最高とは、なんとも嬉しいことでは無いか。

今日は気持ちのいい日だったのである。

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