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世の中はカネだ。

これはもう圧倒的に真理なんだけど、世の中はカネだ。異論は認めない。

カネさえあれば…と思ったことが、これまでの人生で何度も何度も何度も何度もあった。

世間的によく言われてる「お金がすべてじゃないよ」は、あんなものは綺麗事だ。吐いて捨てるだけの言葉。

お金がすべてじゃないと言えるのは、ある程度の試算をすでに手にしてるから言えることなのであって、カツカツの暮らしをしてる人からすれば鳥肌が立つほど気持ち悪い言葉だ。

カネより愛だなんて言われて、どれだけの人が納得できると言えるのだろう。

カネがあればご飯は食べられるし雨風を凌ぐ家にも住める。

でも愛しかなければ、その日食べるご飯はどうする?寝泊まりは?身につける衣服は?

もしかして最低限の生活を確保されてることが当たり前という前提でいるから、カネより愛とか言えるのか。

だとしたら平和ボケもいいところだ。

どんなことにもカネがかかる。呼吸をするだけでカネはかかってる。

今より少しでも良い暮らしがしたいと思いながらガムシャラに働いていたあのときと、今の暮らしを壊さないように必死にしがみついてる今。

カネがあればそこにリスペクトが生まれると、デヴィ夫人も言っていた。

ホントにその通りだと思う。

何も持たない無名の誰かが話してるカネの哲学と、ソフトバンクグループ会長の孫正義のくだらない雑談だったらどちらを聞きたいと思う?

私なら後者だ。

つまりそういうこと。

まず、カネというわかりやすい指標があってそのうえで人間性を判断することができると言える。

どこの誰かもわからないような無名の庶民には目もくれないのが普通の感覚なのだ。

だから世の中はカネがすべて。

カネを手にしたければ、ワークライフバランスなど置いといて、必死に働く以外に選択肢はない。

だから今日も働く。


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