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なんのために生きるのだよ?

高校のとき、倫理の授業が嫌いだった。哲学とは、人間の生き方についての学問だと、倫理の先生が言っていた。気がする。なにせ真面目に聞かなかったもんだから、記憶が曖昧である。

なんで嫌いだったかというと、人様の考え方で自分の生き方を示されるのが苦痛だったからだ。人はなぜ生きるのか教えてやるって?願い下げだね。自分の生きる意味は自分で決めてやる。てめえらに啓蒙される筋合いなんか微塵もねえ。そう思っていた。大真面目に。

そんな強気な少年も夜になれば心細くて、真っ暗な夜、自分の意識がいつの日か無に帰すことに怯え、眠れなくなってスマホを頼り、目が冴えてさらに眠れなくなるというループを経て、「なぜ人間は死ぬのが怖いのだろう?」という疑問にたどり着くのである。

死を恐れるのは人間の本能だろう。人間の本能は、種の存続を目的としている。と、一般的に考えられている。生存に対する欲も、生殖に対する欲も、そのために備わっているらしい。では、種の存続は何を目的に行われるのだろうか…

僕個人は別に種の存続なんて望んでいない。僕が死んだあとの世界のことなんかどーでもいい。人間は然るべきときに滅びるべきだとすら思う。

種の存続を目的とした本能ってやつは、誰の意思で生き物に与えられたのだろうか。個人を超越した不可思議な存在が見え隠れする。そこに「神」を規定して、宗教信仰は生まれるのだろう。

人間の知ってはいけないタブーの領域へ思考が踏み込みそうになるとき、何かを頼りたくて仕方なくなる。ああ、今、倫理の授業を受けることができたら。先人も同じ問いを自問し、彼らなりの答えを出したのだ。聞かせてほしいな。頼らせてほしいな。今なら真面目に授業受けるよ。前田先生。

結局、人間20年ちょっと、自分の生きる意味はまだ見つかっていない。なんなら、そもそも生きる意味など誰にもないのかも知れない。意味がなきゃ生きてちゃいけないんか?なんて考えたりもする。そんな思索がぐるぐるして、時計の針もぐるぐるして、外が明るくなり始める頃、やっと疲れて眠りにつく。そして昼起き。絶望。

生きる意味はまだ見つかっていないけど、持論は一応ある。

生きる意味などないとして、でもせっかく意識がこの世にあるのなら、できるだけ楽しみ尽くしてやろう。という持論である。持論なのか?

ともあれ、僕の生き方の根本には、「死ぬまでの間、なるべく楽しい時間の比率を大きくする」というモットーがある。だから、しょーもないことにイライラする時間はもったいない。将来大きな楽しみに繫がるなら、辛いことでも投資だ!しかし、今死んでもいいようにほどほどに。あと、睡眠は大事だ。健康を保ったほうが人生は楽しい。きっと。

なんか話があっちこっち爆散してきたのでこの辺で終わりにしますか。とにかく、少し時間ができたら倫理を履修したいと思った、そんな夜でした。おしまい。

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