見出し画像

20240601

思えば、ずっと歪んだ心にモヤがかかって、それを見せないように重たい箱にそれを入れて厳重な鍵をかけて、そこから誰かに見られても恥ずかしくないように上からそれのガワを作って、そこに色々な服を着せていたのだろう。

もちろん『それ』に響いてくれて、今も変わらず俺と接してくれている人もいるし、それはとても嬉しいことだ。今までも、これからもずっと感謝しているし、どんな間柄であれ俺にとって紛れも無い恩人である。

でも、折に触れて鍵のかかった箱から漏れてくる衝動だったり、アイデンティティのようなものが誰かに響いてくれたな、刺さってくれたなって思うことが極端に少なかった。それをどうすれば伝わるかという手段も、最終的には「みんなこういうの好きでしょ?」という、作ったガワの土台からでしか表現できなくなっていた。


大昔、高校生の時に俺がリーダーのバンドを組んでいた。

その時はまだコピーバンドで、各々の好きな曲を擦り合わせて演奏する曲を決めて、練習スタジオの予約を取るのもライブの出演交渉をするのも俺。バンド名を決めたのも俺。スケジュールを見れるようにホームページまで作った。

そのバンドは2回ライブをやった。1回目は俺たち以外全員同じ高校の生徒で組まれたバンドたち。完成された身内ノリに最初全くついていけずに挨拶まで無視された。悪気はなかったんだろうけど、そこで俺の火がついた。「絶対に良いライブしてこいつらを振り向かせてやる」って。結果、良いライブになってそこにいるみんなが仲良くしてくれるようになった。やってやったぜ!という感情より、嬉しいが勝っていたな。

そんな初ライブの余韻も冷め切らずに、2回目のライブの誘いが来た。俺がバンドを組む前から仲良くしてくれてた友達のバンドで、みゆきがバンドを組んだなら一緒にライブやろうよってなって、俺は二つ返事でOKした。
ライブの開催2週間前くらいに俺の肺に穴が空いて、手術を伴う入院をしたんだけど、ギリギリライブ前に退院できて大丈夫かと心配されながらもやると決めて、1回のリハーサルでライブに出た。

結果みんな楽しんでくれて、仲良くしてはいたけど俺のベースをちゃんと聴くのは初めてだった友達が「こんな格好いいと思わなかった。最高だった」って言ってくれて、ライブ中も終わった後も俺にいい顔を見せてくれた。

俺の弾くベースは、俺が楽しいと思う音楽は、ちゃんとみんなに響いてくれて楽しんでもらえるんだ。そんな成功体験と、そこに付随してステージから見えたみんなの熱狂が、今でも自分のかけがえのないものとして残っているし、そこにまた辿り着きたいとずっと思っている。


しかしここから、それに近づく機会すら減ることになる。

そのライブの直後、バンドが無くなった。ギターが手を怪我して脱退。ドラムはボーカルがやりたいと別のバンドを組んで脱退。残った俺は、色々考えた末にベース1本でライブをやることにした。

ライブハウスに出れば、あの時の熱狂に最も近い場所で演奏すれば、また同じような景色が見れて、俺とバンドを組んでくれる人が見つかるはずだ。衝動と、当時の成功に魅入られた俺は行動を短絡的にさせた。実際に俺一人でも盛り上がった日はあった。楽しんでくれた人も決して多くはないがいた。

それでも俺は、バンドがやりたかった。誰かと一緒に音を出して、自分一人じゃ成し得ない大きなものをステージで生み出して、それを楽しいと思いながら、みんなもそうだろうとステージで提示したかった。それが出来れば、間違いなくみんなも俺と同じ気持ちになってくれると当時は確信していた。


そんな矢先に、バンドに誘われた。

都心で活動しているバンドで、その時はとある賞レースのいいところに入っててリリースが決まるかどうかという大事な時期だった。俺は願ってもないとそのバンドに入って、今まで見せたことのない人の前で全力で演奏した。その賞レースは決勝まで進んだが、グランプリは取れなかった。ただ1000人規模のライブハウスで、ちゃんと人がいる状態で演奏をして、後々貰った審査員評価みたいなもので俺のベースは高評価だった。

俺は大丈夫。このまま大好きな音楽を探求して、俺の楽しいを全力で見せて、色んな人に見てもらえればずっと続けられる。俺の楽しいは、色んな人にとっても等しく楽しいであるに違いない。そう思っていた。

実際は、全くそうじゃなかった。

ライブハウスは、純粋に音楽のみを聴きにくる人は意外と少なかった。ライブが終わって「着てる服ダサいですね」って言われたこともあった。俺の演奏でみんなが湧いてくれることが極端に減ったし、人の全くいないライブハウスで演奏したこともあった。目当てのバンド以外観ないで帰るならまだいい方で、俺たちの出番の前後のバンドが目当てでちょうど間に挟まれた俺たちがライブをやっている時にお客がみんな扉を隔てたバーカウンターで談笑していたこともあった。CDを作って物販を設けてもCDは買わずに世間話だけしにくる人もいたし、それでもそういう人たちに向けて全力でライブをやった。結果なんて目に見えてて「イタい奴が頑張ってんな」って顔がステージから見えたそこにはあった。

どんどん荒んでいったし、何をしても手応えがない虚無が続いた。ただ自身から湧く音楽を心から好きだという感情は尽きなかったから余計に分からなくなった。なんでだ?なにが間違っているんだ?どれが正解なんだ?最悪俺が全部間違っていたとして、君たちの解は一体どこにあるんだ?

時にはそれがバンドメンバーにも向いた。俺と同じように音楽が好きではないのか?なんでこんな結果を突きつけられても未だ自分が正解だと信じて疑わないんだ?

ライブハウスにも向いた。こんな状況のバンドをなぜ放っておくんだ?どうしたらいいという問いになぜ「自分で考えるしかないよ」なんて突き放せるんだ?その次に出てくる言葉がなんで「次のライブ1ヶ月後でどう?」なんだ?本当に俺たちの音楽聴いてるのか?ライブ観て感じ入ったものに対する答えがそれなのか?

結果、全てに「勝手にしろ」と思うようになった。何も思わないし、無闇に信用しなくなった。それは自分自身にすらもで、あの日の熱狂は夢だったんだと片付けた。音楽は世界で一番好き、でもそれ以外の全ては好きじゃない。俺以外の世界を取り巻く全てが音楽で出来てたらいいのに。むしろ俺自身が人間じゃなくて音楽になりたい。という、ワケの分からない思考に飛んだこともあった。のちにその音楽に対しても心が折れる出来事があって、もう辞めようと思ったんだけど、それはまた別の話。

ただ「そんなはずはない」という感情も同時に湧いてきていた。あの日の熱狂を夢と片付けるには、俺にとって輝かしすぎるものだった。そんなわけがない。だってあの時、あの日には間違いなく俺の音楽を楽しいと言ってくれる人に溢れていたんだ。もっと別の、ライブハウスなんかじゃないどこかに、そういう人がいるはずなんだ。じゃなきゃ説明がつかないし、納得もできない。このまま辞めて終わるには、俺はまだ早いはずだ。


こうして俺から生み出されたものが、ニコニコ動画でちょっと人気を博したベースサイボーグというキャラクターだった。

動画内のパフォーマンスは当時ライブハウスでやっていたこととほとんど変わらない。動きこそ動画に収まるようにコンパクトにしたり、より分かりやすくデフォルメさせたりはしたが、ライブハウスで響かなかったものを、ここではどうなんだと動画にして出したら、見事にウケた。

ほらみろ。俺は何も間違っていなかった。散々適当なこと言って金ヅルにしやがって。いい加減にしろよ。あたかも俺が間違ってるような感じにして話を進めやがって。数字で結果が出たのは俺の方じゃねえか。俺が正解で、俺に文句があるならそれなりのモノを持ってこい。じゃなきゃ誰にも従ってやるものか。

心が歪んだ。

そしてその歪みは、動画を出し始めてから半年くらいで顕在化する。
媚を売り始めた。やりたいことではなく、みんなが求めること。これが俺にとって格好いいんだよ。ではなく、みんな俺のこれが見たいんでしょ?になった。

いつかウケなくなった時、自分が昔に逆戻りするのを恐れた。ただでさえ実態が見えない数字の上での結果だったから、当時でさえデカい態度をとりつつもこれが実はドッキリなんじゃないかと疑っていた。実際にライブハウスではその数字の結果に反してそこまで人は増えなかった。それに対してもライブハウスにイラついて、当時はライブをする時「人を困らせてやろう」って思いながらライブやっていた。それは最近までそうだった。呪いみたいなものだった。

ただその人気でもって、まだ俺はやれる。数字はある。ライブハウスじゃなくても、俺を知ってくれている場所で演奏をしよう。その最中に自分のやってたバンドが解散したが、そんなことよりも自分のことで頭がいっぱいだった。ウケてる。俺は正しい。これで大丈夫。間違いない。

間違っていた。

動画内でウケていることと、同業者の評価はイコールではない。手に入れた実績でもって営業をしても、何もなかった。いまだに、この理由は自分の中で答えが完璧には出ていない。ミュージシャンが多くいる酒の席で説教をされ、都内の駅の路上で酔い潰れて倒れてたこともあった。意識を取り戻した時、介抱してくれていたのは近くでライブをやっていたであろう見ず知らずのバンドマンだった。酒の席にいたミュージシャンたちは一人もいなかった。

そんな生活をしてると、全てに自信がなくなっていくのは当然で、周りもそれに合わせて少しずつ人が離れていった。当時いた彼女にはお前の将来が不安だと毎日のように言われ、人生の選択を迫られるような年齢になっているのもちゃんと肌で感じていた。あの時の熱狂や瑞々しい心はどこにもなく、モヤがかかった上に煤けて形も歪。ただそれを大っぴらに見せておくわけにもいかないので少々の嘘を混ぜながらガワを整えて、大丈夫と言い聞かせていた。大丈夫じゃないのに。

それでもそれをバラして壊さなかったことが、結果として今やっているバンドであるさらばルバートの加入に繋がった。

まだ、やれるんだね。俺で、大丈夫なんだね。もうどこまで出来るか分からないけど、そしたら出来るところまでは、動けるところまでは動くことにするね。当時の彼女と別れ話をした日に、その足でルバートのライブを観に行った。その経緯を話したらみんな笑ってくれて、後日ベースの腕も認めてもらって、また俺の人生でバンドが始まった。

そこから自分の心をバンドにとって必要な形にするべく再度ガワを整える作業が始まった。大丈夫。今までの経験でどうにかなる。ベースの技術もギリギリでバンドに馴染ませられる程度にはある。必要とされてるなら、どこまでもやれる。本当の自分を封印してでも、今音楽ができること以上に幸せなことなど無いのだから。


多分、その辺りが怖く見えていたんだろうね。

得体の知れない人間として見られた。その結果、メンバーが俺に向けて言う突飛な冗談を真に受けられて必要以上に怖がられたこともあった。それは不本意だからやめてくれとメンバーに文句を言ったこともあった。以降配慮はしてくれたがそれでも周りからは「この人に話しかけてもいいんだろうか…?」みたいな空気はあった。

そうじゃない。そういうことじゃない。そんなつもりはない。だけどどうすればそれがちゃんと分かってもらえるかが分からない。俺は人が好きだし、みんなに好かれたい。少なくとも俺の演奏する音楽及びバンドに響いてくれているみんなを、ちゃんと俺は好きなんだよ。だから教えて欲しい。ちゃんと俺に伝えて欲しい。いいんだよ。気軽であればあるほど。

それが時に空回りしつつ、それでも分かってもらえるように努めていた矢先に、2020年からライブが出来なくなった。ようやくバンドにおける自身の心のあり方の正解に辿り着けそうだった時に、それを確認する手立てがなくなった。

またしてもどうしたらいいのか分からなくなったし、その時の流れや風潮に対しても苛立っていたので、俺は全てを見せることを辞めた。ライブで、実際に姿を見てもらわないと意味が無いと思っていたし、ネット上での表現なんて何年も前からやってウケたことがある。今更何もやることなんてない。どうせ時が経てばみんな忘れる。俺の昔やっていたことなんて、誰が覚えているというんだ。その場しのぎで、色々やっている周りの人の姿を馬鹿にすらしていた。


一人で勝手に、孤独になっていった。

そんな孤独も、メンバーと一緒に住んでいた環境があった為にそれを感じ辛かったのは幸運と呼ぶべきか、バンドじゃなくてもメンバーであるイロハ君が作る楽曲にベースを弾いたりという事があり、ギリギリで外の正解とリンクできているような感覚はあった。

それでもそれだけではどんどん繋がりが希薄になっていくし、バンド以外で自分を表現できる場所も特に作ってこなかったこともあり、どんどん自分が空っぽになっていくような感覚を覚えた。それも時世によるものだと不貞腐れて厭世的にすらなっていた。正直、音楽を辞める気だった。

ただ、俺がベースを始めてもうすぐ20年というこの年月は、何もせずにただ辞めるには些か惜しい。俺自身、終わるならちゃんと終わりたい。こんな不完全燃焼のままではなく、ちゃんと心を燃やし切って何も残らない状態で終わりたい。

そんな事を当時同居人だったメンバーに話をして、まあその場では色々言われたんだけど、それでも自分の中でどう終わりに向かっていくかをぼんやりと考えるのをやめず、何があるかなとか考えていたらイロハ君から唐突に「福山雅治さんの曲アレンジすることになったからベース弾いて」と言われる。

驚いたんだけど、まあ彼ならこういうこともあるだろう。その才能を疑ったことは一度もない。その上で、俺か。俺でいいのか。不思議だ。つい先日「もう終わりにしようと思う」って言ったんだぞ?話聞いてたのか?大丈夫なのか?

気がついたら「俺は大丈夫」と思っていた心も、ボロボロになっていたんだ。大丈夫じゃなかったし、だからこんなことになっている。それでも俺にベースを弾くことを頼んだ。わざわざボロボロになった心を見せたのに、遠回しにもう無理って伝えたのに。

まあ、これが最後ならそれでもいいか。使われたらいい話として、使われなかったら笑い話として、それはそれで最後のちっぽけな音楽人生としてオチはつくのかな?じゃあ、やるか。心が疲れきると、逆に軽いのかな?その時は、そう思っていた。実際は何重ものガワが剥がれて、鍵のかかった箱も壊れて、ちょっと歪んでモヤのかかった心がむき出しだったって話なんだけど。

で、結局俺の演奏が採用されて、想像を超えて色んな人に自分の演奏を聴いてもらえている。一番恐ろしいのは、ツアーで演奏する為に超大御所のミュージシャンが聴いているということ。本当に大丈夫なのか?いいのか?そんなことを思っていても、事実は変わらない。きっと大丈夫なんだろう。俺は、きっとこれでいいんだ。


そんな風にゆるく、しかし確実に、自分がまだ存在しても大丈夫だよという許しを得たような感覚を覚えつつ、6月1日のライブが迫っていた。
今年初めての自身のバンドでのライブ、同時にこれが今年最後かも知れないということもあり、俺は心の底からこう思っていた。

がっかりさせないようにしなきゃ

こんな状況でも、俺は自信がなかった。俺じゃなくて別の誰かがルバートでベースを弾いているのを外で観ているでもこの際構わない。いいのか?俺である必要、ある?大丈夫?福山雅治さんの件なんて俺自身の実力じゃない。たまたま凄い人間の近くに居ただけで、なんてことはない。

でもまあ、今までずっとやってきたバンドだし、やるだけやろう。きっと大丈夫。いつもそうだった。

そう思って過ごしていく中で4月、これはまだ詳細は話せないんだけど凄く衝撃的な出来事に遭遇した。ここできっと、俺の心のモヤが晴れたんだと思う。また話せる時が来たら言う。

次いで5月、個人的な話になるんだけど12年ぶりに曲を作った。
7月に友達のイベントでベースを弾くんだけど、ひょんなことから曲も作ることになった。正直、作れるかどうか全く自信がなかったんだけど、作っていくうちに俺が世界で一番音楽が好きだったことに改めて気づくことが出来た。俺は今でも、音楽が世界で一番好き。多分今までずっと変わらずにそうだったんだろうけど、心が歪んで自分に正直でいられなくなっちゃってたねきっと。

そんな歪みも直り、モヤも晴れた心の状態でスタジオに入ったんだけど、信じられないくらい楽しくてね、バンドってこんなに楽しかったっけって異様にテンション上がっちゃって。どんどんライブ当日が待ち遠しくて、毎日楽しくなっちゃって、躁と呼ぶにはちょっと冷静ではあったけど、明らかにこの1週間くらいは世界の見え方が違っていた。脳内麻薬が出ていたのかな?

当日も感受性が鋭すぎて、対バン観て涙流す寸前までいっちゃったりして自分を律するのがちょっと大変だったんだけど、自分の一番最初の、初めてバンドをやってライブをやった時のような気持ちがこうだったなと反芻したらなんだかおかしくなって、もうすぐキャリア20年になるのに精神がまるでキッズのそれだった自分がまた面白くて、出番前も楽屋でワクワクしてたし、始まる前の転換も高揚感でいっぱいだった。


で、ライブやるんだけどみんないい顔で観てくれてて

まず自分が楽しすぎたってのはあるけど、それがちゃんと観てるみんなにも伝わっているかは別の話で、独り善がりになってないかなと一瞬不安になったんだけど、ふと見上げてみたらちゃんとみんな良い表情しててね。一緒に歌う人、手をあげる人、頭を振る人、微笑みながら観てる人、手元を食い入るように見てる人、時折かざされるスマートフォン、それぞれの楽しみ方でもって、みんな俺たちのライブ楽しんでくれてたね。

俺としては、ルバートにおいて初めて飾ってない本能のままで、少年だった時の衝動で、経験則で丁寧に弾くことは頭の隅にありながらもそんなことは一旦忘れて、持ってる技術と音を遺憾なく発揮して、そして少し荒くてトチっちゃってるっていう感じ。今自分で撮った映像見返してこれを書いてるけど、正直何をやったかほとんど覚えていない。

さらに嬉しかったのが、物販に立ってたら色んな人がちゃんとCDを下さいって言ってくれた上で今日のライブ良かったって話してくれてね。しかも、俺の昔の動画も観てたって言う人もいてね。なんか、これまでの全てが無駄じゃなかったって思えたし、それでいて俺の原初の衝動でやり切ったライブもちゃんと許されたというか、認めてもらえたように感じたんだ。

あの時のイタい奴は、イタい奴のままいいライブだと言ってもらえるようになったし、6月1日のライブには微塵も「人を困らせてやろう」なんて思わなかった。間違いなく俺の音楽人生最初期のあの熱狂に限りなく近い、いや、超えてると言っていいような1日だった。

これほど人生で楽しかった日は本当に久しぶりだったし、それが今までガワや服で覆って、鍵をかけて閉ざしまでした俺の心の奥の本能まで引っ張って出しきったライブでそうなったのは自分の中で救いになったし、それを良しとしてくれるメンバーと観てくれた人たちとライブハウスほか全てに本気で感謝したい。

いいんだね。これで。俺は大丈夫なんだね。良かった。今まで色々言われてきたから分かんなくなっちゃってたけど、みんないい顔してたからまずはそれを信じるね。大丈夫。

今、俺は生まれ変わった気分です。ここまで長いことかかっちゃったけど、そんなもんなのかなきっと。これからもよろしく。これからはもっとよろしく。俺の関わる音楽に、触れれる時でいいんで触れにきて楽しんでくださいね。まだ当分は生きていけそうだから!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?