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歴史・人物伝~大河ドラマコラムetc

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人に歴史あり・・・歴史を語るなら人物を語りましょう!このマガジンでは、大河ドラマの感想や登場人物、できごとなどに私的解説を加えた「大河コラム」等をまとめています。
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記事一覧

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「光る君へ」平安時代の位階制度

大河ドラマ「光る君へ」の4月7日放送分は、一条天皇のもとで摂政・関白として権勢を振るって…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「光る君へ」知識が薄かった平安時代への興味

2024年のNHK大河ドラマ「光る君へ」がスタート1カ月、第5話まで進んできました。このド…

note「歴史・人物伝」は定期更新を終了いたします

23日の「土曜雑感」でお知らせしたとおり、毎週月曜日に連載していた「歴史・人物伝」は、今…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」最終回を見終えての感想

大河ドラマ「どうする家康」は17日の放送で最終回となりました。前半では、戦国乱世に終止符…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」豊臣家は血脈が絶えてしまった…

大河ドラマ「どうする家康」も、いよいよ放送が大詰めとなってきました。打倒徳川に意気上がる…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」本多正信の子孫はどうなった?

大河ドラマ「どうする家康」は、最後のクライマックスである大坂冬・夏の陣に向かって物語が進…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」徳川家康の巧妙な論功行賞

大河ドラマ「どうする家康」は、先週12日の放送で関ケ原の戦いが描かれ、勝利した徳川家康による治世がいよいよ始まりました。と同時に、淀殿を中心とした豊臣家にきな臭い動きが見えてきたようですね。 その関ケ原の戦いですが、ドラマでは石田三成方(西軍)の諸侯に対する戦後処理について紹介されました。三成らは処刑、宇喜多秀家は島流し、真田昌幸は蟄居、毛利輝元や上杉景勝は減封という厳しい処分となったわけです。 では、家康を勝利に導いた東軍諸侯の論功行賞はどうなったのでしょうか? 手柄

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」関ケ原の戦いを総力特集!

大河ドラマ「どうする家康」は12日の放送で、関ケ原の合戦が描かれました。戦いに勝った徳川…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」鳥居元忠の忠義は鳥居家も救っ…

大河ドラマ「どうする家康」は、ついに石田三成が挙兵し、関ケ原の合戦へのカウントダウンが始…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」前田利家の正室まつと前田家の…

大河ドラマ「どうする家康」は、秀吉という重しが消え、いよいよ天下取りを目指そうという徳川…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」酒井忠次の子孫は領民に慕われ…

大河ドラマ「どうする家康」は、豊臣秀吉の死去によって再び大きな節目を迎えようとしています…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」関東移封と家臣の所領について

大河ドラマ「どうする家康」は、北条氏討伐の小田原合戦から徳川家康の関東移封という展開にさ…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」後北条氏は滅亡しなかった

大河ドラマ「どうする家康」は、2週間ぶりに放送されました。ラグビーW杯中継のためでしたが…

歴史・人物伝~大河コラム:大河ドラマ「どうする家康」信州・松本にゆかりの深い石川数正、康長親子

大河ドラマ「どうする家康」で、長い間メインキャストだった松重豊さん演じる石川数正が徳川家康の元を去り、家臣団の結束が固い「徳川ファミリー」が新たな段階に入っていくことを印象付けましたね。 さて石川数正ですが、一族郎党率いて徳川家から出奔し、豊臣秀吉の家臣に加えられました。小田原の北条氏を討伐し、家康を関東に移封させたあと、信濃の拠点の一つである松本10万石を任されることになったわけです。 数正は、秀吉が全国統一を果たした数年後に死去したとされ、松本は子の石川康長が継ぎまし