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歴史・人物伝~人物エピソードetc

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人に歴史あり・・・歴史を語るなら人物を語りましょう!「歴史・人物伝」マガジンでは、過去の連載コラムのほか、人物にまつわるちょっとしたエピソード、そのほか雑記コラム等をまとめていま…
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#近藤勇

歴史・人物伝の連載コラム まとめ読み一覧

歴史・人物伝で過去にコラムを連載し、○○編としてまとめたマガジンを整理・削除いたします。…

歴史・人物伝~エピソード編㊾:永倉新八「近藤、土方や新選組への思いを胸に」

幕末の京都で治安維持の活動をしていた新選組は、明治に入ってからも「仲間でも容赦しない殺戮…

歴史・人物伝~エピソード編㉟:近藤勇「百姓が幕府高官となって帰って来た瞬間」

幕末の京都で治安維持を担っていた「新選組」は、会津藩お雇いの私的な浪士集団から、様々な事…

歴史・人物伝~新選組上洛編番外コラム:芹沢鴨かがり火事件と演出

浪士組上洛中の本庄宿で、芹沢鴨が宿割りを忘れられたことに腹を立て、宿場の真ん中で大きなか…

歴史・人物伝~新選組上洛編⑥会津藩お預かりに

幕府が組織した浪士組は清川八郎の策略にまんまとはまり、天皇の意をくんだ尊王攘夷集団に様変…

歴史・人物伝~新選組上洛編⑤清川八郎に異を唱える

不逞浪士たちから将軍を守ることを目的とし、清川八郎の献策を受けて幕府が組織した浪士組でし…

歴史・人物伝~新選組上洛編④ついに京の都に入る

江戸から中山道を進んでいた浪士組は、10数日かけて京に到着しました。幕府の管理下にあるとはいえ、物々しい武装集団がやって来たことを人々はどんな目で見ていたのでしょうか? 浪士組が荷を下ろしたのは京都市の南西部にあたる壬生村です。京都御所や祇園といった中心地からは遠い場所で、近藤勇らが故郷の多摩を思い浮かべるような郊外の散村だったようです。 一行は村内の郷士宅などに分宿し、近藤のグループは芹沢鴨のグループとともに八木邸と前川邸に滞在します。近藤と芹沢が同宿した理由はよく分か

歴史・人物伝~新選組上洛編③中山道を歩く浪士たち

京の治安維持のために幕府が組織した浪士組は、中山道を進んでいきます。途中には碓氷峠や和田…

歴史・人物伝~新選組上洛編②傍若無人な芹沢鴨という男

京へと出発した近藤勇らを含む浪士組は、中山道を進んでいきます。血気盛んな男たちの集団です…

歴史・人物伝~新選組上洛編①京に向かった近藤勇と同志たち

歴史・人物伝は、今回から幕末の京を震撼させた集団「新選組」について書いていきます。前回は…

歴史・人物伝~新選組同志編⑫浪士組に参加して江戸を立つ

近藤勇をはじめ、試衛館の同志たちにとって大きな転機となる出来事がありました。幕府が上洛す…

歴史・人物伝~新選組同志編⑩全盛期に切腹した幹部・山南敬助

山南敬助は、土方歳三とともに新選組の副長を務めた幹部隊員ですが、その活動ぶりや人物像につ…

歴史・人物伝~新選組同志編⑧新選組の変遷を書き残した永倉新八

新選組銘々伝は沖田総司に続き、永倉新八について書きます。永倉は、松前藩士の子として生まれ…

歴史・人物伝~新選組同志編⑦一番隊長で人気ナンバーワンの沖田総司

歴史・人物伝~新選組編を再開いたします。ここからは、新選組の礎を築いた試衛館時代の仲間たちの銘々伝を語っていきます。 近藤勇、土方歳三と並び、新選組の中でも知名度抜群なのが沖田総司です。近藤、土方より10歳ほど年下ですが、剣の腕は抜群だったようで、近藤から塾頭を命じられるほどでした。 沖田は「三段突き」と呼ぶ技が得意だったそうで、新選組時代は多くの浪士たちに恐れられていました。試衛館での指導ぶりは、かなり荒っぽかったと伝わっていますが、若さゆえだったのかもしれません。