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歴史・人物伝~人物エピソードetc

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人に歴史あり・・・歴史を語るなら人物を語りましょう!「歴史・人物伝」マガジンでは、過去の連載コラムのほか、人物にまつわるちょっとしたエピソード、そのほか雑記コラム等をまとめていま…
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#戦国時代

歴史・人物伝の連載コラム まとめ読み一覧

歴史・人物伝で過去にコラムを連載し、○○編としてまとめたマガジンを整理・削除いたします。…

歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:武田信玄と上杉謙信の後継者問…

戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら…

歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:福島正則の生涯を「サラリーマ…

戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら…

歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介③上洛を目指した今川義元と武田…

昨年から戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史…

歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介②信長公記の織田信長

昨年から戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史…

歴史・人物伝~エピソード編㊼:徳川家康「命の危機を何度も乗り越えた天下人」

久しぶりに歴史・人物伝エピソード編を書きます。今回は、2023年の大河ドラマ「どうする家…

歴史・人物伝~エピソード編㉑:羽柴秀長「秀吉の天下取りを支えた裏方役」

豊臣秀吉は小者として織田信長に仕え、類まれなる英知と働きぶりで大出世を果たし、信長横死後は天下取りへと突き進んで、ついに天下人になります。その秀吉が、自身の右腕として絶大な信頼を寄せていたのが、実弟の羽柴秀長です。 秀長は歴史の表舞台にほとんど立つことはありませんでした。しかし、信長の命で東奔西走する秀吉に代わり、領地を守る役目を担い、おそらく家臣団の束ね役を務めていたのでしょう。非常に温厚な人柄だったとも伝わっています。 長曾我部元親と戦った四国平定戦で大軍の総大将を務

歴史・人物伝~エピソード編⑳:諏訪御寮人「謎多き武田勝頼の母」

先日、長野県高遠に出かけた際、建福寺にある諏訪御寮人の墓所を見学しました。諏訪御寮人は武…

歴史・人物伝~エピソード編⑲:本多政重「加賀藩に根付いた家老・本多家」

前田利家を藩祖とする100万石の加賀藩で、長く家老職を務めた本多家があります。その初代が…

歴史・人物伝~エピソード編⑱:仁科盛信「信濃の国に歌われた若き勇将」

長野県民なら誰でも歌える県歌「信濃の国」の歌詞に、歴史上の偉人が登場する一節があります。…

歴史・人物伝~エピソード編⑰:織田信雄「凡庸と言われても信長の血統を残した武将」

織田信雄は織田信長の子であり、嫡男の織田信忠とは母親が同じきょうだいになります。つまり、…

歴史・人物伝~エピソード編⑯:織田信忠「武田攻めの総大将を担った信長の後継者」

織田信忠は、織田信長の嫡男として早くから後継者に据えられてきました。本能寺の変で信長が横…

歴史・人物伝~エピソード編⑮:長宗我部盛親「大坂の陣で一矢報いるも悲運の人生」

長宗我部盛親の父親である長宗我部元親は、一時的ではありましたが四国全土を制覇した猛将とし…

歴史・人物伝~エピソード編⑭:今川義元「海道一の弓取りと言われた武将の実像は?」

昨年放送された大河ドラマ「麒麟がくる」の前半のハイライトとして桶狭間の合戦が描かれました。太守である今川義元が、劣勢と言われていた織田信長に討たれるという劇的な要素を持つ戦いでした。 敗者の今川義元ですが、ドラマなどでは信長と対比させる必要があるからか、「お公家様」のような人物像で描かれることが多いですが、「海道一の弓取り」とまで言われた大名が、武芸がからっきしダメなお公家様であるわけがありません。 今川家は、足利将軍家と祖を同じくし、幕府の要職にも就ける名門です。義元は