マガジンのカバー画像

歴史・人物伝~人物エピソードetc

207
人に歴史あり・・・歴史を語るなら人物を語りましょう!「歴史・人物伝」マガジンでは、過去の連載コラムのほか、人物にまつわるちょっとしたエピソード、そのほか雑記コラム等をまとめていま…
運営しているクリエイター

#徳川家康

歴史・人物伝の連載コラム まとめ読み一覧

歴史・人物伝で過去にコラムを連載し、○○編としてまとめたマガジンを整理・削除いたします。…

歴史・人物伝+サイト「旅道楽ノススメ」1周年コラボ企画~歴史探訪してみませんか?

私が運営するひとり旅応援サイト「ひとり旅で全国を巡ろう!旅道楽ノススメ」が、開設1周年を…

歴史・人物伝~「戦国ヒストリー」掲載コラムをご紹介:福島正則の生涯を「サラリーマ…

戦国ヒストリーという日本の歴史に関するサイトへの投稿を続けています。専門家、歴史愛好家ら…

歴史・人物伝~エピソード編㊼:徳川家康「命の危機を何度も乗り越えた天下人」

久しぶりに歴史・人物伝エピソード編を書きます。今回は、2023年の大河ドラマ「どうする家…

歴史・人物伝~エピソード編⑦:井伊直政「徳川家康より由緒ある家柄出身」

井伊直政は、徳川家康の家臣団の中で四天王の一人とされる武将でした。関ケ原の合戦後、井伊家…

歴史・人物伝~信長飛躍編⑤桶狭間の合戦は徳川家康の運命も変えた!

織田信長が今川義元を討ち取った桶狭間の合戦は、その後の織田家の飛躍と今川家の凋落をもたら…

歴史・人物伝~関ケ原編番外コラム:西軍勝利をシミュレーションしてみる

歴史・人物伝~関ケ原編を史実に基づいて①~⑳まで書いてきました。合戦は東軍の圧勝、西軍の大惨敗に終わりましたが、西軍が勝つとしたらどんなケースだったのかを考えてみました。 私がキーマンに挙げるのは、西軍の総大将で毛利家当主の毛利輝元です。輝元は、秀頼を守る名目で大坂城に詰めていたものの、家康らとの戦いにはあまり積極的ではなく、領地を守ることが最も重要と考えていました。 もし輝元が東へ向かって出陣し、関ケ原で布陣するか、少なくとも後詰として佐和山城(石田三成の居城、彦根市)

歴史・人物伝~関ケ原編⑳論功行賞と処分の実権を握った徳川家康

歴史・人物伝~関ケ原編の第20回、最終話です。 徳川家康率いる東軍が圧勝し、石田三成ら連…

歴史・人物伝~関ケ原編⑯毛利家への思いが異なった二人の人物

歴史・人物伝~関ケ原編の第16回です。 西軍の総大将に担ぎ出された毛利輝元は、徳川家康と…

歴史・人物伝~関ケ原編番外コラム:関ケ原の合戦の布陣を考える

歴史・人物伝~関ケ原編を執筆中ですが、本日は私自身が「関ケ原の合戦の史跡」を旅行した時に…

歴史・人物伝~関ケ原編⑬「家康の信頼を勝ち得た大名」藤堂高虎

歴史・人物伝~関ケ原編の第13回です。 東軍(家康方)の主力部隊の一つだった藤堂高虎は、…

歴史・人物伝~関ケ原編番外コラム:大河ドラマ「葵徳川三代」のこと

「歴史・人物伝~関ケ原編」を書いていますが、本日は、関ケ原の合戦をはじめ徳川幕府初期を描…

歴史・人物伝~関ケ原編⑧合戦に間に合わなかった徳川秀忠

歴史・人物伝~関ケ原編の第8回です。 石田三成ら西軍と対決するため、西へと反転した徳川家…

歴史・人物伝~関ケ原編⑥家康を後押しした小山評定での発言

歴史・人物伝~関ケ原編の第6回です。 上杉討伐のため、大軍勢を率いて東に向かった徳川家康でしたが、その留守を狙って石田三成ら(西軍)が軍事行動を起こしました。家康の家臣・鳥居元忠らが守る伏見城を陥落させたのです。 江戸から北へ向かおうとした徳川家康は、従軍する豊臣家恩顧の大名を集め、今後の方針を決める軍議を開きました。これが「小山評定」です。どんな話し合いが持たれたのでしょうか? 家康の決意に福島正則が・・・この時、従軍していた主な武将は、福島正則、黒田長政、細川忠興、